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ウェルビーイングと教えたがり

幸せに関する本格的な研究が始まって20年余り。

最近では「ウェルビーイングスタディ」として、多方面の研究から

「幸せな人は〇〇の習慣がある」
「〇〇をすると(しない場合と比べて)幸福度がアップしやすい」

など、日常で実践しやすいエビデンスも数多く出回るようになった。


人は新しいことや珍しいものを見たり聞いたりすると、誰かに伝えたくなるという性があるらしい。
それが、万人の関心ごとである「しあわせ(ウェルビーイング)」に関することだったら尚のこと。

さらに、身内だったり知り合いだったりの顔が浮かんで、「これってきっとあの人(あの子)の役に立つはず・・」などと感じたときには、「伝える」のみでは物足りず、「教える」ことを試みたくなる。

「教えたい」
「教えてあげたい」
「教えてあげなくちゃ」

使命感にも似た「教えたがり遺伝子」みたいなもの(なんて無いけど言ってみる)が発動しちゃう人は、けっこう多いのでは?

もちろん、私もそのタイプだと自覚している。

そうじゃなかったら、講師業25年もやってきてない。(苦笑)

それ故、「これ、伝えたい(教えたい)!」と思ったときこそ、意識した方がいいことがあると、私は思っている。

「時」と「量」と「縁」だ。


■こちらが伝えたい時が、相手が知りたい時とは限らない

すべてのことに「時」がある。
いわゆる「タイミング」というもの。

人は、自身の最適なタイミングで仕入れた情報にこそ、心が動く。

講演会やセミナーで登壇すると、
「このお話、もっと早く知りたかったです」
と言われることがよくある。
けれど、多分「もっと早いとき」は、ご自身が知りたいタイミングではなかったはずだ。

また、同じテーマの講座に繰り返し参加されている方に、
「今日の話、すごく沁みました!」
と光栄な感想をいただく。
内心、“・・・その話、前にも話したけどね^^;” と思うことも少なくない(笑)

でも、それでいい。
きっと今日がその人に届くタイミングだったのだろう。

つまり、相手のタイミングなんて、こちらでは読みきれない。

だから、本当に伝えたい大事なことだったら、何度でも言ったらいい
ブレずに何度も同じ話ができるって、すごいことだと思う。

ただし、受け取ってもらえなくても、めげない、責めない、押し付けない(苦笑)っていうマインドを備えておくことを忘れてはならない。


■あれもこれもの親切心でてんこ盛りにするのは逆効果

ここぞとばかり知っていることは全部伝え(てあげ)ようとしてしまう人がいる。

それは親切心から、こんなこともあるよ、こういうデータも役に立つんじゃない?、こんな風にやってる人もいるんだけどね、、、と事例が山盛りすぎる人。

または、誠実さが裏目に出て、事の始まりは〇〇でね、、、〇〇っていうのは▲▲のことなんだけど、、、それから■■が出来て、、、と1から説明しようとしてゴールが遠い人。

場合によっては、好奇心が暴走して、〇〇と言えばこの前さ、、、〇〇だったらXXも似てるよね、、、そういえば▽▽がXXしたときにさ、、、と関連するいろんなこと寄り道しちゃう人。

もしくは、私こんなこと学んでるのよ、そんなこともあんなことも知ってるの・・・みたいなマウンティング的な?人もいるか(笑)。

いずれにしても、情報提供は雪崩のごとく続く。

しあわせについての話なんて、空より広く、海より深いわけで、話し出したら、そりゃ、あれもこれも・・・になるのは仕方ない。

しかしながら、入り口はせっかく興味深く感じたのに、話がどんどん肥大化して「情報過多」になると、多くの【当該初心者】は

「ふーん、でも、難しいね・・・」となる。

注:オタク同士のマニアック談義の場合はこれに及ばず/笑


どうしたものか・・・どこでしくじったのか・・・と思っても後の祭り^^;

すでに相手の耳は閉じて、「もう次の話題にいって欲しいなー」となっている。

もっと聞きたい、また(この人から)聞きたい、と興味関心を維持してもらうには、いろんなものを詰め込みすぎない、適正量に配慮する、情報の腹八分目が大事だ。
これは出し惜しみというのではなくて、思いやりだと思う。

加えて、雑談ではなく、何かを教える立場(役割)であれば、その塩梅の見極めこそ重要なスキルとなる。


■誰から聞くか? 案外ゆるい繋がりの方がヒットしたりする

人って案外、ガッツリいつも一緒にいる親しい間柄よりも、ちょっとゆるくてたまにしか交流しないような人が、たまたま話題にしたことととか、何の気はなしに教えてくれたことが、けっこう役に立ったりする。

社会学の研究でも、スタンフォード大学のマーク・グラノヴェッター教授が書いた「弱い紐帯の強さ」("The Strength of Weak Ties")という論文の中で、(この研究の場合はキャリアに関する)

情報を得るためには、強いつながりの人に尋ねるのではなく、弱いつながりの人に尋ねる方がより効果的だ

と述べられている。

なぜなら、強いつながりの人たちは、既に同じ情報を共有していることが多く、一方、弱いつながりの人たちは、新奇性の高い情報を所有している可能性が高いから、だそうだ。

自分の中でヒットしてる話題に、家にいる家族より、久しぶりに会った人の方が興味深く耳を傾けてくれる・・・みたいな経験は多くの人がお持ちだろう(笑)。

そして、その久しぶりに会った人が言ってたこととか、著名人のインタビュー番組を見て、「〇〇って大事だよね〜」とすごく腹落ちしている家族に対して、「それ、いつも私が言ってたことじゃん」とつぶやいた(つぶやかれた)人もたくさんいるはず。

きっと、人って、偶発的ではあっても、自分から接触した(縁を感じた)対象からの情報は食いつきやすいけれど、そうでない場合はスルーしてしまうんだろう。

特に、「私が教えないと!」「私じゃないと教えられないはず!」と息巻いている人からの情報は、冷ややかに見られることが多いような気がする・・・^^;


どんな縁が、どこに転がっているか、というのも分からない。

だから、教えることが大好きな人は、教師や講師、先生と呼ばれる人になったらいい。

きっと「教えたがり遺伝子(笑)」って多くの人たちが持ってるから、これだけ「講師業」っていうのが広がったんだろうと勝手に思っている(苦笑)

もちろん、「〇〇先生から教えもらってすごくよかった話があって・・・」と受講生が語る内容に、「あ、それ、私も同じこと伝えたはずだけどな・・この人には〇〇先生の(タイミング、量、縁、の)方がヒットしたんだな…」と胸の奥で思うことは避けられないけど。


■教えることとウェルビーイング

「教えるための肩書き」がなくても、他者にも役立つと思ったことや学んだことを「教えられる」ツールは数多ある。

こういうブログとか、SNSとか。

ただ、いくら知って欲しい!と熱く伝えても、「時」と「量」と「縁」がフィットしなかったら、相手に受け取ってもらうのが難しいのはネット上でも同じことだ。
(こういうことを書くと、ひどく自己評価のループがグルグルする…^^;)

それを受け入れた上で、語りたいこと、伝えたいこと、教えたいことを発信したらいいんだと思う。

自分が学び知ったことの価値を深く感じていて、それについて語るときには力がみなぎってきて、それを伝えることに喜びを感じる人は、もうそれがウェルビーイングでしょ?

そしてもし、一人でも二人でも、「役立った!」「教えてくれてありがとう!」と感謝されるのであれば、プラスアルファでウェルビーイングが高まることになる。儲けものだ。

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