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オートチェスが採用した人類の叡智 "複利"の魔性

その日、人類は思い出した。レベルに支配されていたオートチェスを。ガチャの中に囚われていた複利を……。

これまでオートチェスの魅力や面白さの所以はいくつか語られてきたが、僕としては利子(複利)を対戦ゲームに採用した点がたいへんに優れていると思い至った。

ということで、今回は利子なるものがいかに人類を豊かにし、また破滅させてきたのかを振り返りつつ、オートチェスにおける利子について考察していく。

※この記事では「オートチェス」を対戦ゲームのジャンルとして使用する。

【オートチェスとは】
一般に8人のプレイヤーがそれぞれユニットを買い集めてパーティを編成し、盤面に配置して戦わせる対戦ゲーム。ユニットは自動で相手のユニットを攻撃し、ラウンドごとに勝敗が決する。負けると自分のライフが減っていき、なくなると敗退。最後まで生き残ると優勝となる。下掲の記事で詳しく紹介している。

人類と利子

オートチェスには利子というシステムが採用されているが、利子なるものが生まれたのは数千年も昔のことだという。その強烈で凶悪なパワーゆえに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など主要な宗教では商売を行なう際に利子を取ることを禁じている。

だが、ユダヤ教では異教徒からは利子を取ってもいいとされているらしい。歴史的に迫害され続けてきたユダヤ教徒はまともな職に就けなかったため、金貸しになることが多かったそうだ。ユダヤ人が世界の経済を掌握しているとする陰謀論もこうした話が出所なのだろう。

現代の資本主義にとって利子は欠かせないシステムだ。いまでは貸し手は借り手から利子をもらうことが当たり前になっている。しかし、なぜ貸した金額以上のお金を受け取ることが正当化されているのか、皆さんは考えたことがあるだろうか。

ある説では、利子は貸し手がお金を自由に使えない期間の損失を補填するためのものだとされている。別の説では、利子は助けられた借り手から貸し手への感謝の対価だとされている。

下記に載せたゲゼルのロビンソン・クルーソー物語は利子について理解を深めてくれる。

利子の功罪

利子はいいものだろうか、あるいは悪いものだろうか。貸し手からすれば嬉しいに違いない。借り手からすればないほうがいいが、それでもお金を貸してもらったことに対してお礼をするのは人類社会では当然の行ないのように思える。

だが、利子は根本的には凶悪だ。なぜなら、利子は実質的にこの世に存在しない分のお金を要求していることになるからだ。

例えば、僕がイスポという通貨を発行し、いろんな人に合計100万イスポを貸し付けたとしよう。借り手は翌年の同じ日までに元金とその10%分を付加して僕に返済しなければならない。

翌年、貸し付けた全員から返済を受けた僕は、110万イスポを手元に置くこととなる。おかしなことが起きている! 僕は100万イスポしか発行していないのに、残りの10万イスポはいったいどこから生まれたのか?

借り手は、実は自分以外の借り手から元金の10%分を(商売で? 力づくで?)巻き上げなければ借金を返済できない。僕は借り手と「借金を返済できなければお金以外の何か――宝石、家財、土地、あるいは命や家族――で賄う契約」を結んでいるため、借り手は必死に商売をして他人からお金を稼がなければならない(僕はこの契約を強制させる警察組織を有しているとしよう)。

※『マギ』に登場したバルバッド王国は煌帝国に借金と利子を返済しさらなる借金をするために自国の貿易権のみならず、国民の人権(全国民を奴隷として輸出すること)を担保にしようとした。煌帝国も契約を履行させる軍隊(暴力装置)を有していた。

それが叶わなかった借り手は借金地獄にはまり込み、担保としていたものを僕に奪われる。僕は合法的に、同意のうえで、借金を返済できなかった借り手の資産を頂戴するのだ。返済できたとしたら、きっと商売がうまくいって新しい価値が生まれたのだろう。

人類社会が急速に発展したのは、こうした利子の功罪によるものだとも言われている。借金と利子を返す必要性のために技術革新などで付加価値を生み出さなければならなかったということだ。

