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卒園式に向けて脳内に流れた尾崎豊の「卒業」。

時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、
令和の父親になるべくアップデート作戦中!


こんばんわ、ナツキのパパです。


この春、末娘のカナが卒園しまして、
遂に、園児ではなく児童になりました。

全国の保育士という職業の皆様に、
心から尊敬の念と感謝の意を表します

これまで子ども達を預け、お世話になってきた保育園(現在はこども園)とのお付き合いですが、長男が2歳の時から始まり、次男、そして長女と、続けて3人の子を預かっていただく形になりましたので、計10年に渡ることとなりました。

まず始めに、これまでお世話になった先生方に、こんな場所ではありますが心からお礼を申し上げたいと思います。

そして、全国の保育士という誇り高く、かつ過酷なご職業に従事される皆様方にも、その社会的役割としての崇高な使命や存在意義、その社会貢献度の高さに、心から脱帽致しますと共に圧倒的な尊敬と感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

個人的に、今の日本社会は保育士がいるからこそ成り立っている、と言っても過言ではないと思っています。

綺麗に彩られる想いだけじゃない。

ただ、そんな中にあっても(いやこの流れで!?)、個人的な保育園との関係性や思い出を振り返ると、『ただ感謝の一言だけで済ますのちょっと違うんだよなぁ…』というのが正直な気持ちなのも事実なので、ちょっとどけこの場を借りて書き記しておきたいなと思います。

10年に及ぶ付き合いの関係性でも成せなかった残念さと難しさ。

お世話になった10年の間、我が家では子どもの気持ちを尊重する考え方から、園の方針や対応に関して疑問や相違点を感じた時は、都度(もちろんそれらの程度に寄りますが)、園側にお話する機会を設けて頂いたりして、時には手紙を書き、自分たちの考えを伝え、また園の方針や見解を伺ったりしてきました。

もちろん完璧なんて求めてた訳ではないのですが、とはいえ我が子の成長に関わる事だし、元より『子どもに対する保育方針の方向性としてそれはどうなのか?』と思うような事も時にはありましたので、そんな時にはやはり、黙って容認する訳には行かず意見交換を求めるケースに繋がったりしました。

ですので、そういった意味では、決していつも感謝だけを感じていられる対応だった訳ではなかった、という意味です。

例えば、小さな間違いや失言は保育士さん個人に限らず園としてもあるだろうし、そこは保護者だって同じなので、その辺りをツツクよな意図でのクレームを入れた事は無いつもりです(笑)

主張したのは子どもの尊厳と権利。

つまり、具体的にはその対応が目に余るよな際、例えば子どもの尊厳を傷付けるような内容と思える言動だったり、子どもの権利を奪い取るような内容と受け取れる指導方法などがあった場合です。

そんな時には、それが保育士個人の判断によるモノなのか、或いは園の方針に沿ったモノなのか、仮に保育方針に沿うならその方針は子どもの権利や文化的な時代背景を考慮した際にどうなのか、といった部分で話を聞いたりしました。

求めていたのは反省や謝罪ではなく、相互理解に繋がる「対話」や「寄り添い」の姿勢。

ちなみに、それらの話し合いでボクたち夫婦が求めていたものは、もちろん一番の理想は相互理解や共感を経ての同意、価値観が異なる場合の共通了解ではあるんですけれども、それ以前に望んでいたのは、先ずは「対話」でした。

例え同意が得られなくても、対話による相互理解の機会として、受け入れてくれる姿勢や、可能な限り応じようとするような、心への「寄り添い」の姿勢だったりといったもの。

ただ、最終的には「入園時に園の方針としてお伝えしています」という、まるで面倒なクレーマーに対するマニュアルであるかのように十把一絡げにした言葉を返されて、「理解しあうことを諦めざるを得ないのか」という悔しい気持ちや、「なんで対話したいだけなのに敵視した戦いのような対応しかとれないのか」という悲しい想いで話し合いを終えた事が多々ありました。

※最初からそういう方針・態度を謳っているのなら諦めもつくのですが表面的には受け入れるので何でも相談してねと言うので苦しんだという側面もあります。

また、それらの園と間の対応で涙する妻も何度も見てきましたので、卒園するにあたって最後にもう一度だけ伝えたい、という忸怩たる想いがあったのが本音です。


改めて最後にお伝えしたい本当の想い。
でも卒園式で伝えられなかった言葉。

そんな中でも無事に卒園する日を迎えられた事は、冒頭で触れた通り感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、この春に我が家の最後の子どもが卒園するにあたり、のべ10年間もお世話になった園に向けて、最後にもう一度だけお伝えしたい。

細かいことはもういい。
ただ、ジェンダーフリーの考え方のことも、子どもの気持ちを尊重することでお願いしてきたこれまでの我が家の方針も、根本にあるのは「子どもの尊厳の保護&権利の尊重」です。

つまり、ボクたちがお伝えしたりお願いしてきた主張や、あるいはご意見や見解を伺ってきた行為は、全て「家庭の方針 vs 園の方針」というものではなく「子どもの尊厳の保護&権利の尊重」です。

そして「子どもの尊厳の保護、子どもの権利の尊重」というのは、保護者の家庭の方針だとか園の方針だとかよりも優先されるべきもの、「方針以前のものではないですか?」ということなのです。

ボクたちはこの春に卒園しますが、これからも多くの家庭のお子さんを預かり、また保護者の方々とお子さんの為にご尽力いただく園長先生や皆様には、どうか、ボクたちが10年間に渡ってお伝えしてきた部分、「子どもの尊厳や権利を保護・尊重することは、家庭や園の方針の対立以前に、より上位に考えるべきもの」だという点を、是非お心に留め置きいただけたらと思います。

本当は卒園式を迎えるにあたり、直接お伝えしたかったのですが、流石に、当日の空気を考えると、また他のご家庭の保護者さんや保育士の皆様の胸の内を想うと、お伝えする時間をいただくのも憚られましたので、こんな処で吐き出して終わりとさせて頂きたいと思います。笑

子ども達の歌声を聞きながら・・・

ちなみに、いつ頃からだろうか?
おそらく一年以上は前からだと思います。

末娘の卒園と共に、長らくお世話になった保育園とのお付き合いも終わる、と考えたら、ボクの頭の中には、ある曲が流れてきて、自然と口ずさんでおりました。

尾崎豊さんの「卒業」。

そう、卒園式の当日、子ども達が元気に園歌を歌っている最中、周りの保護者の皆様が目に涙と微笑みを浮かべながら聴き入る中でボクの心に響いたのは、子ども達の声ではなく尾崎豊さんの卒業でした…。


カナ、ごめんッ!!!!


・・・でも仕方なかったんだ。
許してね(笑)


子育て&夫婦(パートナーシップ)に関して書いてます。

ワンオペ育児やママの孤独感をなくす為に必要なのはパパの意識改革!そして女性の社会進出も大事だけど、その為に必要なのは男性の家庭進出!

・・・という訳で、時代劇みたいな昭和の固定観念から脱却し、令和の父親像にアップデートする為にボクが(自戒や反省も込めて)大切だと思う想いや考え方、気付きなどを発信するマガジンです。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。