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短編小説『色』

『白って200色あんねん』
遅めの朝食を食べていると、BGM代わりにしていたテレビからそんな声が聞こえてきた。

私は、小さな頃から色について疑問に思っていた。
私の見ている色と周りが見てる色は同じなのだろうか。
トマトは、『赤い』
その『赤』は、本当に同じ『赤』なのか?
周りにはそれが『青』に見えているのでは?
ただ『赤』と呼ばれているだけでは?
でもそれを確かめる方法もない。
もしかしたら全く違う世界が見えている可能性もあるのでは?
そんな事を度々考える。
そんな少し捻くれた幼少期を過ごしてきた私だからなのか今の仕事は、個人でデザイナーをやりながら絵画修復士や美術講師のバイトをしたりしている。
しかし最近デザイナーの仕事で行き詰まりを感じていた。

そんな時、講師のバイトで1人の生徒と出会ったのだった。初めて知った時のその子は、歳の割に落ち着いていてあまり笑わないけど礼儀正しい良い子という程度の感想だった。
そんなイメージだったのだがとある授業の時に大きく印象が変わった。
その日は、デッサンの授業だったのだがその子の完成が他の人よりも遅くなっていた。他の子の指導を一通り終えたあたりでその子のデッサンが終わり指導に回る事になったのだが、そのデッサンは、タッチがとても繊細でデッサンの時点で影どころか色の違いまであらわされていたのだ。しかし時間をかけた分当然かと思ったのだが、その子の話を聞いているとどうやら、ただ時間がかかっていた訳では無いらしい。
「先生、デッサンは、どこまで書いたらいいか分からないから難しいです。」
「物体の縁と影を捉えて光の加減を考えて写したらいいのよ」
「僕の違いますか?」
「あなたのは、色まで表そうとしてあるの」
その子は、難しい顔をしながらリンゴの絵を指し
「これは、何色なんですか?」
「えっと、新鮮な赤い色よ?」
その子は、それを聞いて申し訳なさそうな顔で

「、、すみません。僕、色が分からないんです。赤ってどれですか?」

「色が分からない?」
「はい。色盲っていってなんか色の違いがあんまり分からないんです。個人差あるみたいですけどね?」

私は、驚愕した。
この子は、色盲と言われる症状だったのかと、色が分からないのにここまで色が感じられる絵を描けるのかと。
この子には、どんな世界が見えているのか。どんな風に読み取っているのか。と。
「、、、そうだったのね。ごめんなさい。赤はこの部分よ」と実際に描きながら説明する。
「ありがとうございます!先生の絵は、違いがわかりやすくて見やすいです。」

この子の見えている世界が知りたいと思った。
この子の世界と私の世界の違いを知りたいと思い授業後に私の作品を観せて感想や色の違いを聞くことを日課にするようになった。


その日から私の作風が少しずつ変わり出した。
そして、それまで起こっていた行き詰まりも嘘のようになくなり知名度もデザイナーとしては、そこそこ名も売れてきている。
もうじき個展を開ける事になった。
残念ながらその子は、もう絵を描いていない。。
私は、朝食を食べ終えアトリエに向かった。

今でもその時の事を思い出しながら日々ペンを手に過ごしている。




あとがき

さて、ご愛読ありがとうございました。
今回は、とある芸術家のお話でした。
ヒューマンドラマは、難しいなと実感しました。
着地地点が見えないんです。
終わらせ方が出てこないんです。
その人の生の終わりまで描きたくなるんです。
まぁ長ぇ。。。
短編小説にしたいのでとても難しいと思いました。
長いとだれてくるし。

因みに『色盲の子』は、
今は、写真家になっています。
「カメラを通せば世界中、誰もが同じ物を見られて感じられるから」だそうです。
そして主人公とは、今も連絡をとっているよう。

蛇足は、ここまでです。
それでは今回もありがとうございました!

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