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いつにもまして「私」と「ドギョム」のことばっかり。事実ベースのレポはきっと他の方がたくさん上げてくれるので、私は私の話をするね


初日

コンサート会場でドギョムペンを見るたび、地球に咲くたくさんのバラの花を見たときの王子って、こんな気持ちだったのかなと毎回思う。

ひとり部屋でスマホを見ているときとは違う。「私とドギョム」だった関係が、本当は幻想で、たくさんいるなかの凡庸な1人でしかないことに、気づいてしまう。私よりもずっと可愛い子がいっぱいいる。缶バッジをたくさんつけている人、ものすごい値段で出回っているトレカをホルダーに入れている人。それを見るたびに、自分の影が少しずつ小さくなる気がする。


東京ドームに入るのは3回目。ありがたいこと。
当たり前ではないことだ。

はじめて生で彼らを見たナゴヤドームの景色は、夢のような空間だった。そこに彼らがいた。ドギョムが実在した。まだ声も出せなかったあの日、目と耳に神経を全集中させて、何も見逃すまいと双眼鏡を覗き込んだ。

はじめての東京ドームでは掛け声の楽しさを知った。これもやっぱり、夢みたいな時間だった。


そして今回。仕事を無理やり終わらせて入った東京ドームは、ちょっとまだ現実の続きだった。すっかり「見覚えのある景色」になった東京ドーム。敷地内のどこにフラッグがあるかもわかるし、混雑ポイントもなんとなくわかるし、もう決して、はじめての光景じゃない。

突然怖くなった。この景色と一緒に、SEVENTEENと同じ時間を過ごせることが、当たり前の景色になってしまいそうで(もちろん、私の運が良いだけの話であって、そう思うこと自体がすごくよくないことだし、だからよりいっそう自分が醜く見える)。


君が当たり前の景色になること それが不安で

そうこの気持ち


コンサートが始まって、すごくすごく楽しいはずなのに、どこかで不安な気持ちがあった。今日この時間に、特別な瞬間や何か意味を見出せなかったらどうしよう? そんなはずないのに、大切な瞬間が今まさに目の前で繰り広げられているはずなのに、なぜか私は終演後の自分を心配していた。


たぶん、準備が足りなかった。繁忙期で休めない仕事(正確には、休めないわけじゃないけど罪悪感が半端ないから休みたくない仕事)。コンサートの日に早退する分、その前に頑張ろうといつもより長引く残業。なんで1時間の残業だけでこんなに自分は疲れてしまうんだろう、とがっかりする。
資格試験の勉強と練習を同時並行できる自信がなくて、試験が落ち着いたあとにギリギリで詰め込んだ掛け声。ペンミのときは当日に向けて少しずつダイエットをしていたけど、今回は夏バテでその余裕もなかった。写真を撮る時間も多分ないし、まだ次があるはずだから今回は、、と、ネームボードもうちわデコも着手しなかった。


少し前に、友人からルセラのコンサートに当たったという話を聞いた。なんとライブというものに生まれてはじめて行くらしい。

「平日だし、あんまり気合い入れすぎず、仕事終わりに行ってみようと思って」と友人は言っていた。それを聞いて、なるほど、そういう楽しみ方もあるのか、と思った。現実の先にある夢のような空間。それも素敵かも。私も1回やってみようかな。(というか、そうせざるを得ない)


結果的に、向いてるか向いてないかで言えば私には向いてなかった。色んなことを同時に考えるのが苦手。気持ちを切り替えるのが苦手。そんな私は、現実から夢のような空間へ、気持ちをスイッチさせるのも下手だった。

苦手なことは苦手だと割り切る。友達の考えも素晴らしいけど、私にはあんまり合ってないみたい。ただそれだけ。
しっかり準備して、気持ちを高めて、彼らがステージにかけるのと同じくらい……なんて烏滸がましくて言えないけど、それに近づけるくらい、自分なりに気持ちの準備をしてからコンサートに臨むのが、たぶん私のベストコンディション。これは、新しい気づき。


苦手なことがたくさんあるけど、少しくらい、これは得意かもと思えることがある。

例えば、思い込む力が強い。


ついに聴けた今セカの、このフレーズ。

今日を経て明日に巡り会う喜び この想い全部が美しい

ドギョムのこのパートを聴いた瞬間、突然、見える景色が変わった。

「全部」の歌い方。やさしくて、まるで何かを包み込むような、慈愛に満ちた歌声。

「この想い」までが突き抜けるような歌声だからこそ、音が少し下がる「全部」がとても優しく聞こえた。たぶん、この「全部」は本当に「全部」だ。想いの全部が美しいと、自信を持ってそう聞かせるような、そんな歌い方だった。音源を聴いたときには全然気づかなかった。CDTVでも気づかなかった。その瞬間に立ち会えたからこそ、気づいたことだった。

