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遺書No.785 永遠の傍観者。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.6.9.3
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嫌な女といえば・・・
以前アメリカを襲った大型ハリケーン、
カトリーナ!!!!
甚大な被害を出して怖かったよね…。
そんなカトリーナ級の大型台風が、
驚くほどに不可解な動きで近づいてるらしいね。
しかも本土上陸予想は6日だとか('A`)




こんばんわ、みーくんです。




今までにもこの遺書の中やmixiの日記内で、
何度か繰り返してきた言葉ではあるけどね、
敢えてもう一度ここで言わせて貰おうか。

まぁ聞いてくれ。


「凄く可愛い子だけど性格最悪な女と、
ブサイクでも性格凄く良い子どっちがいい?」


とかいう、
得てしてブサイクから発せられるこの謎の質問。

(※性別は仮。以下、性別逆でもOK)


俺から言わせて貰うと、
こういう質問する人はまず始めに、
何か決定的な勘違いをしていると思っている。

※誠実に本音を語るにあたり前置きをすると、
これと同じ台詞はルックスの良い人から出た時の方が、より不愉快な可能性が高い。

即ち、大多数の人にとってみれば
「ルックス」が「積極的要因」であって、
「性格」は「消極的要因」に過ぎない、
という事だからだ。

これは「外的要因」と「内的要因」と言えば、
本来分かり易いかも知れないのだが、
微妙にニュアンスが異なるので、
あえてそのまま受け止めて頂きたい。


解りやすく解説しよう。


男(女)が女(男)を選ぶ時に、
まずはルックスで選ぶ。

まぁ待て。

これは何も、
全ての人がルックスを「重視」する、
と言いたいのではない。

あくまでも、
現実的な出会いの「入り口」の問題だ。

これは可愛ければ可愛いほど、
美人であれば美人であるほど良い。

そして言うなれば、
これは第一段階である。

次に性格の面で絞込みを行う。

ただしここで重要な事は、
性格はあくまで消極的要因に過ぎない、
という事だ。

つまり大きな問題さえなければ、
男にとってそれでOKなのである。

いわば「性格」は、
付き合えないぐらい酷くなければ構わない、
という許容要素に過ぎないと言えよう。

これが第二段階となる訳だ。

これを何を勘違いしたか、
ルックスと性格をさも1:1の完全代替要素であるかのように、
上記の質問をする者がいるって訳だ。

・・・多くの反論が巻き起こっている事は、
コメント欄を見なくても分かっている。

だが、俺のようなブサイク勢の仲間達になら、
スムーズに納得して頂けると信じている。


さも、ブサイクだって可愛い子と対等の戦いを演じる可能性があるかのような、そんな希望的観測を多分に含んだ危険な言い回しだ。


しかし違うのだ。


所詮ブサイクたちは、
既に第一段階で棄却されているのだ。

それが解らないのか?

性格勝負なんてものが、
土台存在しないんだよ。

ルックス80点同士の可愛い系と美人系に、
あえて甲乙つけるっていう時に、
性格を多少参考にする事はあってもだ。

ルックス20点、性格100点のブサイクが、
この二人の戦いに参加する事は、

未来永劫、 無 い 。

この点を意味する言葉として、
ブサイクが「永遠の傍観者」と揶揄されるのも、
きっとそう遠くは無いはずである。

ここで例え話をしなければなるまい。

中古車を購入する際に、
年式を積極的な購入要件とする人は、
果たしてどれだけいるだろうか?

確かにあまりに古い型は、
危険性も大きくはなろうから避けたい。

ただしそれは多くの人にとって、
「この年式だったらまぁいいだろう」という、
許容的要素に過ぎないはずである。

殆どの人はまず「車種(見た目の好み)」、
それから機能性などが変わる「グレード(性格や器量)」の順番で選択するのが普通というものだろう。


然るに、年式を落としてでも欲しい車種にこだわる人はいても、
車種を変えてまで最新の年式にこだわる人はいない。


あなたは、如何か?


以上で、俺の議論は概ね終了だ。


思えば俺がこのテーマについて、
このような自論を展開するようになったのも、
ブサイクから上記の不躾な質問を投げかけられ、
更にはその場にいた美人が、
その質問を「嬉々やかに後押し」したからだ。

咄嗟に的を得た回答が出来なかった、
あの時の悔しさたるや。

そしてブサイクが希望の光を見出そうとする目、
そして無縁が故に出てしまう、
勝ち誇ったようなあの顔を思い出すと、
3日は眠れない日々が続いた。

当の俺自身が、
決してモテるようなルックスを持っていない。

それゆえにこのテーマについては、
必然的に確固たる自論を武装する必要があった。

劣等感に繋がる危険性は百も承知の上だったが、
「知らぬが仏」
「無知ゆえの幸せ」
そんなものに浸かっていたくはなかったのだ。

だから自戒の意味も含め、
この機会にあえて繰り返したのだ。

俺は、大いなる結論に至ったのだと思っている。自覚症状のあるブサイクは思っている事だろう


俺達が歴史の表舞台に立つような事は、
『決して有り得ない』という事を。

そして世の美人どもに言ってやれ。


『どんなに親身なふりしたって、
お前らに俺達の気持ちは、
絶対に分からないッ!!!!』


てな・・・。



※大丈夫だとは思うが一応念の為。
過剰な差別表現は勿論ネタですのであしからず。



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2022.9.30
毎日遺書を書き始めた当時785日目の投稿内容。
おい、当時の俺、ネタの論調が懐かしいぜw


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。