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備忘エッセイはじめました/備忘エッセイ #0

伝えたいことは相変わらずあるんだけど、町議だった頃(もうそうではないし二度とやりません、とリフレインが叫んでる)、不用意な言葉を使って言質を取られ非難されることがないよう、言葉選びにかなり気を遣っていた延長線上で、言葉を世間に向けて発するのが億劫になってしまった。

特に SNS は不特定多数の目に触れるし、拡散力あるし、記録に残るし(デジタルタトゥー)なので。Instagram で写真に詩的な言葉を添えるぐらいのお付き合い。

能動的な発信はそんな感じなんだけど、受動的というか、仕事として不特定多数ではない比較的少数の方を対象に話す機会にはそれなりに恵まれていたりして。

発した言の葉が相手の琴線に触れ、かすかな音色を奏でたような気がすることもあり、そうすると、こういう言葉はもう少し人の目に触れる場所に置いた方がいいのかな、と思ったり。

それで、note の記事にしようかとキーボードをテクテク打ち始めるのだけど、言葉の正確性を求めて検索したり、文体や文脈の整合性が気になって言葉尻をいじったり、文章を入れ替えたり、格好つけてレトリックにこだわったり。

時は過ぎ、目は疲れ、そもそも何を伝えたいんだっけと脳は混乱。仕上げることができず下書き保存。未公開。

この沼地の住人になる前に別天地を求めようと、話し言葉ならつらつら継ぎ接ぎパッチワーカー、ラジオはどうだと思い立つ。

ラジオは中学生ぐらいから好きで、ポッドキャストというものが誕生してからは『安住紳一郎の日曜天国』の大ファンで。最近は YouTube で聴いてる。

その安住さんも言ってたけど、ラジオって媒体は話し言葉のせいか、多少口が滑っても許されるというか流れていく雰囲気がある。

では、ラジオ的に話して録音して公開して、というのが今ならポッドキャストで手軽にできるはずなんだけど、一人語りはどうだかなー、誰かと一緒にできないかなー……沼地に戻る。

ならば、ラジオ的、あるいは備忘録的に思いつくまま書いてしまい、読み返してみて公開範囲を絞った方が良さそうであれば、有料記事にするのはどうか。

ん? 思いつくまま書く、それってエッセイ? 最近エッセイを読むのが好きになり、自分でも書きたい気持ちが入道雲。

というわけで、備忘録+エッセイ、備忘エッセイはじめました。

マルチ・ポテンシャライト気質なので、末長く続くことはないでしょう。ましていわんや定期的な投稿をや。

画像は手持ちの画像で冷やし中華探したけどなかったのでうどん。うどんのまちのひとだもの。


バーカウンターで「あちらのお客様からです」ってあこがれます。