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昔々あるところに頭の弱い女がいました《3》

【前回までの記事】

昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《2》

まだ読んでない方は↑からどうぞ。




歌舞伎町で出会った心優しきホスト・Mから貰った5,000円を握りしめ、
私は大人の社交場・六本木に降り立った。

目的は「道でオジサンからお金を貰うため」である。

当時の私の“東京”の基礎知識は、
前回の記事にもあるように、
全てTOKIO松岡くん主演のドラマ「夜王」で培われていた。

夜王の中(のホスト界)では
『歌舞伎町が頂点、六本木が下』かのように描かれていたから、
あまり土地に優劣を付けるのもどうかと思うが
当時は六本木がどんな街なのかよく理解していなかった。

しかし歌舞伎町に比べると、
派手な原色に視界を殴られる事は少ない街並みに少し安心して、
幾分か肩の力を抜いて歩くことができた。


生まれて初めて降り立った六本木は、
とにかく坂が多かった。

試合会場で売り捌く為にグッズをパンパンに詰めた商魂逞しい試合用キャリーケースに比べれば、
当時の荷物はずっと軽かったが、
それでも六本木の坂道の前では立派な錘となる。

私は腰にタイヤをつけて走る野球部のように、前傾姿勢を保ったまま街を闊歩した。
迫り来る冬に備えて着込んだニットが仇となり、私の額に汗を浮かばせる。

立地問題は、街を練り歩きお金を貰おうと企む劣悪な小娘にとっては由々しき問題だった。
歌舞伎町を彷徨い歩くのとは訳が違った。

次第に息も上がり、顔面を脂でテカらせ荷物を引きずる女には、
いくら若さという とびっきりの宝石を身につけていようと なかなか声が掛からなかった。

しかしこういうのは諦めそうになった、その一歩先が肝心だ。
昨夜の歌舞伎町での出来事が私にそう教えてくれた。
一向に誰からも見向きもされない中、ひたすら六本木の街を彷徨い続けた。


「すみません、今お時間いいですか?」

土地勘のない場所でどこにコンビニがあるかくらいはそろそろ覚えられそうな頃、
ようやく1人の男性に声をかけられた。

「お仕事探してませんか?」

その男は、夜職のスカウトだった。

『仕事』は全く探していない。
私が探していたのは「歩いているだけでお金をくれるオジサン」である。

しかし岩倉という小さな町に生まれた私にとって、
“スカウトされる”という行為自体が初めての経験だった。

当時の私にとっては、
原宿でホリプロに声を掛けられるのも
六本木で水商売に声を掛けられるのも、

“スカウト”は“スカウト”であり、
同等の価値があった。

気分は舞い上がり、昂っていた。


しばらく話していると男の口からは

「今からでも働けるよ」
「ヘアメイクもあるし、ドレスも貸すよ」

“ヘアメイク”!? “ドレス”!?!?

私の脳裏には、
当時同世代女子の中で最も支持が熱く、
“どんなブスでも髪を盛って目の周りを囲めば可愛くなれる”と多くの女子に希望を持たせた
伝説的雑誌「小悪魔ageha」の蝶達が浮かんだ。

私もage嬢の仲間入りが出来るんだ。

こんなチャンス、岩倉にいては掴めない。

なぜなら岩倉にも
所謂“飲み屋”は数多く存在するけれど、
ほとんどがスナック、たまにキャバレーだから。



話は六本木の夜より、更に昔に遡る。

当時中学生だった私は、その頃から親友Yとツルんでいた。

自転車のハンドルを反り上げて荷台をテコの原理で器用に持ち上げた愛車に跨ると
市内を走り回り最終的に必ず駅近くのマックに流れ着くのが私達の日常だった。
そしてポテトのMとシェイクのSで、何時間も粘るのだ。
4時間も、5時間も。

店にとっては極めて迷惑な話だが、
恐ろしい事に店内でそう過ごしていたのは決して私達だけではなかった。

夕方〜夜になると続々と集まりだす中坊の群れ。
ポテトとシェイク、せいぜい300円くらいの細客の分際で何時間と店内のスペースを独占し、騒ぎ散らかすのだ。

恐らく当時あの店舗は、
愛知県尾張地区で最低の治安を叩き出していたに違いない。

それでも当時の店長はそんなクソガキにも優しかった。
お金のない学生にとって、シェイクSの100円すら惜しい時もある。

そんな時、少し知恵をつけたガキ共は
「ポテトと水だけで何時間も粘る」という最低な妙技を繰り出すが、
店長は何も言わず、笑顔で差し出してくれた。

そんな店長に、私とYは次第に懐くようになり、
最終的に「てんてん」と呼ぶようになった。
店長だから「てんてん」なのである。

尚、てんてんとは仕事終わりに3人でカラオケに行くほど仲良くなったが、
大した記憶がないのでさほど盛り上がらなかったんだと思う。
いつの間にか、てんてんは店を辞めていた。
もしかしたら未成年2人を引き連れて遊んでいた事がバレたのかもしれない。



とある日も、私とYは夜になるまで遊び呆けていた。
すでに日は沈み居酒屋の看板には灯が灯っている。
何をするわけでもなく、ただ愛車を走らせた。

市の真ん中には、
市役所と飲食店、ブティックにキャバレー・ピンクサロンと、
生活に必要な行政と衣食住・快楽が混在した、
この世の全てを教えてくれるとんでもないエリアがある。

この辺りは中学生には殆ど用事がないので普段は通らないのだが、
その日はなぜかウロウロしていた。

夜の訪れと共に点灯する下品なネオンは中学生には刺激が強い。

この扉の向こうにはどんな世界が待っているんだろう。

未知だからこそ興味が湧き、
未知だからこそ恐怖を抱いた。

私達がその扉の前を通りがかろうとしたその時、
突然キャバレーの扉が開き、中から男の人が出てきた。
私はなんだか、自分にはまだ見てはいけないものを見てしまった気がして、咄嗟に目を逸らした。

しかし次の瞬間、
私は思わず視界を戻して、その扉を凝視する事になる。


「あ"り"がど"ね"ぇ"〜〜」

衣擦れのような声と共に男の人の後から出てきたのは、
ネオンカラーのミニスカートに黒髪をワンレンに伸ばした女性だった。

…え、女性?多分、女性。

その女性は、女装した明石家さんまに似ていた。

参考:女装した明石家さんま


私にとって水商売の知識というのは
財前直美主演のドラマ「お水の花道」しか持っておらず、
作中にこの手のタイプの女性は出てこなかったので激しく混乱した。

恐らく名古屋の人にしか伝わらない表現だと承知の上で使うが、
「花園系」であるあのお店には、
ピンキーさんという50代の女性が在席していたらしい。

私にとってあの場所は、
生まれて初めてこの目で見た
『夜の世界』だった。



小悪魔agehaの誌面では、
いつもバサバサのまつ毛にキラキラしたモデルが華やかなドレスを着て笑っている。

しかし前述の通り、
私の現実に存在する“夜の世界”は「あの店」しかない。

だが私はここにきて
“岩倉クオリティ”を飛び越えて、
大都会・東京で華やかな夜の蝶に変身する機会を得たのだ。


ーーーであればこの船、
乗らない理由はない。



私はスカウトマンと共に、
六本木交差点から赤坂方面へと歩き出した。

これから簡単な面接を行うのだ。

キャリーケースの中には
期待と不安の両方が詰まっていた。


《きっと続く》

当時撮影した東京タワーの “写メ”

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