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『反哲学入門』木田元 ~先生のボヤキ~

『反哲学入門』
木田元

万年哲学入門者の私ですが、今回は「反哲学」に入門してみました。
木田元先生といえば、『反哲学史』をはじめとする哲学史、そしてニーチェやハイデガー、メルロ=ポンティについての著書で知られる、日本の西洋哲学研究の第一人者であられました。

こちらの本はさっそく偉大な先生のボヤキで始まります。
「哲学は不自然」
「哲学は不幸な病気」
「哲学なんかと関係のない、健康な人生を送る方がいいですね」
…いきなり心をつかまれます。

これらの言葉は奇をてらっているわけではなく、「そもそも哲学とは何か」ということを問うているのです。 
哲学とはつまり「西洋哲学」のこと。自然(=存在する者の全体)に包まれて生きている、と信じてきた日本人の自然観とはそもそも相いれない、不自然な営みです。

西洋では、あるときから、自分たちは「超自然的な存在」または「超自然的存在」とかかわりを持ちうる特別な存在だと考えるようになります。しかし、それ以前の哲学者は、自然が万物の祖と信じ、そのなかで「生成」している「存在」とは何なのだろう?というようなことに思いを巡らせていたそうです。
ソクラテスは正体不明だし、プラトンはイデアという超自然的な原理をつくっちゃうし、アリストテレスににいたっては自然界分類マニアですが、彼らが西洋の哲学の元祖として歴史に君臨していることは誰もが知るところです。

さらに、キリスト教はぐちゃぐちゃだった教義を逆輸入したアリストテレス哲学によって整頓し、デカルトは自然を真に構成しているのは自分の精神(われ思うゆえに…)が洞察する「量的諸関係」と主張します。西洋の哲学や思想はたぶんこのころから、基本キリスト教の思考様式に全面的に乗っかっております。

私もデカルトを嫌いではありませんが『省察』を独学しようとして発狂しかけました。その前にこの『反哲学入門』を読めばよかった。「主観」「客観」などの、近代哲学における言葉づかいの謎が語源から解明されているからです。また全体を通して、哲学を翻訳で読む日本人がつまづきやすい訳語の問題もとりあげているのでありがたいです。

そして啓蒙時代、西洋という文化形成の立役者である、カント、ヘーゲル、そしてイギリスの経験主義が登場します。理性の大勝利を歌い、何でもかんでも合理的に改造できると豪語したのは時代のせいもあるでしょう。このポジティブな感じは個人的にはなにか心地よくもあります。

さてここまで「超自然原理=形而上学的原理」という料理が整然と並べられてきたちゃぶ台を豪快にひっくり返したのがニーチェです。ニーチェが克服しようとしたのはプラトン以降の西洋哲学・道徳・宗教でした。アンチ・プラトニズム、つまり「反哲学」です。はい!!神は死にました!ニーチェについての語りにはいっそう熱がこもっていて、ハイデガーによってニーチェがソクラテス以前の思想家たちの「存在=生成」の復権を試みつつも叶えられなかったということが指摘されている点に、難解ながらも興味をそそられました。

ハイデガーは自分の思索を「哲学」とは呼ばず「存在の回想」といいましたが、これを「反哲学」であると指摘したのがメルロ=ポンティでした。ニーチェもハイデガーも「反哲学」者であった。それは西洋哲学を批判的に考察して乗り越えようとする試みのことなのでした。ニーチェからハイデガーにかけてのくだりはほとんどスリリング。やはり原典を読まねばとあらためて思いました。

「反哲学」とは銘うっていますが、西洋哲学史がどうしてこのような流れをたどったのかがきちんとわかります。こんな小さな文庫本の中にみずみずしくて深い哲学史がつまっている奇跡!

哲学の知識のない若い編集者との楽しいおしゃべりを編集したもので、木田先生自身の戦中戦後のドタバタ哲学事始め的なエピソードも面白く、ふだんオジサンの悪口ばかり言っている私もふと懐いてしまいたくなるような温かさがあります(←いらない感想)。
木田先生の術中にはまりましたので、次回帰国したら『反哲学史』をはじめとするほかの著書を手に入れるのが楽しみです。

(2023年12月にインスタグラムに投稿した記事を書き改めたものです)

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#哲学史

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