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常勤医退職を考え始めたきっかけの話、消化器外科A先生。

現在フリーランス医師をしている
40代の女医なつ🌱です。

私は大学医局で専門医指導医取得後、
常勤ワーママ女医の生活に限界を感じ
40歳目前で退職しました。

以前大学医局を退職する理由の話を
書きました。

この理由を言語化できるまで
退職について1−2年考えたような気がします。長く考えすぎですね。

ただ最近ふと
「退職考え始めたきっかけ、そういえばあったな」
と思い出しましたので、今回書いてみます。

消化器外科のA先生

陽気で自由気ままな外科の先生がいました。
当時40後半だったでしょうか。
大学の関連病院でお会いした先生です。
A先生は基本ニコニコ馬鹿話ばかりしていて
かなりマイペースで自由奔放。

手術は上手との噂でした。
ただ超がつくマイペースで気性も荒い。
指示通り仕事が行われてないと怒鳴り散らす。
怒った時のA先生は研修医も看護師さんも怖がってました。

怒った後、A先生は記憶障害なのかってくらい
自分のした行為をケロッと忘れる。
仕事が終了後(と本人が思ったら)ダッシュで帰る。
しかも病院OPE着で自分の車に飛び乗る。
残った雑務は全部レジと研修医と看護師さんがどうにかする。
自分が大事だと思った仕事以外は何もしない。

そんな感じなので仕事は抜けまくり、
医者間でも敵が多い。

若い女の子が好きで、暇があれば
気に入った看護師さんとよく病棟でおしゃべりしてました。

ここまでの話を聞くと
最悪な医者じゃん、と思いますが
(まあ良い医者とは言えないと思う、、、)

個人的に話すと
自分に正直で真っ直ぐ、裏表がない。
いつも笑顔で話がとても面白い。
自己肯定感が(ものすごく)高く、急に怒る時以外は基本笑顔でした。
(女の子に対してヘラヘラしてたとも言う)
背が高く顔もスマートでいつも代わるがわる彼女がいたようです。

私は当時若かったし年下の女医ということで
科は違いますが
たまに病棟や医局などですれ違うと
ご機嫌に挨拶してくれるような間柄でした。
(仕事はほとんど関わりなかった)

自分自身に実害がなかったのもあるし
ダメなところもいっぱいあるけど
なんだか憎めない先生だな、と思ってました。

ある日事件が

ある日、このA先生に事件が起きました。
まあいつ起きてもおかしくなかったんですが。

いつものように手術中に研修医に怒鳴ったようです、
よくあったことみたいなのですが、その時の研修医の子は耐えきれず
翌日から精神的に沈んでしまい勤務できなくなってしまいました。
(かわいそうに)

昔なら何も動いてくれなそうですが、
時代も時代になってきたのと普段の行いで
様々な職種から恨みがあったようで、
芋づる式にいろんな告発もあり
ハラスメント委員会が動いて調査したところ
A先生の行為にパワハラ認定が下されました。

その後


年度の最後になり
A先生が病院を辞めることになったと聞きました。
ハラスメント認定くらいで凹むような人じゃないし
(自己肯定感の塊だから)
委員会からは厳重注意のみ、と聞いていたので
びっくりして声をかけました。

いつもの笑顔で
「やーそうなっちゃったんだよね〜、もう少しよろしくね!」
と、いつもの感じでへらへらしていました。

お別れ会で

その後A先生と仲の良い病院の人たちだけで
個人的なお別れ会がありました。
人の多い病院ではなかったし
敵が多い先生だったので
お別れに来てくれるような同じ科の医者もいなかったようです。

その会を企画した看護師さんから困った顔で
「先生来てくれませんか?」
と声をかけられました。
看護師さん的に医者が一人もいないのも、、、と気を遣ったようです。
(別に仲の良い看護師さんだけでもA先生嬉しそうなのに)

あんまり仲良くもないのにいいのかな?
と思いつつも予定も空いていたし
ご機嫌の時のA先生のお話は
とても面白いので行くことにしました。

玄関のドアが重かった

お別れ会はいろんな思い出話をして
皆A先生を盛り上げていました。
A先生もいつも通り話が面白かったです。

会の途中で「肝心の辞めようと思った理由」
皆気になっていて
誰かが意を決して聞きました。

するとA先生は一言。
「朝家出る時、玄関のドアが重かったんだよね。」

え、どういうこと?
皆一瞬目が点に。
「またまた、ふざけて〜」と皆で笑ってましたが、

続けてA先生が
「俺、今まで一度だって玄関のドア重いって感じたことないもん。
今日は〇〇のオペだー!とか
今日は飲み会だー!とか。
楽しい気持ちで家出ることしかなかったのに、
ドアが重い!?やばい!って思ったよ。
外に出たくなくなってるじゃん!って。
そんなの俺じゃないでしょ?
だから今の病院辞めようって。
もう次の日、転職先探し始めてすぐ事務長に言ったよ!」

