「あるはなく」(千葉優作さん)

千葉優作歌集『あるはなく』を読みました。好きだった歌などを。

装幀も良いのです。ちらちらと細くひかる金が美しい。箔押しはともすれば華美になりそうなものですが、タイトルと著者名が黒字であるためか、落ち着いた風合い。手触りはちょっと布のようなざらつきがあって、ああ紙の本は良いなぁと改めて思いました。

《こはれもの注意》の札を このところ海を見たがる君の背中に
たはむれに君に蹴らるるよろこびのくすぐつたさを告げさうになる

何度でも言うが、ずいぶん前からずっと好きな二首。推しが選抜に入って嬉しいファンはきっとこういう気持ちなのだろう。特に「たはむれ」の歌の結句。告げそうになるだけで告げない、その奥ゆかしさ。もうね、これはね、もうなんにも言えないぐらい好きな歌です。たぶんずっと好きだと思う。

出棺を見送る父のこれ以上先へゆけないこの世の岬

「この世の岬」が良い。この世とあの世の、生者と死者の絶対的な隔たり。取り残された者の孤独。そしてその孤独の中にたたずむ人に、かける言葉が見つからずたたずむ自分。

ほんたうは僕が変わつたせゐなのに度が合つてないと言はれるめがね

この発想はなかったけれど確かにそうだ。変わってしまったのはこっちなのにというのは、何も人間と眼鏡の関係だけではないだろう。

信用なんてするんぢやねえよ おれなんて靴下に穴空いてるんだぜ
トリカブトみたいな色の服を着て「根はいいやつ」なわけないだらう

職場詠だろうか。生や死を見つめる歌が多い歌集だが、中にはユーモラスなものもある。1首目、下の句のオチが絶妙。だめなんだけど最悪レベルのだめさでないのが絶妙。ただしこの日は葉ね文庫には行けないな。
2首目、これが可笑しくて「ふっ」と声出して笑ってしまった。「根はいいやつ」なわけないよな。絶対ない。だってトリカブトだぜ?

塩を足すやうにはゆかず 春の夜の結句五文字が決まらぬ歌は

個人的な話になるけれど、5~6年前の「R-2ぐらんぷり」(※「うたの日」の管理人であるののさんが主宰していた、二人一組で一首作って参加するweb歌会)を思い出した。私は一度千葉さんと組んで参加したことがあるのだが、作っていく過程でここをどうにかしたいのにどうにもならないという部分があって大変難儀した。もうほとんど出来ていてあと5文字とか7文字とか思って考えるけれど、短歌はそんなクロスワードパズルみたいな考え方で作るものではないはずなのだ。そこまでの26音なり24音なりを受け止める結句を持ってこなければならないのに、考えれば考えるほど何が良くて何が悪いのか分からなくなり、もうなんでもいいから言葉よ降ってこいという気持ちになり(なんでも良くはないのだが)、前に進んでいるつもりがもしや同じ場所をぐるぐる回っているだけなのでは、いやそれならまだましな方でもしかして後退しているのでは?という疑問が頭をもたげてくるともういけない。おかしくなるかと思った。自分ひとりの歌ではないから余計に手も気も抜けないし、今となっては良い思い出なのだけど、あのときは苦しかったなぁ。

すごいな、音が。トタンの屋根に砕け散る驟雨がひかるまでもの思ふ

感覚が生きていると思う。すごい音が聞こえるとき、人にはまず「すごい」が来る。うっわ、すごい、何、音だよなこれ、音がすごい、音が。って。句点があることで時間を感じる。主体の耳が音に持っていかれる時間、その激しさに感情がゆさぶられる時間、驟雨がトタンに落ちて砕け散ってひかるまでの時間。

半身を彼岸に残し立ち尽くす神田日勝絶筆の〈馬〉

神田日勝の〈馬〉を知らなかったので調べたら強烈だった。人の死をこんな形で目にしたのは初めてかもしれない。現物を見るとさぞ凄みがあるだろう。歌集に登場した塚本邦雄や古典和歌以外にも音楽や絵画など、さまざまな芸術が千葉さんの創作の力になっているのだろうと思う。

アキアカネその二万個の複眼に映る二万の夕焼けがある
夕焼けに奪はれしわが二つの眼この世のほかの世に燃えてゐむ

北国の自然を詠んだ歌も多い。並んでいる二首、二万個と二つの対比が面白い。生き物の眼の数だけその夕焼けがあるなんて、途方もないことだと思う。そしてロマンがある。夕焼けを長く見ていると、ここがどこだか分からなくなる。そしてそのまま、うんと遠くへいけたらいいのにと思うことがある。

あまり拙い感想を延々と書くのも憚られるので、ここでとどめる。

引用した歌以外にも、ハツの歌のように初出からの推敲が見られる歌があったり、ツイッターのハッシュタグが連作のタイトルになっていたり、小さな発見があった。全体を通して、水たまり、ヴィーナスの幻肢痛、卵の模様がないこと、種の抜かれたオリーブ、巻きずしの端など、ないけどあるもの、かつてはあったものを見る目が印象的だった。そして生と死。『あるはなく』というタイトルからは死や無常を連想する。近しい人を亡くす悲しみや、災害や戦争で人が亡くなる嘆きや怒りを詠んだ歌も多い。しかし千葉さんが見つめる先には、人だけでなく様々な生きるものの命がある。軍艦の卵、ハツ、鯖缶の鯖、楡……命が失われていくことは悲しい、しかし彼の歌はその悲しみだけでなく、それを逃さず捉える冷静さとすくいあげる優しさとに裏打ちされているように思う。北国の自然を詠んだ歌も美しく、作者をとりまくあらゆるものが歌の源になっていると感じる。あらゆるものを、流し見てしまってはいけない。だから私は短歌ができないのだ、とうじうじなり始めたのでこの辺りで締めくくろうと思う。

これからの活躍を期待しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?