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デリー名物、悪徳?旅行代理店へようこそ(2/2)(インド旅④)

デスクにはおじさんに代わって大柄で少々強面なインド人が座っていた.肌の浅黒いコリン・パウエル(2003年当時のアメリカ国務長官)といった感じである.

そのインド人(折角なので”パウエル”と呼ぶことにする)は一冊のアルバムを開いて,これを見て欲しいという.アルバムにはさっきのおじさんと目の前にいるパウエルが仲良く映った写真がいくつも収められていた。写真はパウエルがおじさんの住む北海道に遊びに行った時の写真だという.どうやら家族ぐるみの付き合いをしているようだ.

なるほど,『歩き方』と似た悪徳旅行代理店のパターンである.この写真を見るとパウエルをいきなり信用してしまいそうになる.きっと,日本人をぼったくるようなことはしないだろう.ただ、頭ではあのパターンだと分かってはいるものの,確かに猜疑心は薄れてゆく.ここで席を蹴るのもどうだろう、先ずは話くらい聞いてみるかと思っていた.

「どこに行きたいのだ?」.パウエルが英語で聞いてくる. 

「デリーを出てアーグラーへ,そしてバラナシ,カルカッタ,カニャークマリ・・・」と返答.

パウエルが旅程を紙に書き出すと一人旅は急に窮屈なものとなった.
列車の予約が半月先まで決まってしまうのである.これでは一人旅の醍醐味が失われてしまう.
一生懸命何かを紙に書いているパウエルには言い辛かったが,アーグラー経由でバラナシまでの予約を見積もってもらうことにした.これなら3~4日の旅程である.しぶしぶといったように,パウエルは紙を替えて何やら計算を始めた.

「全部で55ドルだ」パウエルは言った.

”ツアー”の内訳はこうだ.まず,アーグラーまではバスで行く.そこで一泊してバラナシまでは寝台列車・・・とのこと.55ドルは2500ルピー(当時のレートで6250円)である.
ここでさっきのおじさんがまた姿を現した.金額の妥当性について聞くと,そんなものだという.ある程度のコミッション(手数料)はしょうがないらしい.

しかし,私には少し高いという感覚があった.こういう場合,返事は急がされるものである.空気というの怖いもので,私は結果として承諾する形になり,求められるがままにパスポートまで手渡していた.鉄道等の予約の際にパスポートが必要なことは分かっていた.

この時,私はちょうど『歩き方』を抱えたバッグの中に持っていた.パウエルやおじさんがよそ見をしているタイミングで『歩き方』をバッグから取り出してこっそり列車の料金表に目を落とす。インド来る前に何度も読んでいたのですぐに該当ページを探すことができた.
インドの列車は7段階の階級制であり,最上級のエアコン付1stクラスと最下級の2ndクラスでは最大で36倍の料金差がある.

「列車のクラスは?」パウエルに聞いた.まだ料金は払っていないのだ.

「3-Tire sleeperだ」パウエルが答える.

これは・・・つまり,2等寝台,下から2番目の階級である.

再びこっそり『歩き方』に目を落とすと,アーグラー・バラナシ間(約600キロ)の2等寝台の料金は194ルピー(485円)とあるではないか.パウエルはデリー・アーグラー間はバスと言っていた.距離から考えて,高くても100ルピーのはずである.そうなるとコミッションが2割の500ルピーだったとしても約1700ルピーの豪華ホテルがアーグラーで用意されていることになるが,そうならないのは分かる.明らかに高い.

「やっぱりやめときます」・・・どうしても納得がいかないのだ.

朝でなければ,もっと店員がいたら.おそらくその金額で”ツアー”を買うことになっていただろう.パウエルはここまでの手数料100ルピーを私に請求した.状況からして仕方のない勉強代と割り切ってこれは支払うことにした.

もう少しで無駄に高く、一人旅の醍醐味まで失われる”ツアー”を買わされてしまうところだった.
地下から上がり通りに出ると,こちらを見るインド人達の視線が妙に恐ろしく思えるのだった.

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