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言葉の旅①〜passion

コピーやネーミングを考えるとき、どうやってるんですか?いきなり言葉が降ってくるんですか?

そんなふうに聞かれることがあるけれど、そんなことはまったくない。わたしの場合はとても地道で、まずはイメージに浮かぶ単語をどんどん書き出す。日本語だったり英語だったり、その他の言語だったり。連想ゲームみたいに、とにかくたくさん、思いつく限り。これはいいなと特に思う言葉は、辞典で意味を調べたり、同義語をたどったり。そう、とても地味な作業。

ひとつ新しい取り組みを始めたくて、いろんな言葉を調べていた。その内容と経緯は省略するが、「compass」と「passion」という2つの言葉がとてもしっくりきた。文字を並べてすぐに気づいたのが「compass + passion ってつなげられる!」ということ。

compass + passion = compassion になる。でもすぐに、あれ?と思う。「compassion」はたしか「哀れみ」とか「同情」とかちょっと悲しいイメージの言葉。ポジティブな2つの言葉をくっつけたはずなのに、あまり前向きではない言葉になってしまったのが、すごく不思議に感じた。

そもそも「passion」は「情熱」「激しい感情」という意味があるのに、なぜ「compassion」になると「哀れみ」になってしまうのか。単語を分解して考えると「com」には「一緒に・共に」という意味がある。com-passion=共に情熱=哀れみになるのは、なぜだろう。

こうなってしまうと、もう職業病。とにかく語源を調べまくることに。

「passion」には「受難」という意味がある。キリストの受難を指す場合は「Passion」と頭文字を大文字で表記する。「受難」と「情熱」は正反対の場所にありそうな言葉だ。でもこれは「compassion」の謎に近づきそう。

「passion」のルーツはラテン語の「patior=苦しむ・耐える・激情」から、さらに古代ギリシャ語「pathos」にさかのぼる。もともとの基本的な意味は「降りかかる」「作用を受ける」といった意味を持つらしい。現在の英語では「suffer=苦しむ・被る・受ける」が一番近い意味を持つ言葉かもしれない。

世の中にはわたしと同じように、ふと「passionってなに?」と疑問を持つ方がまあまあいらっしゃった。特に、以下に引用する田中千鶴香さんという翻訳者の方のブログがとても勉強になった。2015年に書かれたブログ、プロの方の考察を文章に残してもらえて、こうして今も読めるのはとてもありがたい。

生きていれば、良いことも悪いことも降りかかる。良いことであれば「自分の力で掴み取った」と言い、悪いことであれば「天から降ってきた。自分が招いたんじゃない」と人は言いたがる。πάσχωとπάθοςの場合も、そんな人間心理のせいで、ネガティブな事象との組み合わせが多くなったのではないかと想像する。
作用を受ければ、激しい感情の変化や情動がもたらされる。πάσχωとπάθοςはそのような感情の動きも意味する。これが英語passionが「情熱」という意味を持つようになった遠因だと思われる。

『意味がいっぱい(その4)』田中千鶴香

天変地異のような事象から日々の些細なことまで、いろいろなことが起こる中で、たしかにわたしたちは、あまりよくないことは「運が悪かった」とか「縁がなかった」とか、ひどいときは他人のせいにしてみたり。「本来わたしが体験するはずじゃなかったのに」といった、ちょっと突き放した扱いをしてはいないか。

一方で、いいことが訪れた場合は「運がよかった」「ご縁に感謝」みたいに思いつつも、「努力が実った」「がんばったおかげだよ」などと自他共に本人の手柄のように扱っているような気もするし、ポジティブな意味をたくさん後付けすることもある。

passionのルーツになった言葉は、降りかかったものを受け入れて生じた感情を客観的に観察し、その状態を言葉で表現したものではなかったかと想像する。その状態には往々にして苦しみが含まれる。
そう考えると、「受難」も「情熱」も降りかかったものを受け入れた結果という点において同じである。両者の関係は、表裏一体というよりも、むしろ同一視できるもの(同一化)に近いように思われる。

『意味がいっぱい(その4)』田中千鶴香

等しく「降りかかる」出来事に対して、わたしたちの都合で「いい」「悪い」を決めて、理由や意味を勝手につけているに過ぎない。だから、あるときは「苦しみ耐え忍ぶ」ことになり、あるときは「喜びで感情が動く」ことになる。感情の動きが、外から降りかかったものによる単なる「作用」なのであれば、苦しみも情熱も、同じことだと言える。

たくさんの考察の中には「苦しみがあるからこそ、それを乗り越えようとする情熱が生まれる」という解釈もあったが、わたしはこちらの田中千鶴香さんの解釈が、すんなりと理解できた。

この文章に何か写真を添えようと思い浮かんだのが、最近観た岡本太郎さんの作品。これまで未発表だった無題の作品たちが並ぶ中で、この絵が一番印象的だった。エネルギッシュで力強く、生命力に溢れているが、涙や血を流しているようにも見えて、少し苦しい気持ちになった。

苦しみ、叫び、悲しみ、激情、情熱。降りかかって生まれたさまざま感情がひとつになり、ありのままに描かれている。ああ、これこそまさに「passion」なのかもしれない。こうして言葉の意味を深く知って、あらためて感じている。


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