ウェルビーイングと親友
もう先月のこと。
久しぶりに高校時代からの親友とランチした。
ん?親友?
その響きは、なんだかちょっとこそばゆい。
ちなみに、彼女に向かって、
「私たち親友だよね」などと言ったことはないし
手を繋いだり腕を組んでトイレに行ったこともない(笑)
でも、これから先、もしも私に何かがあったとき、
仕事のつながり以外で、
夫が私の友人の中でまず誰に連絡するか・・・
と考えたら、きっと夫の頭に浮かぶのも彼女の名前だと思う。
昨年の母の葬儀を経て、
そんなことを考える歳になったみたいだ。
■友達と親友って何が違うんだろう?
親友の定義ってなんだろ?
そう思って検索してみたら、こんな5箇条が出てきた。
久しぶりでもためらわず連絡できるか?
厳しいこともしっかり言えるか?
同じ部屋で長期間一緒に過ごせるか?
迷惑をかける、かけられることが、苦にならないか?
人生のステージに関わらず、付き合えるか?
なるほどね。
■私のことを諭した初めての友
彼女と同じクラスになったのは高校一年のときだけ。
お互いの性格も違うし、家庭環境も違うし、好きになる人の好みも違うし
(あ、トシちゃんファンは同じだったか!笑)
いわゆる女子トークの中で繰り広げらる「私も〜、一緒だね〜♪」みたいな、同調的な共感で繋がった関係ではない。
それどころか、クラスメイトだった当時、彼女から友達付き合いについてお叱りを受けたことさえある。
ある日の帰り際下駄箱の前で
「なっちゃんのあの言い方は、〇〇ちゃんには酷だったと思うよ・・」
「〇〇っていうのは、ちょっといいすぎなんじゃないかと感じたよ・・」
・・・みたいな手紙を渡された。
入学してまだ間もない、夏休み前くらいだったかな?
何の話題についてのやりとりだったかは忘れてしまったけれど、それを読んで、とても胸が痛かったことを覚えている。
でも、絶交(笑)とか、その後の付き合いが疎遠にならないように、真面目な彼女が一生懸命に書いてくれた手紙だったと記憶している。
そんな伝えにくいことわざわざ言ってくれる人、初めてだった。
私はと言えば、
文化祭でお化け屋敷をやろう!となれば、大船撮影所(!)から不要な映画のセットを貸してもらう交渉に乗り出したり(笑)
合唱祭で歌う曲が決まらないとなれば、「じゃーこの曲がいいと思います」と手を挙げて教室の真ん中で立ち上がって歌い出したり(笑)
ファーストフードでバイトを始めれば、職員室で販促のチラシを配っちゃうような、調子に乗ったキャラだった。
(ホントはバイトは禁止だったのか?暗黙の了解だったのか?忘れたけど…)
彼女はいつでも「なっちゃんたら・・^^;」と言いながら一緒にやってくれた。
そういう「異質性」に惹かれあったのか、どちらかが失恋すれば、お互いの家に転がり込み、親妹弟も巻き込んで慰めてもらったり、テスト前には一緒に勉強したりそれぞれの得意な科目を教えあったりした。
大学は別々だったけど、高校時代の仲良しグループでそれぞれの彼氏を持ち寄って(爆)旅行に行ったり、スキーに行ったこともあった。
車の免許取るときも、就職決めるときも、なんとなく報告し合う相手だった。
30年前、私は彼女の結婚式の司会をして、
20年前、彼女は私の養父の葬儀の受付をしてくれた。
それぞれ家庭を持ってからは、昔ほど頻繁に連絡を取り合っているわけではないけれど、なんだかんだいって、お互いの人生のイベントのときには、やっぱりそばにいる存在のような気がする。
ちなみに、私たちは宗教が違う。
今年になって彼女から、
「そろそろ、なっちゃんのお母さんの百箇日が過ぎた頃だと思うから、お線香上げに行かせてもらえるかな?」
というメッセージをもらった。
クリスチャンの私には、「百箇日??」という感じだったけど、彼女の生活のリズムの中で、こうやって気にかけてくれた気持ちがとても嬉しかった。
・・・うん、これ、親友って、言っていいような気がするわ(笑)
■友人の多様性
ウェルビーイング研究における人との繋がりの重要性の中に「多様性」というのがある。
老若男女、年齢や性別だけでなく、職業や属性や居住地や趣味、等々、深い付き合いからゆるいつながりまで、画一的つながりよりも多様な人間関係がある方が幸福度は高まるという。
たしかに「友人」というカテゴリーを考えただけでも、
一緒に飲みに行きたい人
一緒にスキーに行きたい人
一緒にゴルフに行きたい人
一緒にお着物着て出かけたい人
一緒に買い物に行ってほしい人
・・・って、パッと浮かぶのは違う顔だし(笑)
嬉しいことがあるとつい連絡しちゃう人
つらいことがあったとき聞いてほしい人
何もなくても毎年会いたい人
長く会えてなくても心の中にずっといる人
・・・も、ちょっとずつ違いがある。
大人になってできた大切な友人たちもたくさんいる。
でも、引越ししたり転校したりしている私には、幼少期からの幼馴染みはいない。
だから、彼女のような、夫よりも私の歴史を知っていて、いまも繋がっている関係は貴重だ。
お互いの昔を知っている人も、ある時点からの新しい歴史を一緒に刻む人もいて、共有時間の異なりも多様性を高める一つなんだろう。
Mちゃん、いつもありがとう。これからもよろしくね^^
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