『トイストーリー4』というおもちゃの世界の脚本の歪みは比較構造の歪みから生まれたのではないか、という疑問。

よく来たな。ここには冷えたコーラもある、最高においしいアンチョビピザもたっぷりある。私が全部食うからな。それぐらいに激おこだ。だがクールに怒らなければならないのでこれからの駄文を書いておこう。

上のがずいぶん昔に書いたnoteで、下のが一番直近に書いたnoteだ。

先に言っておこう。私はシュガーラッシュオンラインは悪くない良作だと思う一方で、トイストーリー4は残念な凡作だと思っている。すごく脚本がよろしくないのがトイストーリー4だ。
では何がそんなに悪かったのか? 分析してみたほうがいい気がしている。

同じピクサー、いやディズニー作品か。続編もので賛否両論別れた作品だから比較する価値は大いにあるだろうと思いこの記事を書くことにした。その性質上両方の作品のネタバレになるから注意ね。

つまり作劇、脚本術から見た二作の違いだ。

ああ、これも書いておかないといけないな。
こんなこと書いてる暇があったら小説本文書かなきゃあならん。

対比構造の有無

まず感じたのがここ。

物語とは対比構造があるからこそより深みが増すものだ。
立場の違い、金持ちか貧乏か、男か女か、善か悪か、そういった立場の違うもの同士が衝突して意見を交えたり相反したり、譲れないもののために戦ったりするから物語は深みを増していく。

まずはシュガーラッシュオンラインを例に取ろう。こっちの作品には主人公は「ラルフ」と「ヴァネロペ」の二人がいる。

24年間悪役を務め続け、前作で彼女だけのヒーローになったラルフの立場は「これからもヴァネロペとずっと一緒にいられる」という現状維持である。

一方でお菓子の国のレースゲーム「シュガーラッシュ」でバグを抱えたヒロインのヴァネロペの立場は「新しい世界で生きてみたい」という変化である

ラルフは現状維持を主にしてるのに、ヴァネロペは変化を選ぼうとしている。ヴァネロペにとってはそれは友情の延長であるけれど、バカのラルフにとってはそれが理解できてない。友情の裏切りに感じられてしまい、その誤解から取り返しのつかないことをやらかしてしまう……というのがシュガーラッシュオンラインの「対比構造が起こす物語のキーポイント」だ。

対比構造が欠損したトイストーリー4

では次にトイストーリー4だとどうであるかと言うと、その対比構造が歪んでいるのである。

主人公であるウッディは「持ち主のおもちゃとして尽くす」ことを目的としている。しかし現状としては持ち主であるボニーから愛を失われつつあり、だから代わりに愛を受ける存在となった、彼女の自作の先割れスプーンのおもちゃであるフォーキーを彼女の手に戻そうとするのである。

ではウッディと対比すべき存在は誰であろうか?

アンディの家から9年前に離別した牧歌的な陶器製のランプ付属の女性のおもちゃ、ボー。彼女はアンティークショップでホコリをかぶった生活をした後に、そこから抜け出て「外の世界で生きる持ち主不在のおもちゃ」として生きている。強い女性の表す像かもしれないね。

持ち主の元で生きるおもちゃ」と「持ち主のいないおもちゃ」という比較の図になりそうに見える。

だが、実際にはそうではないのだ。

ここがトイストーリー4の脚本の歪んだ部分である。
ボニーはたくさんおもちゃを持っているが、持ち主であるボニーから愛情を失われているのが主要人物でウッディだけという歪みが生じている。

新しく作ったおもちゃのフォーキーは当然として、ウッディの親友であるバズ・ライトイヤーも、女カウボーイのジェシーも、臆病な恐竜のレックスも、豚の貯金箱のハムも、顔パーツ分解できるポテトヘッド夫妻も、バネ仕掛けの胴体で物語の要所で強い力となった犬のスリンキーも、今のところはボニーから愛情をもらっているのである。

そう、ウッディを対比させる人物はボニーではない、バズ・ライトイヤーを筆頭とするボニーのおもちゃたちにもなりうる。
そもそもの話ウッディだけが愛情を失われているのが強引すぎるご都合主義なのである。

実際ウッディがほぼ最古のおもちゃであるかもしれないし百歩譲るとしてもだ、1から出ていた最古参の仲間たちがウッディの姿を見て「次は自分もああなるかもしれないな」と危惧する場面もないし、それを詮無きことと受け入れているドライな部分もあったりする。
あれだけ「人形にも心がある」という哲学で語ってきたトイストーリーなのに、ここに至ってご都合的に心を描写しないのはなんなわけ? となる。これをご都合主義と言わずになんというか。

ぶっちゃけ、4で「最古参のおもちゃたちの活躍の出番がほとんどなく、ボニーの車内か部屋の中にいる存在でしかない」時点でキャラクターとして扱いきれてない欠陥品の脚本に思えてならない。