(か、科長じゃないんや、、、。)

自分の人生、自分本位で考えていい

看護師さんたちは
「さすが、先生〜!!」
と笑っていたけど、

私は頭を殴られたような衝撃でした。

「今まで一度だって玄関のドア重いって感じたことない」
「そんなの俺じゃないでしょ?だから辞めようって。」

え、ほんと?いや、この人マジだ、、、
いつでもマジだもん。

そんな医者いるんだ。
医者って、みんな、
毎朝、あー今日も仕事行きたくないーって言いながら仕事してるんだと思ってた。

ってか、医者の中でも激務といわれる消化器外科だよね?

「自分でいられないなら、すぐ辞めよう。」

確かに、この人はマイペースで
周りに迷惑かけまくってるかもしれないけど、

とにかく自分に正直。
いつでも自分に向き合ってるんだ。

自分の人生なんだから
人に気遣ってばかりじゃなくて
もっと自分本位でいいのかも、、、


医療者は自己犠牲しがち

病院で働いている人の労働は、「感情労働」「ケア労働」と言われます。
病気や怪我で辛い思いをしている患者さんを
ケアするため

労働者が感情を抑制し
我慢や忍耐を必要とする
場面が多く
毎日の勤務が抑制・我慢の連続になっています。

自分の感情に蓋をすることに慣れてしまって

患者さんは辛いのだから自分が我慢すればいい
辛い気持ちを自分が我慢できないのが悪い

医療者真面目な人あるある.com

と思い込んでしまいます。

その感覚に慣れてしまうと
患者相手でなくても
医療者人間関係や職場環境でもそう思ってしまうことがあります。

私さえ気持ちに蓋して黙ってれば職場の雰囲気が良くなるし。
人手不足だけど自分が無理して頑張ればなんとかなる。
踏ん張れない自分が悪いよね?

そして基本女医は真面目が多い.com

でもその場しのぎの自己犠牲の精神は
根本的解決にはならないんですよね。

何事でも無理を続けるといつか破綻するのは
考えるに容易いでしょう。


不満を抱えたものが人のケアはできない

A先生のこの言葉を聞いた頃、
私はまだ子供を産んだばかりで
家事も育児も仕事も精一杯、
何も考える余裕のない頃でした。

なんだかよく分かりませんがこの言葉がずっと頭に残り
その後ワーママとして働くうちに不満が芽生えた時にこの言葉を思い出します。
(不満はこの記事です↓)

不満を抱えて仕事をしてイライラしていた時は
気持ちの余裕がいつもないことを感じてました。

仕事はきっちり仕上げてるつもりでも
本来自分にあったはずの
優しさや丁寧さが失われているような自覚もありました。

自分に余裕のない人間が、
心に優しさの余白がない人間が
病気や怪我で苦しんでいる人間のケアができるのか?

「そうだ、私らしくいられないなら
辞めよう。」


まとめ

私の退職を考え始めた小さなきっかけの話でした。

もっと自分が幸せになるために一旦仕事は置いて
自分が心地よい環境にすることを第一優先に考えよう。

玄関を開ける時、ドアノブが重くないように
ドアノブに手をかける時
ワクワクする毎日にしよう。

目標は高く!.com

人生って不思議ですね。

家族でも仲の良い友人でもない。
初めてご飯した相手のなんのことない一言が自分に響く時がある。

同じ言葉でも、発言した人の背景やタイミング、聞き手の状況などで全然変わってくるんでしょうね。


あなたは人生の転機、どんなきっかけで動き始めましたか?
動こうとしていますか?

それではまた。




もうすぐ3月ですね。
医局人事異動で年度末でお世話になった職場を退職する先生もいますよね。

私は以前退職する時、自分の医局や顔出す部署には菓子折り持っていきましたが、事務の方とか隣の科のブースの看護師さんとか、ちょっとした院内の知り合い顔見知りにはあちらが気を遣わない程度のこちらを買って挨拶しましたよ。

これくらいだとみんな笑ってもらってくれます。可愛いし。すぐ消費できるし。

あと自分には退職した時に聴診器を買い換えました。すぐ失くしそうだから高いものは買えない小心者です。
リットマン、ClassicⅢ。
ブラックがやっぱかっこいい。



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