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第59期コモンビート参加記〜最終話〜

そろそろ振り返ろうかなと思います。
本番2日間、そしてこの100日間を。

思いつくままに書き連ねているので、話があっちゃこっちゃ行ったり来たりしてますが、最後まで何卒よろしくどーぞ。

本番2日間。正直記憶は朧気。
気合い入れで毎回泣いてたなってそれくらい。笑
昔から、本番の記憶が残らないタイプすぎて終わった途端に記憶飛んでるんだよね。
でも、一つだけ鮮明に覚えている景色があって。

フィナーレのキャノン砲前後の景色。
ひな壇3段目から見える、
舞台上そして客席通路で輝いてるキャストの皆と満席の客席。
本当にその光景が美しくて素晴らしくて、やっぱり舞台は大好きだなぁって。

好きだけど怖くて怖くてしんどいものっていう舞台のイメージが、幸せなものに変わった2日間でした。
本番始まる直前は、どの公演も緊張で手足は冷たく固まるし、初公演なんてかけがえの後がちで物理的に吐きそうでえずいてたけど、前を向いたら皆がいて。目合わせてくれたり声かけてくれたり、後は楽しむだけだよって感じでなんとか舞台上に上がれなくなることなくできた。
戦争シーン後はどうしてもしんどくて毎公演袖で倒れ込むことしかできなかったけど、皆が支えてくれて助けてくれてRebirthもふらふらしながらだけどちゃんと出れた。keepも踊り切れて最後まで倒れることなくやりきることができました。
本当に皆の力あっての私で。自分の力で立っていられない不甲斐なさと、皆への感謝でいっぱいです。ごめんね、そしてありがとう。

記憶朧気、なんて言いながら一個とても覚えている事件がありまして。
千秋楽のCB1なんですけれど。CB1メンバーは皆思ってると思うんですけど。
直前のゆーとさんがおもろすぎてですね。
中割幕の内側で皆がすげぇざわざわしちゃいまして。
ざわざわしてる間に中割幕が開き始めちゃいまして。
皆で「あっやべっ」って言いながらCB1に入りました。
お客さんにざわざわ聞こえてたらごめんなさい。
いつもおもろくて笑ってたけど、千秋楽のあれはいつもを越えすぎておもろすぎました。よくやったよ。そーゆーとこ嫌いじゃないよ。

朝イチで化粧完成させてるのに、その時間に化粧する意味ある?っていうくらい毎度の気合い入れで泣かされて(勝手に泣いただけだけど)。
本番では泣かないって思ってたんだけど。千秋楽は流石に泣いちゃったなぁ。
テーマソング歌い始めた時点で、これで最後だってもう59期のメンバーでやるのは最後なんだって思って涙腺緩くなって、涙溢れそうになってたのに。
キャス外スタッフが一階席の後ろで横断幕広げ始めて、「満席大成功」って書いてあって、それ見た瞬間崩壊しました。最前でちゃんと泣き始め、曲後半ひな壇3段目に移動してからは、目の前の景色への感動でいっぱいになってひたすら涙が止まりませんでした。客席に下りない判断が私にとっては正しすぎました。あの景色が見られて私は本当に幸せでした。

ここまでが私が公演を走り切ってみての感想なんだけど、3公演ともこんな私を観に来てくれた方々がいまして。
キャスト対面で話した時、皆が「よかった!」「楽しかった!」って言ってくれたのが本当にとても嬉しかった。
私も出てみたいと思った、なんて言ってくれる人もいて、こんな嬉しい言葉はないなって。
それから、何人かには出演シーン紹介のチラシを渡したりしてたのもあるけれど、「どこにいてもせいか見つけられた」「すごい輝いてたよ」っていう言葉がとても心に残っていて嬉しくてもう本当にそれだけで泣ける。
こんな私でも舞台で輝けてたんだなっていうその事実が紛れもなく私を幸せにしてくれます。
ちなみに地味に一番嬉しかったのは、父親が一睡もしなくて「おもしろかった」って言ってくれたこと。うちの父親は、どんなおもしろい舞台でもライブでも興味なくて寝ちゃう人で。子供の頃のバレエの発表会でも私の出演見逃してたり、この前母と父の2人で行ったブルーノマーズのライブも途中で寝るくらい。そんな父親が一睡もしなかっただけで奇跡なのに、「おもしろかったし、おじさんたちが出てるの見て俺も出てみたくなった」って言葉をくれるなんて、奇跡以上の何ものでもない。
コモンビートって本当にいろんな人にいろんなものを届けられるんだなって実感した。
(一つだけ言われて悔しかったことは、動きがクラシックの感じだね、とかバレエっぽかったとか。もちろん私が10年以上クラシックバレエをやっていた人間だからしょうがない部分はあるんだけど、違う、それは緑大陸なんよ、と。黄大陸っぽさを最後まで出し切れなかったのが悔しいポイントでした。)