まだ愛をもらっている最古参のおもちゃたちの意見が不在

『持ち主からから愛を失われつつウッディ』と『今のところはまだ持ち主から愛をもらっているバズやフォーキー』と『持ち主から離れた自身の生を謳歌するボー』という3つの対比構造があるにもかかわらず、その中間的存在をほとんど描写せずに描いてるのはあまりに雑に思える。
特にフォーキーは今作の重要な要であるのに、描写を避ける立ち位置にあるせいでふわっとしたキャラになっていると思う。
その歪んだ対比構造のもたらす結果はボーの立ち位置が正しいという立場の押し付けになるわけだ。

「持ち主から愛を失われたおもちゃは忠誠心を捨てて野に走ればいい」という短絡的な結論を語る物語がトイストーリー4になってしまったのだ。1,2,3でウッディが主人公たらしめたのは「誰も見捨てずにアンディの元へ帰る。アンディが俺を必要としなくなりつつあっても」だったのに。ウッディだけが特殊な環境なのにね

それに考えてほしい。最古参のおもちゃがウッディと同じように愛を失われるのは将来的に必至のはずなのに、そこの描写は抜け落としていいのか?ということだ。「外の世界はこんなに広く楽しいものだ」というボーの主張を正当化するために、将来的に発生する問題を無かったものとして見落としてるのは不平等というやつだ。

最古参のおもちゃが愛を失われるたびにトイストーリー5、6、7を作るつもり? いいの? それで? と思ってしまうのだ。

愛を失われつつあるおもちゃ」というテーマではすでに3が語り尽くした物語であったし、あの時は「ウッディ」と「それ以外のおもちゃ」たちで立場が逆転していた。ウッディは全力を尽くして仲間たちを救い出したし、しかし当然落ち着くはずであろうエンディングの更に上のトゥルーにたどり着いた。
これ以上語るにはまず3を語らないといけないからひとまずおいておこう。その答えは永遠の命題に対する最高の答えであったし、今でも打ち震えるほどの感動すら覚えるものだ。次のnoteで書くね。


まぁ、それを4で否定してしまったわけだが……


どうすればよかったのか?


問題点を指摘するのだから、その改善点も挙げなければならない。
対比構造の歪みを治す方向で考えてみよう。

個人的に思うのは「ボニーから愛を失われつつあるのが主要人物でウッディだけ」というのがリアリティの喪失につながっていると思うし、それを「子供心ってそんなもんだよ」というチャチな屁理屈で片付けるのはあまりにナンセンスだ。

では答えだ。「愛を失われつつあるおもちゃが、ウッディ以外にもうひとりいる」にすればいい。

想像してもらいたい。ボニーがおもちゃで遊ぼうとするけど、ウッディと「あるおもちゃ」は愛を失われつつあって遊ばれない。そんな中新しい自作のおもちゃフォーキーが現れる。ボニーの元から逃げ出すフォーキーを命がけで追いかけるウッディに対して「あるおもちゃ」は「我々は愛を失われつつあってもボニーのおもちゃだからここにいるべきだ」と言ってウッディと離れる。
そんなこんなでフォーキー救出劇とかいろいろ物語を経て、ウッディは外の世界で生きることを決断する。もうボニーは自分がいなくても大丈夫だと理解した上で。
だが「あるおもちゃ」は「ボニーから愛を失われていても、私はボニーのおもちゃとして側に居続けよう」とウッディについていかず、別れを受け入れる。みたいな流れだ。そうすれば最古参のおもちゃたちも愛を失われても、「あるおもちゃ」がその時に正しい答えを見つけてくれるはずだと信頼できるからね。

こうすればウッディの決断も補強されるし、1.2.3で語られてきた忠誠心についても捨てない人物が現れることになる。両者を尊重しなければならないから両者がいないとおかしいのだ。

私は「あるおもちゃ」を「バズ・ライトイヤー」に設定する。

1.2.3をずっとついてきた相棒であるし、彼らの中では一番自我がはっきりしてる存在であるしな。ウッディのいない5でバズが主人公となってまた新しい物語を紡ぐなら大いに分かる部分でもあったし。苦肉の作だが私ならそうするかなぁという提案だ。

4では完全にアホの子状態にされたからなぁーー。ハァー!!

さっさとまとめろ。

つまり「愛を失われつつあり、ボーの誘いに乗る形で自己の道を見つけ出す者」と「同じく愛を失われつつあるが、それでも持ち主のいるおもちゃとしての生き方を貫きたい者」という二つの比較構造があれば、より4はしっかりした脚本になっていたと思うんだ。
新しいを描くには古きを忘れてはならんというのに。

ともかく、ストーリーにおいては対比構造とはキャラクターの在り方を強調する要素であり、これが欠けると途端に「一方の意見だけが正しい」と言われるような駄作に成り代わってしまうようでもあるのだ。

今回、その弊害は「過去作で描いてきたものの否定」という形で顕現してしまったのだがな。
一旦筆を置こう。次のnoteの予定は「トイストーリー3の美しさ」を描こうと思うつもり。

最後に一言。トイストーリーの最終作は3だ。

私は金の力で動く。