※ちなみに、この話は自称日本一の経済学者の受け売りである。

現代社会でもこれとまったく同じことが起きているが、基本的には自国の政府もしくは中央銀行が信用に足るお金を発行して貸し付け続けるので、上記のようなお金不足には陥らない(EUのような統一通貨圏は例外だが)。

仮に、政府もしくは中央銀行が「発行したお金を返済しろ」と我々に言い渡したらどうなるか? 消費税引き上げとはまさにその方法にほかならない……(というか日本はそもそもお金不足だ)。

単利と複利

さて、この記事はオートチェスの話を書いているはずだったが、僕がその面白さを利子に見出した理由を言語化するにはもう少し時間がかかる。

次に利子の種類を見ていこう。利子には大別すると単利と複利がある。人類が生み出してしまった禍々しい叡智は複利のほうだ。

単利とは元金だけにかかる利子だ。元金100万円で年利10%とすれば、借り入れた翌年に返済する場合は110万円を返すことになる。2年後だとさらに元金に対して10%の利子がかかるので、120万円となる。3年後なら130万円と分かりやすい。

一方、複利は元金と利息にかかる利子だ。元金100万円で年利10%とすれば、借り入れた翌年には単利と同じく110万円を返済すればいい。しかし、2年後に返済するなら、110万円に10%の利子がかかって121万円を返済しなければならなくなる。

3年後なら133.1万円、5年後なら約161.1万円、8年後には元金の2倍を超えて約214.4万円となる。20年後には約672.8万円だ、単利なら300万円なのに。

縦軸は元金と利子の合計金額(よく見るグラフだ)。
複利を作り出した人類が恐ろしい。

これが複利の凶悪さで、面白さだ。複利は富める者がさらに富むためのシステムだと言ってもいい。特に近現代において人類は複利に笑い、複利に泣いてきたのだ。主要宗教がこれを禁じようとしたのも分からないではない。

余談だが、上図では20年間の複利のパワーを示している。これは非課税で資産運用できる「つみたてNISA」で開設できる口座の有効期間と同じなので、資産形成に関心がある人は早めに取り組んでおくといいだろう。

オートチェスと複利

ようやくオートチェスの話。ご存知のように、オートチェスでは利子のうちでも複利が採用されている。

『Dota Auto Chess(DAC)』や『LoL』をモチーフとする『チームファイト・タクティクス(TFT)』は、ラウンドごとの利子率が10%に定められている(端数は切り捨て)。ラウンド開始時に10Gを持っていれば基本収入と連勝・連敗ボーナスに利子の1Gがプラスされ、50Gまで利子(5G)がもらえる。

これはお金を持っていればいるほどさらにお金がもらえるという、複利の凶悪さを肌で感じられるシステムだ(お金の貸借があるわけではなく、あくまで利子というシステムが採用されているだけ)。

ここで、試合でお金を運用する対戦ゲームに目を向けたい。お金の概念を持ち込んだ対戦ゲームはいくつかあり、『Dota』や『LoL』がまさしくそうだ。『CS:GO』にもある。『Hearthstone』や『Shadowverse』におけるマナや、『Clash Royale』のエリクサーもお金と近しいものだろう。

これらのような、試合中にお金(に類するもの)を運用して戦う仕組みをマネーシステムと呼ぼう。そして、いかにお金を運用して戦うかをマネー戦略と呼ぶ。

『LoL』や『CS:GO』でマネー戦略がどれほど重要かは言うまでもない。いまアイテムを買うべきか、それとももう少し貯めてよりよいアイテムを買うか。その判断が試合を左右することも少なくない。

『CS:GO』には勝敗や条件達成だけでなく連勝・連敗ボーナスがあり、勝ち続ける、あるいは負け続けることも戦略上で判断しなければならない。この考え方はオートチェスに受け継がれている。

ただ、いま挙げたゲームにおけるマネーシステムでは利子が採用されていない。たしかに、『LoL』などでは最初に優位を取ったチームがその有利を押しつけ、さらに優位を取り続けて相手を轢き潰すスノーボールという戦略がある。これは非常に利子に近い考え方だが、お金における利子ではない。