こんな幸せな本番2日間を過ごせたおかげで、これまでの100日間が幸せな100日間になりました。
ここからは100日間のお話。

まずは、そもそも何でコモンビートに参加したのか、から振り返っていく。
体験会が楽しかったから。スタッフがあったかくていい人たちだったから。押しに負けたから。そんな単純な理由しかない。
でも、たぶん心の中にはきっと別の理由、きっかけもあって。

人見知りコミュ障から脱却すること。
大人数が苦手すぎるのをやめたいこと。
そして、演者側でもう一度舞台に立つこと。

それぞれのきっかけ、目的ごとに100日間何があったか、どうなったか振り返っていこうと思う。

①人見知りコミュ障から脱却すること。
私は私のことが嫌いであるし、人も私のことを好きにならないと思っている。その一端を担うのが、拗らせた人見知りコミュ障であるということ。
元々の私は。人から話しかけられても愛想笑いしかできず、会話を繋げるような返しはできない。自分から話しかけるなんてもってのほか。っていう人間でした。
それが、いろいろとありまして、人から話しかけられたらある程度の対応はできる人間になれた。
でも、人と深く仲良くなれるか、自分から話しかけに行けるか、と言われたら全然そんなことはできない。
コモビ参加時はそんなような状態でした。

だから、練習では常に、一番後ろの一番端っこで小さくなってて。
自分から話しかけに行くのは、唯一のえとゆりなだけ。その2人のところに誰かいたら、もうそこにも行けない。
そんな感じで、話しかけられ待ちをやっていた。待ってはいたけど、いざ話しかけられるとどうしていいかわからなくなってた。

全然人と話せないまま時が過ぎた。
やっと大陸の皆とちょっと話せるようになったのは、大陸合宿、大陸分練のときかな。
その時も端っこにはいたけど、100人の端っこと20人の端っこはやっぱり違くて。大陸の皆一人一人とちゃんと顔合わせて話せたし、笑い合えるようになった。黄大陸と話すの楽しい、この大陸でよかった、と初めてちゃんと思えた時でした。
大陸外の人たちともまともに話せるようになったのは、実は年末年始あたりからだと思う。keepメインのおかげ。
年内最後の練習でものすごい勢いで振り落としされ、ダンス未経験者はもちろん、経験者もこれはちゃんと自主練しないとやべぇってなってた。だから、年末年始はほぼ毎日のように自主練の予定があって。ほとんど全部参加した。
あーでもないこーでもないって話しながら振付動画見たり、ここはこーじゃない?ってアドバイスし合ったりしながら練習して。いろんな人とたくさん話せるようになった。
自主練がんばりすぎて体調崩して元旦に39度の熱出したけど、keep自主練たくさん行ってよかった。
年明けになって、のぶなりたちが動いてくれて黄大陸の皆の距離がより小さくなって。大陸LINEで私が発言できるようになったのもたぶんその頃。

あと一か月ってところでやっと、表現に本気になっている自分が出てきて、私が私としてコモビの空間にいられるようになった気がしている。

だからといって、人見知りコミュ障を脱却できたかというと微妙なところ。
新潟での私を見ても、たぶん人見知りはかなり脱却できた方だと思う。リーダーが人見知りしてる場合じゃないっていうのもあったけど。
でも、まだまだコミュ障だなって思うところがあって。
それが、話の”場”にいることはできても、”輪”の中にいることがなかなかできていないこと。

