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気仙沼:補陀寺の旭神子

旭神子開山の補陀寺

補陀寺は、寺伝によると寛平2年(890年)、
天台宗の補陀寺と号して赤坂小沢田に開かれたと伝えられている。
保安4(1123年)、名取の老女(旭神子)が、名取郡に熊野三所権現を勧請し、奥州を巡礼して三十三ヶ所の観音堂を建立、補陀落寺を三十番札所と定めたという。

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『その後、廃絶したのを葛西家臣で細浦館主熊谷直元公が文亀元(1501年)正法寺九世虚窓良巴禅師を招いて細浦に曹洞宗補陀寺を開創。

天文七(1538年)、宝鏡寺六世周庵文懊和尚が現在の地に移し、
中興開山したとされている。この六角堂は、八世梁有智和尚が、宝歴十一(1761年)
札所再興を祈念発願し、弟子の日東遼天和尚によって翌十二(1762年)
に完成されたものである。

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六角堂

八角堂を通例とする和尚円堂としては全国でも稀な六角堂で、
軒を支える組物や屋根組みの構築など技巧を要する。
堂の内外は朱塗りで、一辺の長さが2.69m、高さ8.26mある。
屋根は六角錐体、赤瓦葺(元こけら葺)。
天井に墨絵の龍を描く。

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唐様の須弥壇に入母屋造で千鳥破風や軒唐破風をつけた、
こけら葺の家形厨子をのせ、恵心僧都の作と伝えられる秘仏の如意輪観世音座像を安置している。

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正面に、仙台瑞鳳寺十四世南山古梁禅師の額「観世音」を掲げる。
棟梁は気仙沼三日町の瀬左衛門という。
享和二(1802年)の修理文書が残り、江戸時代中期の社寺建築として貴重である。』住所:宮城県気仙沼市古町2-2-51

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ここは、メンバーで参拝した所でした。

貧しさから生まれる聖なる精神

名取老女が登場する背景に、貧困、差別、格差など、戦乱の中で生きる庶民の不安から拭い去ることを希望し、将来の不安から払拭すべく巫に託してきた人々の信仰が見えてきます。

神とは本来、怖れ多い=畏怖 であり、
その期待は、紀州の森にあったでしょう。

旭神子の図

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この絵は旭神子(名取老女)の図とされ、地元の郷土史研究家から教えて頂いたものです。補陀寺にあるそうです。

旭神子は、草履を編んで参拝者に配っていました。大地に足をつけて歩くことは、地球の営みをよく知っている歩き巫女の導きがあるからです。

盲巫の存在を知ることも、みちのくの大事な要素であることを、名取老女が伝えているかもしれません。

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