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Harry Potterと現在完了

英語を学ぶきっかけや目的は人それぞれ。
海外に住みたいから勉強する人もいれば洋画を字幕なしで理解するのが目的という人もいる。
私にとっては「洋書を読む」のが英語学習の目的の1つだった。

小さい頃から読書家だったとか、年に何十冊も本を読んでいたとか、そういう逸話は残念ながらない。
どちらかというと日本語の本もさほど読まないくせに英語の本を読みたがる只の格好つけだった。

そういうわけで初めて洋書を読んだのは高校生の頃。
もちろん一般的なペーパーバックが読める程の英語力があるわけもなく、最初はストーリーと英文が簡略化された「ハイジ」に挑戦。
一語一句を100%理解するのは難しかったけれど、「なんとなく読めた!」という感覚とともに1冊コンプリート。

この「なんとなく読めた!」という感覚はその後洋書を読むにあたって大いに役立った。
「単語や表現が全部わからなくても大まかに理解できれば本を読むのに苦労しない」ということがわかったからだ。

今も洋書を読んでいて思うことは、完璧主義になって一語一句調べているときりがないし何よりストーリーに入り込めない。精読は勉強法として素晴らしい方法だけれど、個人的に洋書(特に小説)は精読には向かないと思う。
私の場合は精読は英字新聞で、多読は洋書で、というふうに無意識に区別して勉強していた。

日本語で一番最初に読んだ本は何?と聞かれてもすぐに答えられないけれど、洋書の場合はどの時代に何を読んでいたかを割と具体的に覚えている。
意識的に勉強したからなのだろうか。

ハイジを読んだ後はペンギンリーダーズを読むようになり、いわゆる「多読」の道に進んでいった。当時は自分が多読をしているという意識はなかったけれど、振り返ってみるとあれが多読の始まりだったんだと思う。
最初は知らない単語だらけだったのが、たくさん読むうちになんとなく前後の文脈からその単語の意味やニュアンスを推測する力がついた。

世の中には色々な学習法があるけれど、やはり多読・多聴ほど効果があるものはないと思う。子供が母国語を学ぶプロセスがまさにそれなわけだから、大人が実践して全く同じ効果は出ないにしても十分に取り組む価値のある学習法だと思う。

そんなわけでいつのまにか洋書多読にのめり込んでいった私の次の目標は「Harry Potterを洋書で読むこと」だった。
これは私と同世代(いわゆるHarry Potter世代)の方なら共感してくれると思うのだが、Harry Potterが人気になった頃、学生たちの間では「Harry Potterが英語で読めたら真の英語が出来る人!」といった一種のチャレンジのようなものがあった。

私はリアルタイムでそのチャレンジに乗る英語力はなく(何しろあまりの難しさに私の周りでは挫折者が相次いだ)、もう誰もそんなチャレンジをしなくなった頃にようやくHarry Potterの第一巻を手に取った。

Harry Potterの第一巻を読み始めた私の最初の感想はというと…

「難しい…知らない単語が多すぎる」

想像以上の難しさだった。でも粘った。
Harry Potterの映画は見たことがあるし、日本語版もちょっとなら読んだことがあるし、読み進めればなんとかなるはず!という持ち前のポジティブシンキングで頑張った。
そして超絶スローペースで半分ほど読み進めた頃、あることに気づいた。

「これが現在完了のニュアンスなのか!!」

腑に落ちるとか、ピンと来るとか、私の少ない日本語のボキャブラリーではその時の感動を上手く表すことが出来ない。
英語的に言うと「It clicked.」だ。

日本で育ち日本で英語を勉強してきた者として「現在完了」は本当に厄介な英文法の1つだった。
どれだけ参考書の説明を読んでも仕組みが理解できない。
先生がよく黒板に書くタイムラインも、とにかくわかりづらい。
「日本語の参考書の説明はわかりづらいから、英語で書いてあるテキストをやったほうがいいよ!」と言われて英語の文法書も買った。

うん、わからん。

正直、現在完了を理解するのは、なかば諦めていた。
留学経験のある友達に質問すると、

「現在完了って日常会話であんまり使わないよ」

という回答すら返ってきて余計に困惑した。

英語がある程度話せるようになった今、私自身も「その文法はあまり使わないよ」と学習者に言うことがあるけれど、言われた本人からすると一番求めていない答えなのは間違いない。
使うか使わないかより今は仕組みが知りたいんだよ!と当時の私は心の中でキレていた。

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