なんというか「お喋り」が未だに苦手なんだよね。
話さなきゃいけないことは話すし、話を振られれば自分の話もするけれど、自分から何かを話すってことは基本ないし、複数人の会話の場にいても「ふんふん」って聞いてるだけで。
だからなかなか今後も続くような繋がりができないんだな、と。

これはコモビに限らずそうで。
高校時代、友達(いわゆるいつメンと呼べるような)が4人くらいいたんだけど、卒業してからほとんど連絡とってないし、彼らが遊んでる様子はインスタで見るけど私には声はかからないし。大学の友達でも同じ。
それからレワールドで出会った人たちとも、実はプラベでは全然話してないし会ってない。誰かと誰かが遊んでるのを見て、いいなぁーって言ってるだけ。
その当時は仲良かったはずなのに、なんでなんだろってずっと思ってきたけど、お喋りが苦手だからだと気付いた。
人の話は聞くけど自分の話はしない、割と行き過ぎた聞き専みたいなタイプだから、その後の話も続かないし、関係も続かない。
自分から自分の話ができない、っていうのがたぶん課題点な気がするから、それができるようになったらもっと皆と今後一生続くような深い関係を築けるかな。
今後の自分に期待して、コミュ障脱却していけたらいいな。

②大人数が苦手すぎるのをやめたいこと。
これもほぼほぼ①と同じではあるけれど、国創りの反省から。
人と出会うことは好きなのに、人が多いとしんどくなるっていうのが自分的にすごく嫌で。100人という大人数の場が苦手すぎて逃げちゃったり体調崩したりをやめたいな、と。

練習始まった当初から、正直年内いっぱいくらいは練習場に人がいっぱいいると息苦しくて。私自身が押しつぶされそうで。
それもあっての、後ろの端っこという位置取りだった。
でも、上で書いたように、年末年始を通していろんな人と話せるようになって、私が私としてコモビの空間にいられるようになった。
だから、年明け以降の公式練習では、0番センター係をやるまでになった。

この100日間、私は一度も皆の前に立つことはできなかったけれど、皆の前に立つ人を最前列で目の前から見守ることができました。
私にとっては本当に大きな成長だと思う。
「せいかにとっては、1回皆の前に立つよりも、10回最前センターにいる方がきっと大きなことだったんだよ」って言ってくれた言葉が今でも心の中に残っていて、とても心が温かくなります。

③演者側としてもう一度舞台に立つこと。
コモビに参加する頃の私は、裏方好きの演者嫌いでした。
演者として、お客さんもちゃんといる舞台の上に立ったのは、高校一年生が最後。留学先のアメリカで、ミュージカルクラブに所属しててその春公演が一番大きい最後の舞台だった。
その直後、ドラマの授業発表会でやらかしてトラウマになって以降演者としての舞台は好きじゃなくなった。
それでも舞台は好きで、たくさん見にも行ったし、MPでは裏方もいろいろやった。そのおかげで、裏方であったり当日運営という立場がまぁとんでもなく好きになってしまい。
演者として舞台に立つことはもうないんだろうな、と思ってた。

でも、近くで舞台を観たりしているうちに、なんかやっぱりもう一回舞台立ってみたいなって思うようになってきちゃってて。
そんな思いを叶えるための59期でもありました。

だからといって何かができる私ではなく。
ダンスは好きだけど得意な方では決してないし、演技もほぼ未経験でどちらかと言えば苦手、歌は言わずもがな苦手とかいう次元を越えた大音痴。
練習をすればするほど、できない自分や鏡に映る自分が気持ち悪くて仕方ない時がいっぱいあった。

ダンスの練習時間は楽しいのに、歌の練習時間は正直地獄のように感じてた。音源を何十回何百回聞いても、耳じゃ音をとれないし、楽譜もなくて。音がわかったとて、自分がその音を出せているのか、高いのか低いのかがわからないし。ただひたすら歌えない自分を思い知らされる時間で。練習中何度も泣いてた。
でも、シーン練習になって、動きや感情が乗ってくると何となく周りに合わせて歌えるようになってきて。動きながらだと自分の声もいい具合にかき消されるから、声量気にせず歌えて。ちゃんと、歌も含めたパフォーマンスをできるようにたぶん徐々になっていたと思う。

