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あこや姫と松の木の精霊物語

山形県山形市内に千歳山という小さな里山があります。

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山形自動車道を使い、仙台から山形市内へ入ると目前に見える三角形の山が千歳山。(画像:wikipedia)

この付近の地名には「千歳」という名前がついているほど、地元では有名です。(画像下:あこや姫の塚がある萬松寺)

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この伝説を始めて知った時、
当時の東北地方は、島流的に考えられたような気がして、
誰かによって創作された物語は、末裔たちにより、密かに語られてきた事があったと思います。

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あこや姫の伝説は山形県に限らず、遠く兵庫県にもあります。
宮城県にもあり「藤原実方」と結びつけられています。

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なぜ、あこや姫は、みちのくで語られるのか?
あこや姫の神秘な世界を。

阿古耶姫と松の木の精

『まだ都が大和の藤原に置かれていた昔のこと、
貴族の藤原豊成は出羽国(山形・秋田県)の領主に左遷されたので、
娘の阿古耶姫を伴って、任地に赴いた。

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そして、いまの山形市内千歳山のふもと、平清水に居を構えた。

娘の阿古耶は、管絃の技に優れており、
時に遠い都をしのんで琴を奏でることもあった。

ちょうどその夜も、阿古耶が琴を弾いていると、
どこからともなく琴の響きと調子を合わせるように笛の音が聞こえてきた。

その妙なる音に誘われ、阿古耶がふっと顔をあげると、
柴垣の向こうに端麗の若者の姿がみえた。

「はてどなたであろう」
この近くでは見かけぬ若者と、阿古耶はいぶかしく思ったが、
若者はただ無心に笛を吹いていた。
その若者は、次の夜もまた次の夜も、
阿古耶が琴を弾き始めときまって、
姿を現し琴の音にあわせて笛を吹くのだった。

阿古耶はいつかその若者にひかれていき、
やがてふたりはある月の夜、一つに結ばれた。

マツ

だが、若者は「名取左衛門太郎」と名乗ったのみで、阿古耶がいくら尋ねても、素性を明かさなかった。
阿古耶は、それでも満足だった。ふたりして肩を並べて曲を合奏し、
恋の思いを語りあっているだけで、十分幸せだった。
そんな甘い夜が、いく日か続いた。
しかし、間もなく別れの時がやってきた。

ある夜、いつものように姿を現した若者は、いかにもつらそうな顔でいう。

「いままで隠してきたが、実は私はあの千歳山の老松の精なのです。
あなたの琴の音があまりに美しいので、
ついこのようにして人間の姿をかりて、おそばにまいったのです」

聞いて阿古耶は、思わず驚きの声を上げた。

若者は悲しげにうなずきながら、なおもことばをつぐ。

「私は、あなたがおられるかぎり、ここにまいるつもりでおりました。

でも、とうとうそれがかなわなくなりました。
私は明日の朝、名取川に架ける橋の材として切り倒されることになったのです」

阿古耶は気も転倒し、ひしと若者にすがりついた。
だが若者は「最後のお願いがあります。

姫、あなたの手で明日私に引導を渡してください」
そういい終わるなり、ふっと煙のように消えてしまった。

翌朝、阿古耶は悲しみにうちひしがれながら、千歳山の山道を登った。

すると若者が言ったように、一本の老松が伐り倒されて地上にころがり、
おおぜいの村人がそれに綱をかけて引きおろそうと、ウンウンうなっている。

老松はびくりとも動かない。それを見ているうちに、
「引導を渡してくれ」といった昨夜の若者のことばが、阿古耶の脳裏にひらめいた。
「私に松を引かせてください」

阿古耶がまえへ進み出てそういうと、村人は怪訝な顔をしたが、
困惑しきっていたところなので、素直に綱をわたしてよこした。

阿古耶は優しく老松を撫で、心の中で別れを告げながら、そっと綱を引いた。
すると、それまで巌のように動かなかった老松がスルスルを動き始め、
そのさまはあたかも老松が自分の意志で阿古耶のあとを慕いゆくかのごとくであった。

その後阿古耶は、老松のあった跡に草庵を営み、一本の若い松を植えて、
老松の精の菩提を弔った。

阿古耶はその草庵で亡くなり、
遺体は新しく植えた松の根方に葬られたので、
その松はやがて阿古耶の松とよばれることになった。
また、笹峠は「阿古耶」と松の精がささやいたことから付いた名前である。』

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千歳山山頂に2つの「阿古耶松之遺跡」があります。

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伝説の中の異類婚

伝説にある松の木は、笹谷峠の道沿いにあるとの事ですが、千歳山の松の木は残念ながら松枯れで伐採されてしまいました。

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阿古耶と松の恋話のように、伝説や神話に人間以外の人と
結婚をする話は世界各地にあり、このような話になるのは、異類婚の伝説です。

