【ブログvol3】幸せを「感じる」ということ~世界一幸せなデンマーク教育をみてきて~
国連調査幸福度ランキング1~3位にいつもいるデンマーク。
デンマークの幼稚園、小中学校、成人教育機関… 7泊9日に詰め込んで、
あふれでる気づき、衝撃、学び。
そのなかから今日は「幸せ」についての気づきを書きます。
思ったこと。それは、幸せって「感じるもの」だ。
どんなに自分が幸せなシチュエーションにいるかを頭で理解できても、感じなければ、幸せだと思えない。
幸せを言葉にできてもできなくても、幸せだと思えれば、幸せだ。
書いてみれば、当たり前のこと。
でも、そんな当たり前を気づかされるくらい、
「幸せを感じている」というよりも「幸せを探している」自分。
「幸せを感じている」というよりも「幸せを理解しようとしている」自分がいました。
今、読んでくださっている、あなたはどうでしょうか。
もし、同じ気持ちだったら、この記事があなたの心を軽くするかもしれません。
自分が幸せなシチュエーションにいると思えない時に、幸せだと感じようとする必要は全くない。
けど、私には、自分で「私は幸せ者だ」と理解できるシチュエーションがいくつもありました。
でも、素直に「私、幸せだ」とは思えないこともたくさん、ありました。
それは、
「恐かった」からだと、思うのです。
何か、悲しいことがあると、それを感じてしまうと「悲しい」。
だから、なぜ悲しいのかを考えて、なるべく、自分を遠くから見て、
悲しい理由を論理立てることで、
「悲しいと感じないように」「考えてきました」。
悲しい理由がクリアになったら、
笑顔になれるために、どうするかを組み立てて
さぁ、行動。
多くの方から「ポジティブ」と言ってもらえる性格と同時に
「悲しみ」への恐れがありました。
私のやってきたことが悪いと言うつもりは全くありません。
ただ、「悲しい」という感情を感じなくていいように、
なるべく論理的に組み立てるようになった「クセ」がついてしまって、
ついつい、「楽しい」ことまで「感じる」のではなく、一歩引いいて考えてしまう自分に気づきました。
デンマークの自然の美しさに心が動かされたとき、
素直に、自然を「楽しんでいる」自分に出会いました。
そして、それは最近忘れていた自分だった。
20歳の時にアメリカに留学した以来、ちょっと忘れてしまっていた、楽しいと「感じた」瞬間。
留学から帰ってきて、愛犬や祖母の死、失恋、親の離婚などで、ちょっと「感じる」ことに億劫になっていました。
「悲しい」と冷静に捉えて、前に明るく進むのも大切。
時には、友達の手を借りて、「悲しむ」のも大切。
確かに、「楽しい」ことも冷静にちょっと疑うことも時には大切。
「楽しい」ことは、それを信じて、受け入れて、
「あー、楽しいな」って「感じる」ことも大切。
ずべて、たぶん、必要。
どれを、どういうバランスにしたら良いとは数値化できないけれど、
ひとりひとりが、自分が「幸せ」と思えるぐらいの
バランスが大事だと思いました。
ここ最近の私は、「感じる」というところが、だいぶなかったと思う。
私、幸せだな、今、と頭で思えた時には、これからは、
恐れずに、心も委ねたい。
デンマークで味わった、あの居心地の良さ、幸せを感じられるかは、
「デンマークだから」ではなく
「私次第」だと思う。
幸せは感じるものだという気づきは
世界のどこに行っても、私は幸せになれる気がする勇気をくれました。
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