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【難聴エッセイ】聴こえない人と聴こえる人と

(2022年4月にInstagramに投稿した記事です)


みなさんは、「聴覚障害」をもつ人に
会ったことはありますか?


会ったことがない人は、聴覚障害について
どんなイメージをもっていますか?


 耳が聴こえないなんて、大変そう。
 かわいそう。
 どうやってコミュニケーションとるの?
 話せるの?
  …詳しくは知らないけど、そんなイメージをもっていませんか?


私も、聴覚障害をもつ、そのひとりです。

(一口に聴覚障害といってもその程度は百人百様。
私は、一言で言うと中等度難聴です。)




たしかに障害をもって暮らしていると、
日常的に様々な壁にぶつかります。


町には音声だけの情報が、溢れかえっているからです。


それもそのはず、
聴こえる人の方が圧倒的に多い世の中だから、
「この中に、聴こえない人がいるかも」なんてこと、
考えられていないシステムなのが普通。


そのシステムの中で、何となく過ごしていくことはできるのです。
やり過ごして、流れに身を任せればやっていけないことはないのです。
聴こえる人よりも情報が少なくて、理解や行動が遅れたり、間違えたりすることは、もう仕方ないや、って思うこともあります。


だけどそこで、「はい!私、難聴なんです!」って
勇気を出して名乗り出てみると…
一人だけ取り残されたかのように感じる世界から、
少し優しい世界にであえました。



区役所では、筆談で対応してくれました。
病院では、音声アナウンスではなく直接待合室まで呼びに来てくれました。
マックでは、マスクの下の笑顔とともにメニューの指差しで対応してくれました。
オンラインスクールの先生方は、大変な労力をかけて
動画に字幕をつけてくれました。
北アルプスのある山小屋には、実は手話を知っているというスタッフさんがいて、「少しだけだよ」と謙遜しながらも手話をつけて話してくれました。




その優しさは、無言で待っているだけじゃ
であえない。


だって、生まれた時から、聴こえている人の方が多くて
たくさんの音声が飛び交っている世の中だから、
声は聴こえるものだということが当たり前になっているだけ。


それでも聴こえない人は、
「なんで分かってくれないの」
「なんで配慮してくれないの」じゃなくて、
自ら伝えて、知ってもらおう。
時には「何度も言ってるのに」って思ったり
反応に傷ついたりすることもあるかもしれないけど
人は忘れちゃうから、何度も言おう。
傷ついたときは、勝手に期待していた証拠。
その人の考えや意見も想像してみよう。


聴こえる人は、
聴覚障害をもつ人に会ったら……
難しいことはないです。
ただただ、思い込みを捨てフィルターを外して
フラットに伝わり合えると、とても嬉しいです。


「障害」に限らず
いろいろなものを、人を、
良し悪しや優劣ではなく
そのまんま見ることができたら、
お互い伝え合うことができたら、
とても素敵なことだなぁと思います。

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