「結婚の目的や栄為の結果として子孫の誕生、両親の一方が聖なる実在ゆえに非凡なる子孫の誕生が語られるものが多い。」

世界神話などの研究者伊東清司氏が述べています。

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阿古耶と似た話が、後白河法皇の伝説「柳の精の女」にもあります。

他にも異類婚には、美輪山のイクタマヨリヒメと蛇があります。

蛇の姿をみてはいけないと言われてみてしまった結果、蛇は人間の姿に変え、恥をかかせたといって天空へ飛んでしまったという話。

これは、美輪山のオオモノヌシの子の末孫を祀る話となっています。

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また、天神の子、山幸彦とトヨタマヒメを妻とする海神との結婚。
これは別の豪族が結ばれた話を伝説にしています。

他にも「見るな」のタブー伝説として、妻が子を産もうとする時、
みてはいけないと言っていたにも関わらず、山幸彦はみてしまいます。

するとそこにはワニがうごめいていた為、恥ずかしくなったトヨタマヒメは、海の国へ帰ってしまいました。

この二人の間に生まれた人は、神武天皇とされています。
このような異類婚を語ることにより、子孫が人間とは違うという
別の存在とさせる事で、神とのつながり(系統)を主張したのです。

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※山形市内。とても眺めが良いです。

千歳山の情報

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標高471m。

仙台から山形への高速バスを利用(約1時間)の場合
→県庁前下車→萬松寺へは徒歩3分ほどですぐ。

山形駅からはバスで県庁前で下車。

鳥居から登る場合は、こんにゃく屋さんを目指して徒歩15分くらい。車の場合、稲荷神社の前に駐車場があります。

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千歳稲荷神社から登るコースのほか、いくつかコースがありますが、萬松寺からの登山道がありも急登コースで岩場が多いので、山に慣れていない人はあまりおすすめしません。急登コースだと30分くらいで到着します。

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稲荷神社コースは緩やかな道で、1時間くらいで到着します。

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千歳山は松が多い山でした。しかし、松枯れの被害が多く、数年前に比べると展望がよくなっていました。松枯れの木の伐採が目立ちます。

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善光寺岩・・・震災で崩れた箇所があり、現在は近づけません。

萬松寺から登る場合、裏側にまわりお墓の後ろに細い道があります。道なりにすすむと阿胡耶の松と石碑があり、山頂に続く階段があります。

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三角点

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平泉寺大日堂方面から登る道もあります。

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稲荷神社

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訪れた歌人たち

千歳山は1300年前に阿古耶姫が開基したといわれ、多くの文人たちが訪れるほど、阿古耶姫と千歳山の松の精との悲恋物語としての阿古耶の松は、
平家物語、今昔物語、古事談に記載され、歌人や文人も愛した山として有名です。

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■萬松寺へ訪れた歌人たち

行基(奈良時代)仏教の布教活動による。河内国(現大阪)出身
 素朴な寺としてあったのを、現在の万松寺として開山したと伝わる。
慈覚大師(円仁)下野国(現栃木)壬生出身
 行基の後に、万松寺を開山したと伝わる。
藤原実方 天皇の前で歌の議論となり、怒った実方は相手の冠を叩き落とす。その行為に罰として天皇は実方を陸奥へ左遷させたという話がある。
 実際は、砂金の交易のために今でいう転勤のような仕事目的で陸奥へ行ったようです。

西行(鎌倉時代 奥州へ行った際に参拝)
 「朽ちもせぬ 名のみばかりを残し置き 枯野のすすき かたみとぞ知る」(名取の藤原実方の墓で詠んだ歌)

沢庵禅師(江戸時代)
 「千歳山千代もとかけて めでたきは 阿古耶の松に 木がくれの月」
 「思ひきや 今宵の月を 陸奥の 阿古耶の松の 蔭に見むとは」
細井平州 江戸時代の儒学者
幸田露伴 (小説家)
野口雨情 「いよゝよあけにや よあけの明星 親だ子だもの おやこひし」
  萬松寺の前に歌碑があります。
新井白石(1686年8月に訪れる)
明治天皇 東北巡幸の時、千歳山に勅使を差し遣えた。

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本堂裏の階段を登ると、あこや姫の塚と石碑があります。

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阿胡耶姫、藤原実方、中将姫の塚。

また、歌人として有名な藤原実方は、陸奥へ赴任の際、阿古耶姫伝説に興味をもち、向かう途中に名取で落馬して亡くなったといわれています。

この話しは、宮城、福島各地に伝わっており、都からきた女性と藤原実方をあえて繋げている意図があるのですが、いったい、誰がどのような意味をもって伝えたものでしょうか?

あこや姫伝説がなぜ生まれたのか、その背景について、また次に述べていきます。

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