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遺書No.803 子猫殺し。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.9.22
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直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。
その内容をめぐって余波が続いている。
タヒチを管轄するポリネシア政府は、
坂東さんの行為を動物虐待にあたると裁判所に告発する構えを見せている。
20日から26日は動物愛護週間。




こんばんわ、みーくんです。




坂東眞砂子さんは真意を語りたいと寄稿した。

『子猫を殺す時、自分も殺している』

私は人が苦手だ。
人を前にすると緊張する。
人を愛するのが難しい。
だから猫を飼っている。

そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、
僅かばかりの愛情世界をなんとか保持している。

飼い猫がいるからこそ、
自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。

だから私が猫を飼うのは、
まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。

さらに、私は猫を通して自分を見ている。
猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。
だから生まれたばかりの子猫を殺す時、
私は自分も殺している。
それはつらくてたまらない。

しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、
また子猫を産む。

家は猫だらけとなり、えさに困り、
近所の台所も荒らす。

でも、私は子猫全部を育てることもできない。「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。
現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、
避妊手術が必要だという考え方は、
もっともだと思う。

しかし、私にはできない。
陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。
それを断つ事は、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つ事にもつながる。

もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。
経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。
それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。

もうひとつ、避妊手術には、
高等な生物が下等な生物の性を管理するという考え方がある。
ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。
日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。

他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、
人による人への断種、不妊手術へと通じる。
ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、
晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。

エッセーはタヒチでも誤解されて伝わっている。
ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが虐待にあたるか精査してほしい。



事実関係を知らないままの告発なら、
言論弾圧になる。

坂東さんは「子猫殺し」を発表する事で、
愛猫に抱く葛藤を伝えると共に、
過剰なペット依存社会に一石を投じ、
動物の生と死について再考を促そうとした。

しかし現状では、
多角的で本質に迫る議論には発展していない。

「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」

この強い表現は、
猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、
読む側の不快感につながった。

言葉を扱うプロだからこそ、
意図を正確に届ける工夫がもっと欲しかった。

また、猫への避妊手術は、
坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。
野良猫の7割以上がウイルスを持っていると言われる、
『猫エイズの予防』だ。

治療法は確立されていないが体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。

現代社会の猫や犬は単なるペットではなく、
人生の伴侶として扱われる。

坂東さんに賛同する人は少ないだろう。

ただ、私達が「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。

動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と捉えてる人はどれ程いるだろうか。
人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。

坂東さん、そして社会が抱える病理を、
多数派の意見で押し込めてはならない。



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2022.10.24
毎日遺書を書き始めた当時804日目の投稿内容。
あまりハッキリと覚えてはいないけど、これ多分、ボク自身の言葉じゃないな。。
いや、坂東さんと子猫殺しのニュースに抱いた感想や自身の考えはこの通りなんだけど、自分ではここで書かれた言葉を選べてない気がするから、正にと共感する文章なりを見つけたのを引用してると思われる。
・・・あかんやつだ。


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過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。