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『The Bluest Eye』Toni Morrison           ~「色」と「美」の呪力~

1. 色は支配する

『The Bluest Eye』の物語の主役はじつは色なのではないでしょうか。
黒人であるトニ・モリソンのデビュー作の主人公は、黒人の少女ピコーラ。ピコーラとその家族や友だち、彼女の住む町の人びとを通して、人種差別、性差別、性暴力、家庭内暴力の一筋縄ではいかない姿が描かれます。
ナラティヴは、ピコーラの友だちクローディアによる一人称の語りの章と、視点の異なる三人称の章に分かれていて、色と色の対比――突き詰めれば白と黒の対比――に満ちています。

白人(性)を喚起する表現――白い肌。青い目。緑と白の家。赤いドア。赤いドレス。緑のニーハイソックス。黄色い巻き毛。ピンク色の肌の人形。菓子の生地みたいに白い顔。白い肌と青い瞳を持つシャーリー・テンプル。移民の白人店主。ペールイエローのキャンディの包み紙に描かれた白人の女の子。パリッとした白いシャツ。緑の瞳の白人の女の子のレモンイエローのセーターとケリー・グリーンのソックス。艶やかな緑の植え込みのある庭。エリー湖畔の青い空。

黒人(性)を喚起する表現――黒い肌。黒い(って何?という問いも含め)こと。茶色いストッキングと黒いガーター。くたびれた女のように今にも倒れそうな灰色の家。茶色の家。ピコーラの流した赤茶色の月経血の染み。茶色い歯。悪意ある過激なコメント(Black and red words)。灰色の下着。褐色の肌の人たち。製鉄工場区域のところどころオレンジ色の空

このほかにも、皮肉な感触を持って混ざり合う、対置された色のイメージが印象的です。
ピコーラ(黒人)はオレンジ味とパイナップル味のアイスクリーム、モーリーン(白人)はブラック・ラズベリー味。黒い顔なのに青い目を持つ猫。黒人の下宿人ヘンリ小父さんの「淡い緑色の言葉」……

『The Bluest Eye』の世界では、「差異」を目に見えるかたちで表す「色」があちこちに仕掛けられています。そもそも「色」はスペクトラムであり、境界線や範囲は明確ではありません。カラーチャート上の純粋な白や黒、赤や緑は人工的なものです。しかし人間はカラーチャートのように人を分けます。脳にとっては楽だから。
科学的には根拠がないとされるが、抜きがたく人間社会に存在する「人種」の概念。黒人・白人・アジア人・インディアンなどという大雑把な区分が、現在もなおステレオタイプ化と分断を生み続けています。
そもそも「白黒はっきりさせる」「black and white situation」のように、両極端なこれらの色を、人間の肌を言い表すのに使うという精神がすでに雑駁すぎて、人間というやつに心底がっかりします。この件については、差別の起源や色の文化社会的背景についてもっと学び、改めて書きたいと思います。

『The Bluest Eye』のなかで貧困と性暴力と並んで告発されている人種差別は、硬直した枠組みにあてはめて捉えるべきものではありません。「差異」や「差別」は、客観的に限定されたなにかではなく、流動的で主観的。人間は色を使って差別をするけれど、同時に色の曖昧さに裏切られてもいるのです。
先述したように色はスペクトラムで、黒人のなかにもいろいろな肌の色や外見の違いがあり、自分たちをBlackと呼びながらもコミュニティーの内側で微妙な区別が存在しています。概して、肌の色が薄いほど、より濃い肌色の人間を見下げる。つまりは黒人の白人至上主義です。「有色人種」と「黒人(nigger)」は着ているものから振る舞いまで異なると書かれています。また、憎しみや怒りを自分を差別する白人ではなく、黒人の若い女に向ける黒人の男たちもいる。性差別でもあるけれども「人種」差別の延長線上にあるように思えてなりません。

差別する心理。差別する心のなかにある何らかの基準。差別の「差」は優劣をつけるためのもの。人間は「差」を通して世界を理解するための物語を構築しようとします。伝統的にそれは神を頂点とした世界で、その神は「白人の男」として表象されます。建前では、そして現代において、それがどんなに非論理的だとわかっていても、キリスト教圏の人間の心のなかで父なる神はやはり男で白人なのではないか。