オートチェスがやはり秀逸なのは、お金において利子(複利)を採用したことだ。ラウンドが始まるときに9Gを持っているか、それとも10Gを持っているか。これは天と地ほども違う結果を生む。仮に9Gと10Gを保持して20ラウンドを過ごしたとき、利子によるゴールド差は20Gにもなる。大逆転しうるほどの金額だ。

51G所持のときに2G必要なガチャを回すべきではない理由はまさに利子にある。オートチェスは金持ちがさらに金持ちになるゲームなのだ。そして金持ちは、ガチャも自由に回せる。

ガチャか利子か

オートチェスの面白さのもう1つは、そのとおりユニット選択のガチャにある。ガチャが有する魔性は利子にも引けを取らず、人類の重要な発明の1つ……だろう。モバイルゲーム市場が急成長してきた主要因でもある。

ガチャは、人類がすがってきた祈りというシステムをハックしてゲームに実装したものだ。オートチェスにおいては、もしかしたら望みのユニットが出るかもしれないという儚い希望をかき立てる。

しかし、対戦ゲームないしeスポーツにおいて、祈りは最も崇高で気高い行為である。撃った弾が当たるように、狙いのユニットが出るように、我々は祈らなければならない。祈りはときどき実現する。だから、人類は祈りを――ガチャをやめられない。

オートチェスは奇しくも、利子とガチャの両方を採用してしまった。人類を抜けがたい沼に陥れる2種類の魔性がこのゲームには宿っているのだ。どちらも魅力的だ。にもかかわらず、我々はオートチェスをプレイするとき、利子かガチャを選ぶ場面にたびたび遭遇してしまう。

原則として利子が強いのは間違いないだが、時として我々は祈りを込めてガチャを回さなければならない。利子は盤面を強くしてくれない。だから、盤面に☆2ユニットさえ置ければもう1ラウンドを生き延びられるとすれば、我々はガチャを回すべきなのだ。

たとえ11G所持でも、ライフが3しか残っておらず次のラウンドで絶命しそうで、手元の☆1ユニットを☆2にできる可能性があるなら、我々はガチャを回すべきなのだ。あるいはガチャが連勝ボーナスを続ける可能性を見せてくれるなら。

これぞ資産運用、マネー戦略である。現実においても、お金それ自体は食べることができない。

マネー戦略がメタに組み込まれるとき

オートチェスの序盤はどのユニットを選ぶかということに尽きる。プレイヤーのレベルを上げるタイミングもほぼ定跡ができあがった。利子の魔性が頭をもたげるのは中盤だ。自分のライフと、盤面のユニットと相談し、ガチャを回すか利子を得るかを検討する。

今後、オートチェスのメタがより複雑になっていく過程でマネー戦略は欠かせない要素となるだろう。2体持っているユニットと、1体も持っていないユニットではまったく価値が異なるのだ。1Gの☆2ユニット(計3G)と、3Gの☆1ユニットはどちらのほうが実質ゴールド価値が大きいのか?

むしろ、プレイヤーが取る選択肢はすべてゴールドで換算されるようになるはずだ。

「いま利子を捨てて回すガチャは実質何Gに相当するのか」
「ガチャに並んだユニットは、見た目は2Gでも自分にとっては何Gに値するのか」
「現状のライフは何Gに換算できるのか」

シナジーを入れ替えるのもゴールドの掌の上で踊るのに等しい。オートチェスはマネーシステムによって成立している。だから、最適化されたマネー戦略が勝率を最大化する

いかに自分が持つ資産を運用するか。その面白さは、僕からすればガチャを上回るものだが、このゲームを極めるためにはマネー戦略を極めなくてはならないと思われる。

それがどのようにメタとなり言語化されていくかはまだ分からない。でも、その深みで一喜一憂が生まれ出るのだから、オートチェスが利子を採用したのは大正解だったのだろう。

※なお、この記事は至極のTilt論「クエスト:狂乱の呼び声(degree of frenzy)」を書いた柑橘さんと話しているときに思いついた。柑橘さんはファッション批評を土台とする思考の持ち主で、ゲーム自体の面白さを価値づけられる優れた語り手だ。

以下いただいた感想。


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