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職歴よりゲーム歴の空白期間のほうが怖い

Steamで新しいゲームを探していると、いつの間にか何時間か経っていることがある。さぞ豊作かと思いきや、そういうときに限ってピンとくるゲームが見つからず、なんとなくやるせなさを抱えてしまう。それならと思ってライブラリを見つめても、どれにしようかなとカーソルを順繰りしているうちに「何かゲームをしたい」という気持ちが萎んでいく。

僕は小学生の頃に遅ればせてファミコンを触ったのが最初のゲーム体験だが、以降、ゲームボーイ、スーファミ、PS、PS2、Xbox 360、そしてアーケード、PC、モバイルなどへとハードをさまよいながらゲームを遊んできた。自分自身では、ゲーム好きであることを自負している。

振り返れば、ポケモンをやりたくて仮病を使ったこともある。受験日1週間前にゲーム(タイトルは忘れた)を買って親に渋い顔をされて、『.hack//G.U.』は最後にオーヴァンが助けてくれるシーンで本気で泣いた。ラウンドワンが閉店するギリギリまで音ゲーをやった。いつも何かのゲームに夢中になっていて、どんなときもやりたいゲームが目の前に山ほどあった。「全部遊ぶ前に死ぬんだろうな~」と思っていた。

esportsタイトルをプレイするようになってからも、何時間も何日もプレイし続けてきた。そもそもesportsタイトル(やモバイルゲーム)は長期間にわたって何度もプレイする構造になっているから、夢中になれなければ続かない。

そうしたゲーム歴と自負があり、夢中になれるゲームに出会い続けてこられたので、ゲームを共通言語とする人に「いまどんなゲームをしてるんですか?」と訊かれたとき、自信をもって答えることができた。いままで一度も、答えることができないことなんてなかった。

しかしそれゆえに、自分がどのゲームに夢中になっているか答えられない状態になることは、とても怖いことなのではないかと思うようになった。

なぜか? 自分がゲーム好きだと自負していて、ゲームが自分のアイデンティティの大きな割合を占めてしまっているからだ。そんな自分が「いまは特にないですね」なんて答えることがあれば、ゲーム好きなんて言えなくなる。ゲームを趣味とも言えなくなる。夢中になれるゲームがない何者かになってしまう。

だから、ゲーム歴の空白期間が怖い。

1つのゲームに対するモチベーションはどうしても時間とともに消耗していく。ときどき栄養補給や充電をしながらも、同時に別の新しいモチベーションを沸き立たせるために新しいゲームを探す。空白期間は絶対に作りたくない。

なので、Steamで何時間探してもピンとくるゲームに出会えないと、どうしようもなさに苛まれる。とりわけ、いまプレイしているゲームに少し飽きてきて新しいゲームを探し始め、でもやりたくなる1本に出会えなかったときの焦りは身を削られる感覚に近い。自分はもうゲームが好きではなくなってしまったのか、と自問することは喉元にナイフを突きつけるようなものだ。

僕はプロゲーマーではないので、ゲームは趣味といえば趣味でしかない。でも、ゲームは生きがいだ。僕はゲームをプレイすることで、たしかに何かを得ている。それを明確に言葉にするのは難しい。あえて言えば、僕はゲームをプレイすることで自分の存在を確立しているのかもしれない。そういう人生を歩んできてしまったがゆえに。

大学卒業後5年ほど無職だった僕にとっては、職歴の空白期間なんてまったく怖くない。どうにでも生きていける。でも、たった1週間でも夢中になれるゲームがない空白期間ができてしまうのは、それを想像するだけでも怖い。

日々新作が公開されるSteam、ゲームをプレイするモチベーションをくれるプロゲーマーやストリーマー、そして独自の視点で面白いゲームを紹介してくれる人たちの存在はとてもありがたい。自分1人で夢中になれるゲームを見つけ出すのは干し草の中から針を探すのに等しい。

僕がプロゲーマーに敬意を抱き、同時に羨ましく思うのは、彼らが自分の人生をかけてプレイする価値のあるゲームに出会えた幸せ者だからだ。名誉とかお金とか、そういうのはおまけでしかない、と僕は思う。大好きなゲームにずっと夢中になれる——それはほかに代えがたいことだ。

Steamの今日のディスカバリーキューをチェックし終わってからこれを書いた。ゲームを探してプレイし、これぞという1本に出会おうとすることは、僕にとっては自分探しのようなものなのかもしれない。

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