見出し画像

「那須まちづくり広場」につながる種を蒔いてくれた、女性解放運動家・小西綾さんの「出んぐり返え史」とはなに?

実践的な女性解放運動家、いまなら先鋭的なフェミニスト

「どうして『那須まちづくり広場』を作ろうとしたのですか?」
そうお尋ねいただくことがよくあります。

「高齢者住宅の仕事を続けてきた」といえば、まずは納得していただけるのですが、本当はもう少し言葉を重ねないと、私の胸の内は落ち着きません。なぜ、高齢者住宅だったのか? なぜ、多世代共生なのか? などなど、もう少しどころか、いくつものお話が本当はあるのです。

このnoteで、それを少しずつ語ろうと思っています。

さて、今週の祝日は11月3日、文化の日でした。この日は女性解放運動家・小西綾さんが99歳で鬼籍に入られた日です。命日とか誕生日とかが、頭に入らない私にとっては、実に都合よく記憶に残る日にお亡くなりになってくださったという思いです。

小西綾さん

小西綾さんについては、こちらの年表をご参照ください。またいずれお伝えしたい近代文学研究・女性学の研究者でもある故・駒尺喜美さんや、近山、佐々木、櫛引といった「那須まちづくり広場」をともに作ってきた友人たちの名前も入った年表です。

https://nasuhiroba.com/pdf/ck_timeline.pdf

小西綾さんは、1904年生まれ。平塚雷鳥らが『青踏』を刊行する7年ほど前に生を受けました。まだ、女性には選挙権もない時代。小西さんが「実践的な女性解放運動家」と言われるようになる道程はとても険しいものでした。

職場でセクハラを受けた同僚を支援して左遷。ストライキに参加し解雇。表現活動をして検挙……その間、妹や弟の経済的支援を続けながら、女性解放を求め生きた人。いまなら「先鋭的なフェミニスト」と言われるでしょうか。

近山、小西綾とニューヨークへ行く アメリカの高齢者施設視察

衝撃的だった小西さんの言葉・生き方

小西さんは生前じつに多くの女性達に影響を与えました。私は20代後半で「魔女コンサート」の中での講演会を聞いて衝撃を受けて、その魅力に惹かれていった一人です。小西さんは珠玉の言葉をいくつも残しています。みんなが感銘を受けて心に残る言葉やフレーズは、単なる文字面では生まれません。

1970年代に行われた「魔女コンサート」はネットでは詳細を見つけることが出来ませんでした。
駒尺喜美著『魔女の論理』を古本で見つけてね。

机上の理屈ではなく、誰かに教わったことでもなく、自らの経験と頭をつかってひねり出した魂のような言葉を、さりげなく、でも絶妙のタイミングで口に出される人でした。そして、社会で多様な人のなかで生きる豊かさを見せてくれた希有な人でした。

新聞や年表をよく見て、整理をしている人でした。それは、マスコミや教科書となった歴史には、またもう一つの庶民が見てきた歴史があることを実感していたからでした。

近山の部屋でもの申す小西さん

例えば、戦前。小西さんは25日間の拘留のあと、特高警察の命を受けて軍需産業である鉄鋼所に勤務しました。そこを足がかりに、原価計算のできる経理を求めていた製薬会社へと転職します。この原価計算は、小西さんは未経験。面接では「できます!」言い、勤務までの数日で頭にたたき込んだというのです。

そして、そこで見たこと、知ったことは、世界の歴史に残されたこととは違っていました。当時、特攻隊員は笑顔で勇ましく空に散っていったというストーリーでした。しかし、10代20代の若者の実相は、眠れない夜のための睡眠薬を必要としていたというのです。

製薬会社に勤め、原価計算を担当した小西さんの耳にはいってきたのは、「お母さん、ごめんなさい」と死んでいった若者達の姿でした。

事実は「でんぐり返し史」のなかにある。そんな現実を見すえて、しかし今自分に何ができるのか、何を考え、何を実行するのか。
私たちは、小西さんの元でそれを問われ続けたのです。

晩年の小西さん(写真下段左)右側が駒尺喜美さん

世の中を自分らしく生きていけ!


私が高齢者住宅の仕事に関わったのも、小西さん、駒尺さんがおられたからなのですが、それは単に職業の斡旋を受けたのではなく、世の中を自分らしく生きていけ!という、大きな使命を与えられ、背中を押されたからだと思うのです。

そういう意味で、「那須まちづくり広場」は一つの通過点です。女性が自分の気持ちに正直に生き、人生の完成期に豊かな時間をもつこと。それは、同時に、下駄を履かされ「自分らしく」は生きにくかった男性達にとっても、可能なことです。

多種多様な人達と暮らしあうときに、誰かに負ぶさっては解決できないことが沢山あります。それまでの常識や価値感に縛られている人ほど、問題にぶち当たります。でも、そんなときには、小西さんの言葉を思い出すことにしています。

自分の頭で考える。
マイナスもプラスに転化できる。
見て、考えて、行動する。
自分でやってみなさい。
ケンカはしない。
対立せずにとことん話をして折りあいをつける。
障害があっても、同じ場で同じ問題を共有する。
仲間(家族)と思う人には、すべて情報をオープンにする。
結果をふくめて考える。
現実をみて語る。
新聞や教科書に書かれた歴史を「でんぐり返え史」する。

最後に残したと言われる言葉。近山の自宅に飾られた小西さんのポスターにも書かれた言葉です。

「みなさん こんないい時代はありません お手本のない時代です 自分の頭で考えて生きてください。」

次回、小西綾さんの晩年を共にした経験から、「那須まちづくり広場」に込めた思いをお伝えしたいと思います。人が老いて死ぬ、その日常にきわめて大切で、みんなが気がついていないなあと思うお話です。

(20221106−10)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?