2.美は支配する

「人種」差別と美醜による差別は、ここでは並列関係というよりはほぼ同義関係にあるといったほうがよいでしょう。醜い娘として育てられてきたピコーラは、人びとに大事にしてもらうためには美しくあるべきだと信じています。彼女が「美」とみなすのは、すべて当時の白人の属性。白い肌、金髪の巻き毛に、明るい色の洋服、こぎれいな緑と白の家。やさしい、経済的に安定した家族。シャーリー・テンプル。
美は正義なのです。
自分がもしシャーリー・テンプルみたいな金髪碧眼の少女だったら、特別な存在になれる。父母にも大事にしてもらえる。幸せになれる……
ピコーラは青い目の黒猫の存在を知り、「美しさ」の象徴である「青い瞳」を、黒人の自分にも青い目を授けてくれるよう神様に願い続けます。しかし「汚い」存在として暴力の餌食になり続ける彼女がたどりつき、「青い瞳」を「授けて」くれたのは、神ではないある人物でした。この人物こそ、前に述べた「人種」「色」の恣意性を象徴しているのではないかと私は感じました。

終盤で、ピコーラが謎の相手と「この世で一番青い目The bluest eyes」について対話する場面には震撼させられました。対話の相手はもうひとりの自分なのか、それとも死んで生まれてきた子どもなのか。ピコーラは地上で誰にも負けないくらい「青い」目でないと嫌なのだと言います。
この対話を通して、実父の子を妊娠し失ったピコーラが、今やっと何ものにも冒されない青の世界にたどり着いたことを読者は知ることになります。青い世界は、彼女があこがれ続けた純白の清らかな世界であると同時に、深い闇の狂気の世界。真っ黒な闇の世界。

究極の青さは、闇の黒でもあるのでした。

原文タイトル『The Bluest Eye』に込められた意味もここにはあるのではないでしょうか。
Bluest(もっとも青い)という最上級は無敵の正義である美を意味し、eyes(目)ではなく、Eye(「眼」)という単数になっているのは、感覚器官である目ではなく、眼が象徴する人格、Eye=I(わたし)という唯一無二の人格を指していると、私は読みました。

無知で無邪気な子どもとして描かれる、唯一の一人称語り手のクローディアは、狂うことによって救われたピコーラが、青空へ羽ばたこうとする鳥の真似をしてさ迷い歩く姿を遠くから眺めます。
ことの顛末はこうだったの、と単純に語るクローディアの言葉を通して、「差」によって抹殺される人間と、彼らの社会的な死によって生かされる人びとがいることが浮き彫りになります。

「…汚いものはピコーラに押しつけてピコーラに吸い込ませた。ピコーラのものだった美はわたしたちがもらった。ピコーラを知っている人間はみな、ピコーラのおかげですっかり清潔になったので、健やかで申し分ない気持ちになっていた。みにくいピコーラの上にまたがって、わたしたちはうつくしかった……ピコーラが貧乏であるかぎりわたしたちはゴージャスだ。ピコーラがみた恐ろしい夢でさえ、わたしたちの悪夢をおいはらうのにやくだった」(205)
「わたしたちは嘘をうまくつくりかえて本当のことだという。古い考えに新しい装いを与えて、そこに〈啓示〉と〈福音〉をみいだす」(206)

美があって醜があるのではありません。これらは循環しています。そして人が美と醜というとき、その本質は微妙で複雑でとらえがたい「差異」にあります。しかし人はそれを黒い闇で塗りこめる。濃い肌色をした人間を「黒人」と呼び始めた人びとの心こそが、闇の中にあったのではないでしょうか。

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わたしは、「差」に興味があります。差別問題も、人間関係の悩みもすべて「差」が関係していて、物事の本質は要素ではなく要素間の差異や視差にあると思うからです。

そして最近はインターセクショナリティを扱った文学作品を好んで読んでいます。
拙文を書いているさい、「黒人」とか「白人」という言葉を用いるのに嫌悪感を覚えました。仕方ないとはいえ、いちいち肌色を指定することに抵抗があります。肌の色とは何か、色による差別とは何だろう。世界がたとえばいわゆるインターレイシャルの人間ばかりだったら、差別事情はどう変わるのだろうか。肌の色があるのは自然が人間に課した宿題(=宿命的な問題)なのだろうか。それともそうやってストーリーを求めること自体が人間の宿命なのでしょうか。

『The Bluest Eye』はヘビーな物語です。この重さを直に読者の心に突き刺すかわりに、語りと物語時間に重層構造を与え、能天気に「黒人の哀しみ」などの紋切り型の感想を持つことを許しません。しかし同時にくるみ込むような優しさがあり、それがモリスンの作品の美しさなのだとわたしは感じました。

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私が読んだバージョン:
『The Bluest Eye』 Vintage International刊、2007年
日本語訳は、未読ですが『青い眼がほしい』大社淑子訳(早川書房)があります。
文章中の邦訳は拙訳です。まさかそんな方はいないと思いますが、拙訳や解釈が学習用に参考になるかどうかは保証できかねま~す。
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