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エトルリア文明

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紀元前8世紀から、ローマ帝国に滅ぼされる紀元前1世紀頃にイタリア中部で栄えた文明の記事。ギリシャ文明や古代ローマと交流を持ちながらも、権力や武力が優位にたつ男性性の強い社会ではな… もっと読む
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記事一覧

古代ローマ時代の強すぎる数へのこだわり。その起源は?

古代ローマにおいて、王政時代から帝政時代に入るまで500年間も効力を持ち続けた超優秀な政治…

Natsuko Tomi
10日前
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ボルセーナ湖を中心とするエトルリア圏でキリスト教が認められるのに貢献した聖クリス…

キリスト教には、たくさんの聖人がいます。模範的な信仰と徳行を示し、奇跡的な出来事が関連付…

Natsuko Tomi
1か月前
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【古代ローマ英雄伝説に隠された真実】ローマを震撼させたエトルリアの王ポルセンナ

紀元前509年、古代ローマは第7代にして最後の王タルクィニウス・スペルブスを追放し、共和政…

Natsuko Tomi
2か月前
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【隠蔽された歴史】古代ローマはエトルリアに征服されていた?ローマの七丘に名前が残…

古代ローマの、建国から七代続く王政時代の歴史(紀元前753年‐紀元前509年)は、口承に基づい…

Natsuko Tomi
3か月前
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古代イタリア文明エトルリアは、なぜ12の都市で連盟をくんだのか

古代ローマ以前、中部イタリアでは、エトルリア人による文明が繁栄していました。エトルリア人…

Natsuko Tomi
5か月前
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エトルリア12都市連盟の首都であったヴォルシニイは、現オルヴィエートだという虚構

古代ローマ以前に中部イタリアに栄えたエトルリア文明。エトルリア人(エトルスキ)は、統一国…

Natsuko Tomi
6か月前
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歴史から抹消されたエトルリア語の数少ない考古学資料の残るオルヴィエートのネクロポリス

イタリア中部、ウンブリア州のオルヴィエートには、古代エトルリア時代のネクロポリスが残っています。 他の有名なチェルヴェーテリやタルクィニアのネクロポリスと違い、大きな土まんじゅうはなく、3×2mほどの、ほぼ同じ大きさの直方体のお墓が、きちんと並んでいます。近くで発見された凝灰岩のキリストの十字架像より「Necropoli di Crocifisso del tufo(凝灰岩のキリストの十字架像のネクロポリス)」と呼ばれています。 200以上あるお墓は、凝灰岩のブロックで造

出会うべき時に出会えた本!D.H.ローレンスの「エトルリアの遺跡」

「息子と恋人」や「チャタレイ夫人の恋人」などの英文学作品で有名なD.H.ローレンス。 その彼…

Natsuko Tomi
7か月前
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古代ギリシアの数学者ピタゴラスとエトルリア文明の意外な関係

古代ギリシアの数学者、哲学者であったピタゴラス。数学で習う「ピタゴラスの定理」や、NHKの…

Natsuko Tomi
8か月前
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オルヴィエートの神殿跡から探る古代の神殿が向く方角

中部イタリア、ウンブリア州のオルヴィエートの丘の東端、展望の良い場所に、エトルリア時代の…

Natsuko Tomi
11か月前
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知られざるイタリアの古代民族ファリシ

ローマの北50kmほど、テヴェレ川と火山由来の2つの湖(ブラッチャーノ湖、ヴィーコ湖)に囲…

Natsuko Tomi
1年前
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巨岩に守られるように建てられたエトルリアの小さな神殿

イタリア中部、ローマの北西70㎞程の村Pietrara(ピエトラーラ)から小さな森に入っていき10分…

Natsuko Tomi
1年前
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まるでカッパドキア!イタリアに残るエトルリア時代のネクロポリス

古代ローマ時代にVia Clodia(クロディア街道)と呼ばれた道がありました。ローマから北に伸び…

Natsuko Tomi
1年前
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イタリアのストーンヘンジ⁉神秘的な環状列石。

イタリア中部トスカーナ州南部、ラッツィオ州との州境い近くのPoggio Rota(輪の丘)と呼ばれる小高い起伏の上に10の巨石からなる環状列石がそびえ立ちます。2004年に、この地域のエトルリア研究をされていたジョヴァンニ・フェオ氏によって発見されました。 紀元前2700年から2300年につくられと考えられているこの環状列石は、ひとつの大きな凝灰岩のブロックに上から切り込みを入りてつくられました。3メートルほどの高さの巨石が5つ円形をなして並んでいて、その外側に半分ほどの高