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20231130


太陽を見た日だった。

コンビニで発券したチケットには、アリーナB17ブロックと書かれていた。単純なので、セブンティーンじゃん!と、それだけで喜ぶ。

座席の検索をかけてみたら、センターステージよりも前のブロックということがわかった。プレミアムではなく指定席なので、メインステージから見れば端っこではある。それでも、これまで入ったどの席よりもステージに近い場所だった。

座席の配置は会場によっても違ったりする。あまり期待をしすぎないように、まあ当日入ってみて様子を見よう♪と名古屋に向かった。


アリーナ席は2回目だった。と言っても、初めてのアリーナとなったベルーナドームは後ろの後ろ。スタンディングをすると人の頭でSEVENTEENの姿など見えず、ひたすらモニターを見ていた。宇宙の真ん中に放り出されたような感覚。彼らがセンターステージに来てくれると、かろうじて前の人の頭の隙間から上半身を拝める、という具合だった。だから、センステの時だけ双眼鏡を覗いていた。天井の広いあのだだっぴろい空間で、ドギョムの姿が私の視線の行く先の、目印だった。


そして迎えた名古屋初日。席に座ってみても、実感が湧かなかった。遠くはない。でも近いというわけでもない……? ステージが見える。花道も見える。トロッコはまあまあ近い(これに関してはベルーナが近すぎた)。座った時と立った時でまた感覚は違うし、ここにSEVENTEENが立つとどう見えるのだろう、とどきどきしながら、防振双眼鏡の電池を入れた。


コンサートが始まった。冒頭のレーザーを下から見上げると、この場所に来れたんだとびっくりする。いつも上から見下ろしていた光。

スモークに包まれながら、12人が舞台下から出てくるところが肉眼で見えた。慌てて端っこのドギョムを双眼鏡で探す。だってここのドギョムの表情をこの距離で拝めるのは、きっと今しかない。唐突にそう思った。

どの瞬間でドギョムの姿をはっきりと捉えたのか、覚えてない。でも私は今回はじめて、ドギョムを「見た」と思う。


最初のステージ衣装。ビジューが散りばめられたガウン。ポケットに手を添えて佇むドギョムの姿を、斜め前くらいの角度から全身で捉えた。あの姿がまぶたに焼きついて離れない。

羽織りの丈はあんな感じだったんだ。ビジューはこんなに輝いて見えるんだ。今までの私は、一体何を見ていたんだろう?

あの輝きは、生で見ないとわからない。あの距離で、双眼鏡を使うことでようやく見ることのできた光。ドギョムがたしかに「いた」。存在していた。

そう思ったらもうドギョムから目が離せなくなった。


ソノゴンから始まる冒頭3曲のドギョムは、まるで職人だった。DON QUIXOTEの最初の方、横を向いて立っているその時ですら、どんな一瞬を切り取っても、舞台に立つ人の顔をしていた。ポケットに手を突っ込むように、腰のあたりに手を置いて。それがきっと彼の「かっこよく見せる」立ち姿なのだろう。どんな瞬間もかっこよかった。


明瞭なものより、不明瞭なものが好きだ。はっきりと白黒ついたものは恐ろしい。曖昧で、輪郭のはっきりとしないもの特有の美しさが好きで、だから私は異国のアイドルを好きなのかもしれない、と感じることがある。わからない言語、生まれ育った文化の違い。生身の人間が商品となるこの恐ろしい世界で、そういう壁に助けられている。ギリギリの正気を保とうとする。

なのに、双眼鏡のその先に見るドギョムはどこまでも「明瞭」だった。くっきりしていた。


コマプタが終わって、VCRが流れ始めても、私の脳裏にはオープニングのドギョムがちらついていた。あの姿を忘れたくなかった。焼き付けたかった。


ボカチのユニットステージ。モンジが終わり、パランケビで円形ステージが回り始めると、「時間が君を隠して連れ去ろうとしている」のパートで、ドギョムがこちら側を正面に据える立ち位置に来た。

続くスングァンの「二度と君に会えないって弱気になるし怖いんだ 忘れてゆくことが」のパートが、なんだかこの日は重く響いた。

忘れてゆくことは、いつも怖い。なまじ記憶力がいいこともあって、これまで色んな記憶を大切に抱えてきたけど、みんなすぐに忘れていく。私だけが覚えている。置いてかれていく。

パランケビは私がCARATを自認できた思い出の曲だけれど、それは「忘れていくことの怖さ」を歌ってくれたからなのかもしれない。だから、そのあとの「泣かないで」のパートは、ステージの真ん中に立つウジくんを見た。



忘れたくない瞬間がたくさんある。客席を見つめるドギョムのまなざし、誰かと目が合ったのか、眉を下げて微笑む表情。

横から見ていたせいか、「こちらの方を見た」と感じる瞬間はほぼなかった。センターステージに行けば、見えるのはほぼ後ろ姿になった。でも、それでもドギョムから目が離せなかった。

今日の私は色んなものを見逃しているんだろうな、という実感はあった。それでも、双眼鏡を覗いていたかった。そこには私の見るドギョムが映っていて、周囲の観客も、何もかも関係がなくなる。どんな名シーンを見逃そうと構わない。私にとってはドギョムのすべてが名シーンだから。


もう一つ忘れがたいのは、ボカチステージのドギョム。これも横から見た姿だが、背筋をまっすぐ伸ばして立っている姿がとてつもなく美しかった。ああ、ドギョムってあんなに真っ直ぐと立つんだな、と初めて実感を持ったように思う。

愛おしそうに光の海を見つめる姿が大好きだ。私の太陽。道しるべ。

コンサートは、見るところがたくさんありすぎて時々無性に怖くなる。何か大切なものを見逃しているんじゃないか、何かを知らないうちに拾い逃しているのではないか。そんな心配に襲われて、どこを見ればいいのかわからなくなりそうになる。

でも、ドギョムさえ見ていれば、私は私の行いを「間違ってない」と感じられる。北極星のようなものなのかもしれない。どんなに道に迷っても、この星さえ見つけられれば、自ずと行くべき道が見えてくる。


あれよりも近い席になったらどうなってしまうんだろう。悲しいことに、今回のツアーはこの名古屋初日が1番ステージに近い席となった。また次の機会を手に入れれば、運が巡れば、もっと実体を伴ってドギョムをまなざせるのだろうか。

今回は曲に集中しようと、事前に歌詞の和訳を復習したり、色々と準備したのに、ドギョムを追っていたら全部吹き飛んでしまった。近さの代償だと思う(これでもまだ指定席なのに!)。やっぱりコンサートは色んな席で味わってみるのが性に合う。次はどんな受け取り方が出来るかな。


私が参戦する公演も、次の名古屋3日目で折り返しとなる。残りの公演も、そのときその場所でしか感じられない瞬間を、たくさん味わいたい。