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「持ちつ持たれつ」から「ウィンウィン」、仕事はビジネスになって、「ギブ」ができなくなって、さあどうする?

結局のところ、貨幣価値に相当するもの


「相手に利益を与え,自分もまた利益を得ること。互いに取るものは取りながら妥協・協調すること。」

それが、ギブアンドテイクの意味と、ネットでググったらそう出てきました。

もっとも、そもそもの和製英語になる前の「give and take」は「お互いに譲歩すること、意見を交換すること」と翻訳するらしい。和製英語になったギブアンドテイクは、もっぱらビジネスで使われる言葉だったようです。

ですから、「利益」という話になるのでしょう。フツウに意味をとれば、お金とかモノですね。それを得るために、妥当だとお互いに思える額や量を両者歩みよって決める。それぞれの事情や前後左右の関係性から忖度もし、空気も読んで、とそんなところでしょうか。

これは結局のところ、貨幣価値に相当するものを指しています。ビジネスですから。仕事ではなく、ビジネス。資本主義が大手をふって大通りを歩いた昭和で言えば「持ちつ持たれつ」。日本語で言えば、情感がともなうように聞こえます。それが、平成になって聞こえてきたのは「ウィンウィン」。これもアメリカのとある著名な経済学者が作った言葉。


仲間の一人佐々木さんの幸福は、編み物、畑、大野くん(ジャニーズ嵐)♡ 那須の自室で。

そんな当たり前なこと、みんな思っているはず

カタカナ言葉は、要注意です。和製英語である場合が多く、意味や筋が本来の意味とは異なって定着することが多いように思います。それはともかく、こうした日本のもしくは世界の資本主義をベースとした国の言葉である「ギブアンドテイク」は、そもそも「まちづくり」や人の暮らしや幸福といったことを語るには、不足があります。一面を指すことはあっても、本筋がずれてしまうのです。

人の暮らしにとって必要なのは、お金ではなく、幸福。自分らしく、自分の価値感が大事にされ、気の合う仲間と笑い食べ呑み……。なかには、名誉とか他者評価が価値になっている人もいるけれど、基本はお金やモノは少しあればいいのではないでしょうか。

本当はそんな当たり前なこと、みんな思っているはずなのに。それなのに、いつのまにか幸福をはきちがえて、みんなが汲汲と生きる世の中になったように思うのは、近山がへそ曲がりだからでしょうか。

「利益」は、そのために必要なことのひとつ。利益やビジネス中心だった時代を否定はしないけれど、その歪みが出ているのも事実。その歪みは、持たざる者、高齢者、障がい者、若い世代に負荷をかけている。だから、考え方を変え、暮らしを実際に変えていくように、大人な行動を変えていかねばならない! と近山は思う。

そこで、ギブアンドテイクではなく、ウィンウィンでもなく、ギブアンドギブと言ってはみたのです。が、もう多くの人の頭が、価値感が、「与える一方」なんて、宗教? 新手の詐欺? と思われる始末。

ぼちぼちのところで生きあおうという関係が歪む。

もちろん、みんなが「一人勝ち」を望んでいるのではないのですが、やはり「より上位」にいくことを子どもにも諭しますよね。いまだに、そこそこまでが頑張れば手に入ると、思い込まされているようです。どんな衰退した地域にも受験塾の看板はある。肥沃な田畑があっても、塾もあります。

それで、受験競争に勝ち続けていくことで、より上位を目指すと人生なんとかなるという価値感、囚われとも、信心ともいえる思いは捨てがたいようです。近山には子育ての経験がありません。それでも、親子の話は高齢期にさしかかると長年の垢が落ちるように見えてくるので、その顛末を見聞きすることがある。

なかなか、だ。この人より少しでも上位へというのは、教育信仰から来ていると思わざるをえません。学校教育がそれを植え付けてきた。親はそれをさらにバージョンアップしたことをするのが、子どもにとってよいことと信じているようです。それは、本来の幸福の追求ではないので、当然歪みがでます。家族でも頼り頼られ、ぼちぼちのところで生きあおうという関係が歪む。

ギブアップ寸前の人達が、老いも若きも

私たちは高齢期を生きるために、まずは「生活設計」を進めているのですが、それはお金の設計ではなく、人生や家族の見直しなんです。お金の話をつきつめていくと、人の幸不幸にぶつかります。その人の人生そのものともいえます。そんなに沢山のお金があるのに!? とても強い不安を抱えている方もおられ、またその逆にそれでは破産が目にみえていると、こちらが不安になる方も。本当に、人生いろいろ〜♪なのであります。

ところが、その人生いろいろは、ギブアンドテイクが成立する社会状況、経済状況のなかで、なんとか成立してきたことなんですね。経済格差が広がって、多くの人が中流と思えていた世界が変わりました。ギブするものがない。ギブアップ寸前の人達が、老いも若きも生まれてきています。

もう、競っている場合ではない。だから、与え合う関係を作らねばならない。これも、だれもが頭ではわかっている。けれど、いざとなるとそう行動できない。考えることができない。う〜ん。老いを見続けてきた近山たちは、それなりの経験と知恵をもっているはずなのです。けれど、生きづらさは若い世代にも広がっている。

う〜ん、う〜ん。そんなとき、思い返すのは、あの人の言葉だったのでした。

(20230520−23)


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