シーン練習や全通しをする中で、誰かの表現が素敵だな、とか誰かの踊りがかっこいいな、とかをすごく思って。代わりに私はまだまだ全然だめだな、とも思ってた。
そんな時に「せいかの踊り方好きで動画見て研究してる」「笑顔が素敵でいいね」「表情が好き」とかいろんな人が声をかけてくれて。
ちょっとだけ、自分の表現に自信を持てるようになりました。

そして、本番2日間も大きな失敗なくやり切れて、舞台を純粋に楽しいものだと思えるようになった。
裏方好きの演者嫌いが、裏方好きの演者好きになってしまいました。

そんなこんなで、コモビ参加時に思っていた3つの目的、それぞれそれなりに達成することができた100日間だったかな、と思っています。

そんな幸せな100日間だったけど、実際練習行けなくなりそうだったりやめちゃいたくなったりしたことがもちろんなかったわけではなくて。
平日のメンタルがどん底過ぎてそれを引きずって、練習に向かう電車に乗れない、電車を途中で降りそう、そんな日がいっぱいありました。
でも、それで練習に行けなかったことは一回もなくて。本当にこれはマッシュとゆーとに感謝しかないんだよね。マッシュカーがいつも最寄りまで迎えに来てくれて、車の中でマッシュやゆーとと話したおかげでメンタル何とか練習参加できるまでに持っていって。ってしてた。
帰りはがいはやりゅーちゃんも乗っけて、楽しく話しながら時々ご飯食べたりして。マッシュカー組の皆のおかげで、私はまじで何も繕わない素でいられる時間ができて、居心地のよすぎる居場所だった。
本当にありがとう。大好きだよ。

あぁ待って。何をどこまで書いたらいいかわからなくなってきた。
読んでる皆も流石に疲れてきたよね。
書いてる私も疲れてきた。無計画で書き始めるからこういうことになるんだよね。
ごめんね。

最後に、初公演の気合い入れでもらったコアからのメッセージの話をして終わりたいと思う。
100日後の自分への手紙と一緒に入ってたコアからの手紙。
表には1人1人に合う漢字を考えたよって言ってて、どんな漢字だろうって想像もついてなかった。開けてみたら、「肝」でした。
もちろんコアの4人が何を想ってこの漢字を選んでくれたのかを正確に知ることはできないけど、きっと「肝が据わってる」ってことなんだろうな。
落ち着いてるとか、周りをよく見てる、って言ってくれて。私としてはあんまりそれがわからなかったりもするんだけど。
でも、誰かから見てそう見えてるのなら嬉しいな。
本番前に一番嬉しかった言葉は「立派な表現者」って。最後まで私は私の表現に自信を持ちきれなくてふわふわしてた。だからこの言葉はとても心に響いて本番頑張ろうって思えた。
今までもいろんなところでいろんな人に経験キャストだと思われたり、スタッフだと思われたりしたけれど、コアからも初キャスとは思えないくらいって言葉がでてくるとは思ってなかった。笑
嬉しいことだよね。本当に。かけがえのない仲間の1人だと思えてもらえたのかな、って思うと本当に泣けてしまう。

59期参加の背中を押してくれた皆。
59期一緒に走ってくれた皆。
私なんかのことを気にかけてくれた皆。
本当に、本当に、出会ってくれてありがとう。
大好き。愛してるよ。
これからも仲良くしてね。仲良くなろうね。

そして、観に来てくれた皆も本当にありがとう。
たぶん今まで見せたことのない私を見せることができたんじゃないかと思ってます。

最後、もう何を書きたいのかわからなくなってきちゃって、すごい読みにくかったと思うけど、ここまで読んでくれた人本当にありがとう。
コモンビートという幸せ空間の話を共有できて嬉しい限りです。

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