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【信仰】朝日出和歌神子と山形県の「オナカマサマ」

名取老女は、別名「アサヒ」と呼ばれていた地域があります。

福島県 明王山 大聖寺では、一説に名取老女旭がこの地に草堂を結んだ。

(名取旭)御堂の鐘より

その旭(朝日)神子と山形のオナカマサマとの関わりがありました。

山形県山辺町にある十八夜観音堂

ここで使われた大量の巫女の道具が
中山町民俗資料館に文化財として保管されています。

村山地方一円から納められた数多くの
「オナカマ」の道具や絵馬など合計951点が、
国の重要有形民俗文化財に指定されています。

資料館に、朝日がルーツとなった文献がありました。

朝日出和歌神子由来

「東北地方に分布する口寄せ巫女習俗の由来を述べた文書で、古川郡(岩手県)高清水の長者北久太郎の娘「朝日」がルーツであると記されている。

ここに出てくる「最上、月山」が「岩谷」に当てはまり、巫具を授けられたところと考えられる。そのため、一生お世話になったというわけで
酒一升を添えて巫具を返納したのであろう。

置賜は「ワカ」村山は「オナカマ」庄内は「ミコ」と呼称は異なるがルーツは同じであり、口寄せ巫女が一本立ちする時に読み聞かせた
「打初め手形」は、山形県内から4点発見されている。」

中山町立歴史民俗資料館より(撮影許可頂いています)

打初(うつしそ)とは、
座頭の妻にならないと発行できないこと。

巫女伝承を記し与えることで「和歌神子」になるための許可状。

オナカマサマが、一本立ちをする時によむ場合、
師匠が語り聞かせるか、目の見える人がよみ聞かせた文書のことを言う。

朝日姫の墓(栗原市)

説明書きには、「岩手県」の古川とあるのですが、
文献には、「栗原郡」とある。

「大崎」の文字があることから、
宮城県栗原郡の高清水ではないか、と思います。

そうであれば、民俗学者ネフスキーが
高清水(栗原)の巫女について言及していたことに繋がりますが、

宮城、岩手県では共通の朝日神子伝承があります。

『高清水拾遺志』より

「志津川村(清水川)朝日館の城主葛西の家臣、
千葉太膳太夫秀次という者の妻は、葛西氏の娘なりしが、

天正の乱に滅亡して所々、流浪の身の上となり
徘徊し、明け暮れ泣きあかし、後に盲人となりも之を朝日姫と称す。」

宝暦元年の頃、その氏族がたずねて来たが、
姓名を問わず、あるいは、愛宕山の塚がその墓であるとも言われる。

※葛西氏の朝日盲巫伝承
https://note.com/natoriuba/n/n9bd44e9e8704?magazine_key=mc3c31b77320a

気仙沼高田には、武比長者の娘(朝日姫)の話し。

「用明天皇のころ(586~587)、
全国から宮中の女官の采女(うねめ)を募ったとき、
陸奥国からは、気仙郡高田の武比長者の娘朝日姫が選ばれた。

朝日姫は、都に上がるときに慣れない船旅で体をこわし、
陸路で都を目指すことになったが、姉歯の里にたどりついたころには重態となり、ついにこの地で命を落とした。
里人は朝日姫を不憫に思い、懇ろに葬った。」

姉歯の松として和歌も残される。

栗原の あねはの松の 人ならば 
都のつとに いざといわましを  (在原業平)

岩谷十八夜観音堂

再び、観音堂に戻ります。

これらの道具があった場所は、少し登ったところ、山の方にあります。

山形県東村山郡、「岩谷十八夜観音堂」

昔から目の病気をなおす仏神として信仰され、
本尊の縁日が18日であることから十八夜観音といわれています。

「観音堂の縁起には、飛鳥時代の開基とあるが定かではない。
拝殿は大同2年(807)に再建されたとの言い伝えがあるが、
現在の拝殿は江戸中期の建物と鑑定されている。

また、本殿は文政9年(1826) 8月18日再建の棟札が残っている。

しかし、観音堂の南西約1㎞の高峰山頂近くに「奥の院」と呼ばれる場所があり、そこの洞窟内にある石造物(宝篋印塔=鎌倉~室町時代)の存在から推定すれば、古い時代に建造されたものが再建されたものとみられている。」
※中山町のサイトより。

中山町立歴史資料館

文化財遺産オンラインには、

「我が国には、古くから、庶民の依頼にこたえて神がかりし、
神意を託宣する巫女がいた。

山形県村山地方は、こうした巫業が盛んだった典型的な地域の一つで、
オナカマと呼ばれる巫女たちによる巫業を介して庶民信仰が濃厚に展開されてきた。

この庶民信仰資料は、オナカマや信者たちから篤く信奉されてきた
岩谷十八夜観音をめぐる関係資料を体系的にとりまとめたもので、
オナカマの巫業に関わるもの、信者から岩谷十八夜観音に奉納されたもの、
および前二者に密接な関係にある関連資料を網羅する内容となっている。

岩谷十八夜観音をめぐる庶民信仰の実態と
推移を即物的に理解することができるものである。」

修験の関わりはとても深く、
獣の牙や骨、貝殻や古銭などがはさまれた飾をしています。

葉山(羽黒)の巫女が訪れ、御堂の前に小さな草庵を建てて布教をおこなったという伝承もあるそうです。

秋田のオシラ神を祀る巫女は、羽黒山にとても多いそうで、
オナカマ・ワカ・ミコなどと称されていました。

名取老女と旭神子は、別にあったと考えられますが、
日本海と太平洋側の信仰が交差している
名取老女とあさひの巫女伝承には、興味深いものがあります。

※中山町立歴史民俗資料館

https://www.town.nakayama.yamagata.jp/site/kanko/rekisiminnzokusiryoukann.html


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