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『二魂一体の友』          萩原朔太郎 室生犀星        『我が愛する詩人の伝記』          室生犀星              ~よこしまな読み方~

『二魂一体の友』は萩原朔太郎と室生犀星がおたがいについて書いた文章を集めた本です。あらためてここで紹介するまでもなく、ふたりは日本近代詩のスーパースター。犀星はのちに小説家に転じましたが、転向の経緯や心境について双方の立場から書かれた文章も本書に収められています。

詩論もたくさん盛り込まれているこの本。しかしどんな高尚な芸術論が展開されようとも、注目せずにいられなかったのは、文学が結びつけたふたりの関係性でした。だって熱愛すぎる(笑)

朔太郎は、白秋の詩誌に投稿していた犀星の詩を読んで、白皙の美青年に違いないと妄想を膨らませますが、実物に会ってみたら猪に似たゴロツキ風だったので、幻滅したそうです。第一印象は最悪だったのですね。
しかし犀星の人となりを知るにつれ、
「愛とは美なり」(あばたもえくぼか)
「この愛すべき友!」
「僕は、君によってすっかり征服され、到底競争の念を捨ててしまった」
とさえ言うようになる。
「室生とはあまり知りすぎて居るので、却って印象というような者がない」
これが二魂一体ということでしょうか。

微笑ましい口げんかもわたしの好物。
犀星は「早く行けよ。居ない方が気持ちが好いから」「もう貴様のような奴は友人ではない」などとすぐにキレる。しかし、素っ気ないそぶりが持ち芸の朔太郎が「家へ帰っても手紙はやはり出さないからな」と言って去ると、「心の美しい友だちとこういうふうに別れるのを却って寂しく感じた」としょんぼり綴る。

犀星は、金はあるが生活能力のないボンボン朔太郎の世話を焼きます。掃除・片付けから、細君の世話や子どものしつけまで、オカンのように細かく厳しくお節介しつつ、自宅に帰ると純情で「いじらしい」(by朔太郎)詩を書くツンデレ犀星を、誰が嫌いになれましょう。

こういう諸々のエピソードが、詩論に紛れ込んで雑誌に掲載されていたわけです。当時の読者の目にはどう映ったでしょうか。熱愛プレイご馳走様とつぶやく邪な読者はわたしだけでしょうか。

巻末には萩原葉子と室生朝子の対談も載っていて、葉子の『蕁麻の家』を読み返したいようなそうでないような複雑な気持ちになりました。

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『我が愛する詩人の伝記』は犀星による11人の詩人の伝記です。これも抜群に面白かったです。何がって、犀星の手にかかると、各章が詩人の伝記と作品論というより、詩人その人を含めた一人称の短篇小説になってしまうから。北原白秋や朔太郎、高村光太郎犀星の主観にどっぷり浸けられた姿で登場していて、多少偏っているのかもと推し量られつつも、そこは犀星の人徳というか文の徳で、会ったこともない(そしておおかたは読んだこともない)詩人たちに優しい気持ちと懐かしさを抱かされます。

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この2冊の本は、詩人たちによる詩人たちの話です。当時の社会情勢には、戦争にかんする数か所の記述を除いてほとんど触れられていないところも興味ぶかいです(金の工面の話はしきりに出ますが)。読者は現実やイデオロギーのことはいったん忘れて、詩人たちの交友が醸し出す独特の雰囲気のなかを逍遥することができます。大正デモクラシーは芸術家が芸術というコクーンのなかにいることができた時代だったのかもしれません。

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