いまの記憶を絶対に忘れたくない。と思ったのと同時に、忘れたくない瞬間、ちゃんとあるじゃん!!!!とびっくりした。


これが、私の思い込みでもなんだっていい。ドギョムの歌が素晴らしいのは当然だけど、受け取り方次第で、見える世界もちょっとだけ変わってくる。


ドギョムがかけてくれる魔法。何かを特別だと感じること。それはドギョム自身が日々努力して、かっこいい姿を届けてくれるからなんだけど、最後の最後に魔法の仕上げをするのは受け取る側だと思う。

ドギョムのことを考えれば考えるほど、私にとってのドギョムがよりいっそう特別で、かけがえのないものになる。なんだろう、上手く説明できない。
ドギョムが輝いてるから、今日も明日もドギョムが好き!と思える。それは紛れもなくドギョムのおかげ。でも、私が好き!と感じるたびに、私の目に映るドギョムの輝きもよりいっそう強くなる。気がする。相乗効果ってやつ?(ゲシュタルト崩壊しそう)


生まれてはじめてアイドルを好きになって、あ これって「思い込む力」で出来ているんだな、と気づいた。

彼らの歌う「ダイジョウブだよ」も、「そばにいるよ」も、彼らの言う「愛してます」も、嘘じゃないと思える。冷静な人からすれば"お花畑"って言われるのかな。お花畑、ばんざい!


なんだろうな。言葉が言葉通りでなくてもいい。本当にそばにいるわけじゃないのに、彼らの歌を聞けば、「そばにいる」と感じること。家族や恋人への愛情とは何か違う種類の「愛」があると信じられること。不思議。そのほとんどはSEVENTEENのおかげなんだけど、「そばにいる」と思う人と思わない人の違いがあるとしたら、「思い込めるか」の差なんだと思う。


もし「思い込めない」人がいたとしても、それは何かのきっかけで魔法が解けてしまっただけ。

私の魔法もいつか解けるのかな。いやだな。永遠の魔法なんてないはずなのに、永遠を願ってしまう。でも願いってそういうことだよね。ないはずの永遠を祈ること。



思い込みの話に戻そう。以前書いたお見送り会のnoteがある。


これを書いたとき、「あの数秒でこの文字数書く自分、コスパいいオタクだなあ」と思った。

あの数秒が特別になったのは、ドギョムに真正面から向き合うと決めて色々と書き連ねた結果だ。今回のFOLLOW初日みたいに、心の準備をせず挑んだら、ただあっけなく終わってしまったかもしれない。

私の特別は、私が作る。ドギョムが届けてくれた「特別」に、ちょっとだけ、ほんの少しだけ私の力を添える。

きみのバラが、きみにとってかけがえのないものになったのは、きみがバラのために費やした時間のためなんだ。

あ、きっとこういうこと。

何十年も誰かを感動させているフレーズが、急に自分のことになる。『星の王子さま』、オタク入門書なのかも(違うよ〜)

やばい感想から入っちゃったけど、当然めちゃめちゃ楽しかったです。ソウルコン見たときからぜーーーーーーったい下手側の席に入る!!!と心に決めてたら、1発目で下手(東京ドームで言う3塁)の横側の座席が来て心が躍った。真横から見るGood to me 2番サビのソクミンさんセンター、最高‼️ あれエヴァのなんちゃらインパクトくらい威力あるからね エヴァよく知らんけど



2日目

私の東京ドームは初日で終わる……はずだった。

日曜の夜に友人からLINEが来て、何かと思ったらチケットの譲り先を探しているとのこと。知人の連れが急に行けなくなったらしい。

初日が当たった時点で、2日目は諦めていた。当たっていない人がまだたくさんいるし。というのは偽善で、何より2日連続で仕事に穴を開けるのが申し訳ない。

そう割り切っていたはずなのに、なのに……


気づいたら午後休を申請していた(汗)。そろそろちゃんとした大人にならないとな、と仕事より推し事を優先するたび自己嫌悪に襲われる。社会人のあるべき姿、いまだにわからない。オタクするために働いてるのに、オタク稼業を優先するのにも罪悪感が伴う。まったくもー…



そんなこんなで向かった東京ドーム。時間があったからか、初日より心の余裕があった。はじめてCARATのFFさんともお会いできた。私の勇気が出なくてお一人としか約束できなかったけど、次はもっと色んな人とお話できたらいいな。

