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いつか来る夢の終わり


最近の仕事で、少し後回しにしてしまっていたタスクがあった。

期日なし、別に急がない。対応方針は最初に確認済みで、あとはちょちょっと考えて修正するだけ。なのにやる気が起きない。急がないことにあぐらをかいて、別のことを先にやっていた。私にはこういう癖がある。後回し癖、よくない。

ちょうど頼れる先輩オンニと話す機会があったので、ついに着手をして(!)意見を聞いてみた。ちょっと気が乗らなくて優先順位を下にしちゃってたんですよね……とつい本音をぽろりと話したら、オンニはこう言った。

「これ、簡単に見えて難しいよね〜。手を加えるのはすぐできるし、実績を作るのは楽だけど、じゃあ根本的な解決ができるかって言うと微妙だし……」


!!!

そう!!

それなんです!!!


「修正を加える」のはすぐに終わるけど、それが最適解かと言われたら、ちょっと首を捻ってしまう。だからこそ自分のやることに正しさを持てなくて、現実逃避のごとく後回しにしていた。オンニ、さすがっす……。

目的はもっと別にある。目の前のことは確かに近道ではあるけど、本当はもっと根本的な、中身を伴った部分を変えたい(たとえ壮大な話に膨らんでしまうとしても)。そっか、実績を作るのって簡単なんだ。でも中身が伴わない実績だったら意味ないしなあ。私がもやもやしてたのってそこか〜!と、目から鱗だった。


ここまではただの仕事の話だけど、推しに対してもこうでありたいな、と唐突に感じた。

実績を作るのは簡単。「大好き」は簡単に言える。

言葉はだから恐ろしい。私はお腹がすいてなくても「お腹すいた」と言える。「推しがいないと生きていけない」も、「推しは私にとっての光」も、何だって言える。言えるからこそ、「それっぽい」で終わらせたくない。私の中にある実感を伴って、それを発したい。


……と書くと、読んだ人が「自分の言葉って軽いかも」なんて心配してしまわないか少し不安なのですが、他人のことを言いたいわけではないです。私がいま書いた「実感」は、その人の心のなかの動きのことなので、外からは見えない。他人がジャッジできるものではない。外からどう見えようが、その人にとって重たいものならばそれは決して「軽くない」。責任はその人自身にしかない。だから、私は私の責任をもって推しへの気持ちを発したいよ、という話。


だから、私はTwitter(頑なにTwitter呼び)よりnoteを主戦場にしたいのかもしれない。(主戦場ってなに?)

ツイートは、少し軽い。指先ひとつで何でも吐き出せる。すぐに流れていってしまう。もっとちゃんと捕まえて、この目でよく見ておきたいものがあるのに。

じゃあ最近のなにか特大感情があるかと言うと、ちょ〜〜〜っと疲れてしまってないんですけどね〜〜〜〜ウーーーーーン


ほんの少しだけ、最近のことを。
(※書いてたら全然ほんの少しじゃなくなった)

訪れてもいない「終わり」のことを、最近よく考える。こういうところはMBTIでいうNっぽいのかも。

直近のWeverseを見ていても、SEVENTEENさんは「ずっと一緒に」「一生」という言葉を使ってくれているので、これは私の杞憂だ。あちら側の問題じゃなく、私の問題。

今は、後悔しないように時間もお金も、好きなように使うと決めている。どうしても制限というものはあるので時に取捨選択を迫られるし、諦めるものも当然あるけど、なるべく「捨」を作らないのがポリシー。

時々考える。私はいつまで、自分のためだけに生きられるんだろう?

ライフステージが変わっていくことが、そんなに遠い話じゃない。こわい。明日しか見えないのに。
ありがたいことに、未来はそんなに不確定じゃない。なんとなく漠然と、何も起こりさえしなければ今の仕事を続けるだろうし、その点は安定している。でもそれだけだ。ただぼんやりと、今と大差ない生活を送っているかも、ということだけが見える中で、「明日もドギョムが好き」ということが私の中の明確な、道しるべなのに。

どんなにドギョムが好きでも、バカスカとグッズを買ったり、CDを阿呆ほど買ったり、ランダムグッズに狂わされたり、ツアー最優先でスケジュールを組んだり、いつかそういうことが出来なくなるんだなと思ってる。親とも、友達とも、そういう話をする。「今が1番、自由に遊べるタイミングだよね」。

今が1番だなんてくそくらえだ。でも、私が生きるもう一つの世界、現実の世界を大事にしたいのは嘘じゃない、本当のこと。どっちも欲しいと思うのは欲張りなのかもしれない。だから折り合いをつけなきゃと、考えて、そのたびにこれが最後かも? なんて恐ろしいことがよぎったりして。

SEVENTEENTH HEAVENのハイライトメドレーは何回も見てしまった。映像作品として素晴らしすぎる。とくにPM10:23 ver.のビジュアルが好き。

花火の閃光から映像はスタートする。花火も、お祭りも、輝くのはその瞬間だけだ。どんなに楽しいフェスティバルも、必ず終わりがやってくる。だからこそ、その一日が特別なものになる。どんな夜にも日は昇る。SEVENTEENが描く「夜」の刹那性。「明日の朝 月明かりが消えても、僕たちの気持ちは消えない」。そう、月明かりはいつか消える。必ず。でも消えないものもあると歌ってくれたのは君だった。

閃光に包まれて輝く彼らを見るたびに、その刹那的な美しさに胸が苦しくなった。どこにも行かないでと思った。どこかに行こうとしていたのは私だった。

たくさん買ってしまったアルバムの、最後に開けたものから出てきたのはドギョムのステッカーだった。

こちらに手を差し伸べるドギョムを見たら、特別な気持ちになった。どんな言葉で言い表したらいいかわからないから、no words are enough for youとしか言えないけれど、特別だった。

きっといつか、その日はやってくる。君のことを、人生の最優先事項と扱えなくなる日がいつか訪れる。でも残るものだってきっとある。この間、100均のレジに並んでいたら、レジ横のお菓子コーナーに並ぶ韓国のお菓子を見て「ああ、딸기だからいちご味なんだなあ」と思った。「마시멜로」も、ああマシュマロ!とわかった。前までただの記号だったのに。君をきっかけに、私に見える世界は間違いなく変わっていった。


いつまでも終わりの話をしたくない! それに、謎に身構えていた矢先に最っっっ高に幸せな音楽(음악의 신)がもたらされたので、結局終わりを意識したのはただの私の杞憂だった。オタク辞めるわけじゃないし♪(そもそも辞めようと思って辞められたら苦労しない💢)

ネットを生きてると、自分のオタク力(ぢから)って全然足りないな……と思う。なのに日常の中でふと身近な友人と自分を比べたりすると、オタクの自分ってすごく異常なのかも……と感じることもある。実際どうなんでしょうね? でも内なる狂気は常に大切にしていきたいものですね。普通じゃないからね、1人の人間に対してこんなクソデカ感情抱えること。


というわけでみなさん、内なる狂気を胸に明日もオタクとして生きていきましょうね〜〜!

前に狂気仲間(オタク仲間)と集ったときの写真を添えて サッカーは無理でもフットサルならベンチメンバー込みで開催できそうなアクスタの数