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日はまた昇る

妊娠すること、お腹で赤ちゃんを育て
そして母子ともに無事に生まれてくること

それは幾重にも重なった奇跡だ、と強くそう思う。

その上で、私は自身の出産経験から
お産は”フツー”だ、と感じる。

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「もう赤ちゃんが出てくるよ〜」という時
私が感じていたこと。それは

”あぁ、この感じ知ってる知ってる。うんちと一緒だ” 

「産む」の一番近い例えをあげるなら、
「大きな排泄物」が勝手に出そうな感じ。

だからこの感じを知っている。

出産は特別なものではなく なんだか”フツー”なんだな、
日常の延長線上にあるものなんだな。

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出産は人類が長い年月にわたり
綿々と繰り返してきた営みである。

その長い歴史の中で
戦後の日本ではGHQの指導による医療制度改革により
出産の場所が、自宅から医療機関(病院・診療所)に変遷する。

産む場所が病院に移ったことで

家で産んでいたときのように人は日常の中でお産を見ることがなくなり
出産は医療化され管理され、その結果
主体が医療者に変わったように感じると同時に、
病気や死のイメージとも結びついていったのではないだろうか。

だから、出産のイメージが医療と結びついてからは
「大変なもの」「産ませてもらうこと」になったり

隠れている(見えない)からこそ「神秘的なもの」と
感じるようになったのかもしれない。

だけど 産む場所が変わったからと言って
本来私たち人間の体に備わっている生理的な仕組み
「母の産む力」・「赤ちゃんの生まれてくる力」が
完全に失われるわけではない。

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ポルトガル語では
「日が昇る」と「生まれる」は語源が一緒なんだそう。
その背景には、昔の人が「日が昇ること」と「お産」を
重ねあわせてきたことがうかがえる。

きっと、産む私たちに必要なことは、
出産を「痛みや恐怖」と勝手に結びつけ
必要以上に怖がることではなく、

太陽が再び昇るのを待つように
お産をあるがまま、”フツー”の日常の営みとして
受け入れることなのかもしれない。

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