最後に頑張ろうね、と撮ったver2ケロボン
天気:めちゃ曇り
ソウルコンのうちわを買ったら
イルコンうちわ買うタイミング逃した
お願いだからほくろ消さないで
メクヘン衣装みたいでつい買ってしまうのど飴


2日目、席は初日より遠いのに、なぜだか初日より集中して見れた。

モニターがよく見えたことが大きい。左右のモニターじゃなくて、背景映像として使用している中央のモニター。

ウルシパのラストのアレンジが好きだ。あの場面、モニターには澄み渡る青空が広がっていた。そっか、「泣きたくない」の先には青空が広がっているんだ。美しい心象風景。

FMLの背景はひび割れたようなモノクロの画面だった……はず。いまにも割れてしまいそうな日々、あったなあ。これも最後にはちゃんと青空が広がっていた。ひび割れた日々の先にも、ちゃんと青空は続いている。

モンジのときは最初にピンク色の空が広がり、ブルーも混じって、いつのまにかローセレみたいな色になっていた。甘くってほんのちょっぴり苦い。可愛いだけじゃない、なのに可愛くてたまらないボカチの曲。


世界観に浸っていたら、パランケビが始まった。大好きな曲。自分のことを、CARATと思ってもいいんだと、一歩勇気を出すきっかけになった曲。

ウジくんに「泣かないで」と歌われると、つい泣いてしまう。こういうとき、ここで泣くんだ……!って自分に言い聞かせちゃう感じがするのがすごく嫌だけど、この日は自然と泣きそうになった。

光に包まれるボカチが大好きだ。いとおしい5人のシルエット。スングァンちゃん、おかえりなさい。


パフォチの4人は、それぞれが鮮明な光だった。暗闇を照らす光。照明に照らされなくても彼ら自身が内側から発光しているんじゃないかと思わされるくらい、眩しい光。
I Don't Understand But I Luv Uに入るときのあの「ジーーーーーーーー……」って音、最高にムード出て最高(オタク、気分が昂ると最高しか言えない)

ヒポチのステージはとにかく熱かった。支配者の顔だった。完全に会場を制圧していた。余裕ありありのバキラ、かっこいい(泣)(泣)
2階の後ろであんな熱いんだからアリーナは焦げていないか心配になった。あの炎に囲まれてあの衣装着てパフォーマンスするヒポチ、やばい。すんちょるさんのナポレオンジャケット衣装が見れなかったのは残念ですが……


来るまでは「本当に来てよかったんだろうか」と罪悪感が拭えなかったのに、いざ始まったらそんなものどこかに行ってしまった。だって、目にするものすべてが楽しくて、いとおしくて。

難しい言葉はいらない。彼らを前にすると、なぜかそう思える。終わったあと結局ごたごたとこうして文章を書いてるわけだから矛盾してるけど。


つい癖で、この瞬間に意味を見出さなくちゃと肩に力が入ってしまう私だけど。周りの目を気にして、自分の気持ちを抑え込む癖のある私だけど。きみたちを見ていると、必死に掛け声を叫んでいると、「今この瞬間が楽しい!」とシンプルな気持ちで満たされるよ。ありがとう。


より遠い席でも楽しめたことで、「自分の考え方次第でなんでも楽しくなるじゃん🎶」と自信がついたようにも思う。てか最近すごくそう思う。少し前まで、簡単に自分の見方なんて変えられない!って拗ねてたのになー。


SEVENTEENがかけてくれる魔法を、信じるかは自分次第。

そう思ったら、「ついてこい!」ってツアー名めっちゃいいな〜って気づいた。だって「ついてこい!」って言われても「ついていく」のは主体的な動作だからね。

私は私の意思で、きみたちについていくよ。


そう思える魔法をかけてくれて、ありがとう。



TMI

先日、ついに韓国行きの航空券を予約してしまった。ホテルも取った。なんか、SaraSara聴くたびに「いつか僕が行くよ」って歌われるのが悔しくて(?)。きみが来るのを待ってるだけじゃ我慢できない。だから、勇気を出して行くことにした!

最近、とある人から「セブチのことになると人格変わるよね」と言われた。だとしたらすごく嬉しい。

あんまり自分のことは好きじゃないけど、CARATとしての自分はそんなに嫌いじゃない。내가 찾은 Oasisでyou are my escape、踏み出すのが怖い世界だけれど大丈夫と、きみが歌ってくれるから。



鞄からこぼれては咲いてゆくものに枯れないおまじないを今日も

きれいごとばかりの道へたどりつく私でいいと思ってしまう

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

笹井宏之『えーえんとくちから』より