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AI反省文とアメリカン・フィクション

こんにちは! 今年はつぼみのままのお花見シーズンになりましたね。
最近、上野公園に行ったのですが、禿げた木の下で大宴会をしている方達が多くいて、花見は花を見る会じゃなくて、皆んなでワイワイ楽しむ為のものだという事を思い出しました。
最近写真を撮る為にご飯を食べたり、綺麗な場所に行ったりが当たり前の感覚になり過ぎて、中身の存在を忘れがちだったりします。

そんな大切な事を見直せる新生活の季節。
個人的にすごいツボった事があり、興奮気味に「これ面白いよね!!」と友達に聞いたら反応悪かったのでみなさんにジャッチしていただきたい。

以前から自分の能力をお金に変えてみたいなぁと思っていた事もあり、ココナラをぼーっと眺めていると、『謝罪文・反省文書きます』という仕事があり、「あー最近は夏休みの宿題とかもお金払ったらやってくれるらしいしこんなのがあるんだー」と詳細を見ていると、AIで作成するとの事。

誰かに対して迷惑かけたことの謝罪を他人に頼んで、さらにAIが作成するって、もう反省のカケラも残ってなくてめちゃくちゃ過ぎないか?
人間関係の中身なさ過ぎて、これが第四次産業革命かと果てしない気持ちになりました•••

社会人になると、怒鳴られるから悪くもないのに上司に謝ったり、社会の上下関係を確認する為に謝ったりと、謝る必要のない場面で謝る事が90%くらいじゃないですか。本当に謝らないといけない人は絶対に本気で謝ったりしないので、残り10%無意味な事として、この仕事がどんどん発展していって、人に対しての謝罪は概ね表面的なもので本質ではないと言う認識が今より広まり、謝る事に対してすごい楽な気持ちになれる繊細さんには優しい世界になるはずなので私はこの仕事をこっそり応援しようと思います•••!

最近Amazonプライムで話題の『アメリカン・フィクション』も本質の欠落というところで同じようなテーマを感じました!

ざくっとしたストーリは小説の執筆もしている大学教授のインテリ上流階級の黒人が主人公です。
黒人というバックボーン無しの小説を書いていても一向に売れないし、
売れている黒人の作家は、ステレオタイプな黒人を描きそれに対して納得いかない主人公。思いっきり世間に迎合した小説を書き上げ、いかにそういったジャンルがバカバカしくて白々しいかを明らかにしようとするが、なんと大ヒットしてしまう。
なんかホリエモンみたいな主人公のお話です。

この映画の冒頭で主人公が人種座別時代の講義をしていて、生徒が授業に出てくる黒人を指すのに不適切な表現を指摘するシーン。
黒人が黒人を差別する表現を使い白人に指摘されるというエッジの効いたギャグシーンは最近のLGBTQ運動にも同じ空気感を感じます。
私が小学生の時、友達に両親が離婚してる事を話す機会があり、気を遣われたくないので、全然気にしてないから〜と言うと、その友達がクラスの全員に「あの子片親がいないらしいけど全然気にしてないんだってー」と風潮され、それから誰が悪いわけでなくても、自分のマイノリティーな部分は絶対に他人に言わない方がいいのだと学びました。でも外見ではっきりわかってしまう人たちはそうはいきませんよね。
「配慮」が過度になり、それが大衆エンタメとして確立していく陳腐さと、しかしこの映画自体黒人差別を描いた大衆エンタメであるという入れ子構造に日本人の私は構造しか理解できないので楽しく観れました!

他にも、感性の違いから生まれる世の中の疑念や家族関係いろんなテーマが重なり合った素敵な映画だったのでアマプラ会員な方は是非おすすめです!

最後に、謝罪云々のところは半分ジョークですが、本気にされた方もいると思うので不愉快な思いをされましたら謝罪いたします。


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