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偉人の死から考える死生観

なーせです。

先日の鳥山明先生とTARAKOさんの訃報から死について思い返すことが多くなりました。

生きていれば死はいつかくる。出会っては別れを繰り返す。

今日は少し真面目に人の生死について、掘り下げて話をしていきたいと思います。少し重い話ですが、読んで感想をいただけるととても嬉しいです。

死はいつか訪れる

生命である以上、生まれたらいつか死ぬ。

当たり前のことですが、私も含め生きてるうちは死のことは深く考えることはないと思います。

そこで重い病気であったり、身体の不調があったりするのがわかると「死」を意識します。

はたして死んだらどうなるのか?

正直私にはわかりません。

死んだ後の世界を何かで綴ること、伝える術がないので知ることはありません。

ただ私自身、もし死んだらどうなるのか、正直興味はあります。だからと言って死んでみたいかというとそれはないんですけど。

だって最近知ったグラビアアイドルの皆さんや購入したグッズを見ながらワクワクできなくなっちゃうじゃないですか?w

そんな悲しいことしませんw

話は逸れましたが、私もたまに死について考えたり、想像したりはします。映像作品や文学作品にもそういったものもありますし、興味が掻き立てられることが多くあります。

私自身無信仰なのであまりくわしくありませんが、世界に存在する宗教などでは「死後」のことを明記している場面が存在します。

仏教では「輪廻転生」、死んだら生まれ変わるという考えがあります。

神道(日本固有の宗教)では死後、家の氏神としてとどまると考えられているようです。

キリスト教の場合、宗派により天国があり、信仰していれば天国へ行けるとしてる場合、煉獄という現世での罪を償う世界で罪を清めたのち天国に行けるとする場合など様々です。

イスラム教では唯一神アッラーに運命が決められており、死後魂が肉体から離れ、再び復活すると考えられているみたいです。

人や宗派、環境により死後についての考え方はいろいろあり、十人十色といった感じです。

これだけ死後どうなるかが語られることが長い歴史を持つ宗教でも語られるぐらい、死は切っても切り離せないことです。いつか来るものです。

悲しいことですが。

生きることの意味

生きてるってなんだろう?

なんかの詩のようなことですが、死を考えると同時に自分が生きている意味を考えたことはあるでしょうか?

「◯◯のために生きている!」と明確に言える人もいると思いますが、私はウン十年生きてますが、いまだに分かっていません。

生きてる意味を深く考えることも、死を考えることと同様、意識することは少ないかと思います。

そんな私は生きる意味を知るため生きているのかもしれません。

なんか哲学っぽいw

ただ人間とは自ら命を断つ行動をする生物のため、生きる意味を知る前に死を選ぶ人もいます。悲しいことに。

もしかしたら「生きてる意味なんてない」という、自問自答の結果なのかもしれません。

また色々と悩みや問題が起こる現代、その悩みや問題に向き合うことに疲れて楽になりたいと思ってしまっているのかもしれません。

私自身カウンセラーではないので、語ることも烏滸がましいですが、辛い世の中で生きる意味を考えること自体が苦しいのかもしれません。

そんな私もただ生きて、生きる意味を知るために生きてきてましたが、先日の偉人の訃報を受けて少し考え方が変わってきました。

生きることとは「縁」

瀬戸内寂聴さんが亡くなった際、多くの方が嘆き、悲しみましたが、その著書や講演等で多くの金言を残されました。

その中でも「誰かの役に立つために生きている」という話は個人的に強く心に残っています。

役に立つため、というとなんか使命感のようなことかもしれませんが、使命を背負って生きてる人はいません。

人は自由です。

環境などの制約はあるかもしれませんが、どう生きてもいい。日本ではそんなことができる環境にあります。

鳥山明先生はご自身が楽しいと思う世界を発表し、多くの人の心を掴みました。

TARAKOさんは自身の声を武器に日本のアニメ文化の舞台骨を支えて、唯一無二の国民的アニメの主人公を長年続けていらっしゃいました。

そんな偉人たちと同じ時を過ごし、感銘を受けること、それ自体が「縁」であり、生きる糧になる。

ワクワクする話や色々な感情を掻き立てる世界。そんなものを偉人たちは私たちに伝えてくれています。

死んでしまうことで悲しむ人がいて、生きることに喜んでくれる人がいる。

あなたを思ってくれる存在は前述した鳥山明先生やTARAKOさんのように国民や世界の人から思ってもらえなくても、必ずどこかで悲しんだり思いに共感する人はいます。

家族であったり、友人であったり。

そんな人の思いを受けて、今を生きているんだと考えています。

「縁」があって出会い、「縁」があって存在を知る。その中で喜怒哀楽が生まれます。いいことも悪いことも全て人生において魅力を高めるスパイスとなっていきます。

宗教っぽい感じになってしまってますが、私は無信仰です。まずそれはお伝えしておきますが、生きる意味は自分が知らない、気づいていない「何かの縁」と出会うためという結論に至りました。

あくまで今の時点の私の考えですが。

もしかしたら1年後また変わっているかもしれませんが、ウン十年生きてきたからこそ、色々な人との出会いから自問自答し、生きる意味を考えている。そしてこれからも生と死を考え続けることは変わらないと思います。

そして私と出会い、何かが変わって、いいことが起こったというきっかけができればと思い、今はただ自分の好きなこと、興味があることをこうして文章に書き起こしています。

今後も多くの「縁」を大事にしていきたいですね。

終わりに

自分で書いててなんか本当に高いツボを売りそうな胡散臭い感じですがw

最後にこれだけ。

今私の文章を読んでくれている方、そしてグラビア誌面で活躍されているみなさん、推しドル、そして私が出会ってきた全ての人へ。

これからも楽しいものや知らないことをたくさん教えて欲しいと思います。

鳥山明先生やTARAKOさんのような大きな影響を与えるなんて烏滸がましいことはないとは思いますが、これからも生き続けることで起こる出会いを大切に、生きる意味を探し続けていきたいと思います。

私のような凡人に形を変えて漫画やアニメなどの作品を通してみんながワクワクする、わかりやすく伝えた偉人たちに改めて感謝ですね。

改めて鳥山明先生、TARAKOさん。

ご冥福をお祈りします。

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