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古代ローマ

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紀元前753年イタリア、ローマで王政ローマが誕生してから、共和政、帝政と政治形態を変更しながら領土を拡大した古代ローマ。その繁栄から476年の滅亡までの遺跡をたどりながら書いた記… もっと読む
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記事一覧

古代ローマ時代の強すぎる数へのこだわり。その起源は?

古代ローマにおいて、王政時代から帝政時代に入るまで500年間も効力を持ち続けた超優秀な政治…

Natsuko Tomi
9日前
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ボルセーナ湖を中心とするエトルリア圏でキリスト教が認められるのに貢献した聖クリス…

キリスト教には、たくさんの聖人がいます。模範的な信仰と徳行を示し、奇跡的な出来事が関連付…

Natsuko Tomi
1か月前
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【古代ローマ英雄伝説に隠された真実】ローマを震撼させたエトルリアの王ポルセンナ

紀元前509年、古代ローマは第7代にして最後の王タルクィニウス・スペルブスを追放し、共和政…

Natsuko Tomi
2か月前
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古代ローマのインフラの要「マッジョーレ門」

ローマの中心から南東の方向に、建造された当時は真っ白であったであろうトラバーチン(大理石…

Natsuko Tomi
2か月前
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ローマ最古の円形の教会「サント・ステファノ・ロトンド」

珍しい丸い形をした初期キリスト教建築のサント・ステファノ・ロトンド教会。(ロトンドは、「…

Natsuko Tomi
3か月前
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ローマの7つの丘の一つ「チェリオの丘」古代ローマの遺構めぐり

ローマの7つの丘の一つチェリオの丘は、古代「オークの木の山」と呼ばれていました。そこへ、…

Natsuko Tomi
3か月前
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【隠蔽された歴史】古代ローマはエトルリアに征服されていた?ローマの七丘に名前が残るエトルリアの兄弟

古代ローマの、建国から七代続く王政時代の歴史(紀元前753年‐紀元前509年)は、口承に基づいており、伝統的に語り継がれている歴史とは、異なるバージョンがあることもあります。 例えば、奴隷の子であったとされる6代目の王セルウィウス・トゥッリウス(在位:紀元前578年‐紀元前535年)は、5代目の王タルクィニウス・プリスコの養子となり、女王タナクィルの機転で王位を継承したと一般的に信じられていますが、この説とは異なる考古学的・文学的資料も存在するのです。 その中で最も重要な

イタリアのクリスマスの飾り付け「プレゼピオ」の起源を古代に探る

クリスマスが近づいてきました。 キリスト教を信じる人がほとんどいない日本でも、街はクリス…

Natsuko Tomi
4か月前
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どこよりも大きな神殿を。古代ローマの至高神ユピテル神殿

ローマの七丘の中で一番高いカピトリヌスの丘。現在、丘の上には、ミケランジェロが設計したカ…

Natsuko Tomi
1年前
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古代ローマの反逆者が突き落とされた「タルペイアの岩」そこにまつわる悲しい伝説とは…

カピトリヌスの丘は、古代ローマの七丘の中で、一番標高が高いけれども(といっても海抜50mほ…

Natsuko Tomi
1年前
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古代ローマのお風呂好きはこの浴場から始まった!「アグリッパ浴場」

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ。 軍事の才能をカエサルに見いだされた後、オクタウィ…

Natsuko Tomi
1年前
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ハドリアヌス帝の政治の方向性をあらわしたアドリアーノ神殿

今日、古代ローマ五賢帝の中でも非常に評価の高いハドリアヌス。 しかし、当時の元老院議員の…

Natsuko Tomi
1年前
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古代ローマ共和政時代の「聖域」そこに隣接していた重大事件現場は?

ローマの中心地、パンテオンの南に位置し、古代ローマの遺跡がのこるトッレ・アルジェンティー…

Natsuko Tomi
1年前
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ユリウス・カエサルが暗殺された場所 「ポンペイウス劇場」

1200年以上の長い古代ローマの歴史の中で一番有名といっても過言ではないユリウス・カエサル。日本でも、彼がルビコン川を渡る際に言ったといわれる「賽は投げられた」という言葉や、暗殺された際の「ブルータス、お前もか」という言葉はとても有名です。 でも、暗殺された場所を知らない方も多いのでは? それもそのはず、彼が暗殺されたとされるポンペイウス劇場は、非常にスケールが大きかったにもかかわらず残念ながらほとんど遺跡が残っていません。 カエサルより6歳年上のポンペイウスは、若いこ