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優しいってなんだろう

と、いうことを時たま考える。



優しいってなんだろう。純粋な優しさって存在するのかな。

わたしが人に優しくするのは、心のどこかでその人に「優しい人と思われたい」と感じているからで、結局その行動は相手のためというより自分のためのような気がして、だから自分は醜いとしか思えない。

ずる賢い。心から優しいわけじゃない。自分がつらくならないように、優位に立てるように、予防線を張るみたいに人に優しくしている。真面目なふりをする。


自分単体では価値がないと思う。だから、人の役に立つことでどうにか価値ある人間のスタートラインに立てる。


わたしが誰かに助言をする(もしくは助言をしたがる)のは、わたしの価値を認めてほしいから。

学生時代、ちゃんとしないクラスメイトを横目に真面目なふりをしていたのは、あとで先生から叱られることになっても"自分はちゃんとしてました"と知らんぷりできるから。

職場で周りの状況を見ながらちょっとした仕事を請け負うのは、そうじゃないと1番したっぱの自分は側から見て「楽をしている」と思われるのではないかと不安だから。

ぜんぶ、自分のため。


本当の優しさって、なに。純粋な優しさってなに。他人のための優しさって、存在する?



わたしの好きなアイドルは、よく「優しい人」と形容される。

ドギョムは己の「優しさ」についてどう感じているんだろう。でも、アイドルはオタクのカウンセラーじゃないし、本人がよほど望まない限りはそう人生相談をするものではないと思うので(と書くのは、以前ファンの相談にも応えたいというようなコメントを出したメンバーがいたなあ、という記憶があるからです)、当然このことについてドギョムに答えを求めるつもりもない。ただ、気になった。それだけ。


ドギョムの優しさについて。彼の細かいちょっとした振る舞いに「優しい」とラベルがつけられる時は、少しだけぞっとする。

空港で、後ろ向きに歩くカメラマンさんが背後の障害物とぶつかりそうになり、咄嗟に支えようと手を出すところ。あとは何かあったっけ。ぱっと思い出せない。

とにかく、そういう「恐らく考えるよりも前に体が動いた行動」に優しさが垣間見えるのは、たしかにそうなんだけど、でも頭で考えていないものに他人からたくさんのラベルを貼られるって、ちょっと怖くないですか。


かなり古い動画になるけど、以前、インタビューで自分のイメージについて「プレッシャーを感じていた」と語っていたことがあった。

(「怒った姿を見たことがない」と言われることについて)プレッシャーを感じることもありました。
「親切」と言われたら、常にそうでないといけないように感じます。

Get in the car インタビュー


責任感の強い人なのだろう。誰かから評価を得たら、その評価の通りあるべきと感じてしまうのかもしれない。(※一介のオタクの憶測にすぎません)

「優しい」と言えば、ファッションウィークのエピソードはどれも優しさで溢れていた。(ここまで書いてこの下書きはずっと眠っていたのだが、そうこうするうちに気づけばドギョムは3回目のファッションウィークを迎えていた。毎回ありったけの「優しさ」で溢れたイベントになっているように思う。おかしい。)



優しいってなんだろう。純粋な優しさってなんだろう。自己欺瞞じゃない優しさ。他人を思っての優しさ。そういうものが自分にはないな、と思う。

人と接していると、どこかですぐ「ごめん」と言ってしまう。このごめんは、「わたしを嫌わないで」のごめん。ずるい。汚い。


こうして考えているとき、自分が自分でなくなればいいのに、という結論にいつもたどり着く。

自分であるが故に、その行動の本心が透けてみえてしまう。だから自分が許せない。こんな全知全能はいらない。あらゆることに、この観点ではこう見える、この観点から考えればこう言える、とミルフィーユみたいに思考が重なって、うんざりしてしまう。常に頭の中がうるさい。


優しさ、ということにすら意味もなく考えてしまう自分が嫌い。



本当は、ドギョムが実はそんなに優しくない人だったらいいなと、心のどこかで願っている。この世界は、優しい人ほど疲れてしまう世界だから。たくさんの人を相手にする職業だからこそ、すべての人に、すべての観点に、すべての期待に応えようとすればするほど、苦しくなると思うから。どこかで優しさに見切りをつける必要がある。その見切りがちゃんとついていますように、と無責任に願っている。


あなたのことはわからないから、あなたが外に出す「優しさ」の根っこは何なのか、わからないままでいい。ということは、私の欺瞞的な「優しさ」も、他人からはわからないんだよな。この何層にも重なった思考との闘いは、ひとりで続けるしかないんだ。なんて無意味な。なんて意味のない行為なんだ。



優しくなければいいのに、なんてひどいことを溢してしまうけれど、実際のところ、「ありきたりかもしれないけど」と断りながら「本当にお疲れ様でしたと言ってあげたいです」と発信するドギョムには、ひれ伏すしかないのです。ありきたりだとわかっていても、それでもありきたりな言葉に込められたそのメッセージを伝えたいと思って伝えてくれたその「優しさ」に、最大限の敬意を払うしかないのです。

だからね、やっぱり私から見てあなたは「優しい人」なんだよ。実際どう、とか知るもんか。だからせめて、あなたの優しさが、あなたを苦しませていませんようにと、意味もなく祈るばかりです。