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CDラジカセからレミオロメンの「南風」が流れていた

私の進学した大学は、国内有数の就活に有利な大学だった。

卒業生も同級生も、誰もが知る大手企業にすんなり内定していく。加えて1部リーグで活躍した体育会アメフト部出身者ともなれば、日本を代表する商社や金融、不動産といった最難関の就職先からも引く手数多だ。選手だけでなくスタッフも、錚々たる企業に毎年就職していく。

それなのに、私の就活は連戦連敗だった。第一志望に書類で落ち、インターンまでした第二志望に最終面接で落ちた。その他数えきれないエピソードがある。その後、たくさんの人の支えに恵まれ、なんとか立ち直ったあとベンチャー企業に照準を合わせたら、嘘のように道が開けたことを覚えている。


入社した会社は、ブライダルを専門とするベンチャー企業だった。私も、同期とともに楽しくも苦しい1ヶ月半の研修合宿を経て、ウェディングプランナーとして横浜エリアの店舗に配属された。

配属されてからは、ロープレと先輩プランナーの接客手伝いをする日々だった(たとえば、会場見学中のお客様がいたとして、チャペルのドアを開けたらしゃぼん玉に包まれるサプライズ演出をするため、私は手動でフーフーとしゃぼん玉を吹いていた)。

ロープレテストで合格できる声色が出せるまで、事務所に鳴り響く電話を取ってはいけない。正しい姿勢が維持できるまで、お客様のお迎えに立ってはいけない。このプランナーに任せたいと思ってもらえる最低限のご案内ロープレでテスト合格するまで、新規接客には出てはいけない。

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苦しかった。3ヶ月ほど経ってようやくテストには合格し新規接客に出ることはできたものの、まぐれを除けばなかなかご成約はいただけなかった。上司である支配人、親切な先輩たちや一緒に配属された同期に、ああしたらこうしたらとたくさんアドバイスをもらいながら、試行錯誤の日々だった。自分なりに改善してよりよい接客ができたと思っても、結果は変わらなかった。だから、本当に良くなってるのか悪くなってるのか変わってないのかもわからなかった。忙しい店舗で自分だけが足を引っ張っているというシチュエーションが、とにかくつらかった。

あるときまた接客がうまくできずに惨憺たる気持ちで事務所に戻ると、全員出ずっぱりで無人となった空間にレミオロメンの「南風」がなぜか1曲リピートでかかっていた。それ以来、「南風」を聞くと胸がぎゅっと苦しくなる。

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そんな私にも、ブレイクスルーの瞬間が訪れた。とある新郎新婦のお二人を新規接客していて、新郎さんが専門学校を出たという話が出てきたときに自然と「すごいですね」という言葉が自分から出てきた。

それまでの私だったら、自分の知っている世界と比べてどうかだけで言葉を選んでいた。難関国立大学を出た私が、専門卒の新郎さんにすごいと言っている姿は、想像するだけでも嫌らしく感じていた。

でも、社会に出て薄々気づいたのは、私が想像していたより社会は広く、世界は多様で、自分は思ったよりはるかに発展途上だということだった。過去どんなことができたかより、現在何ができるのかのほうが社会では重大らしかった。先輩たちに甘えっぱなしで現在何も価値を生み出せていない私が過去を拠り所にするのなんて、ちゃんちゃらおかしいとわかった。

だから、「裸一貫。全部ここから」と自分に言い聞かせていた。唯一の逃げ場になっていたそれまでの私の努力も結果も、積み上げてきたと思っていた全てを一旦なかったことにした。

その日、新規接客の場でその新郎さんに「すごいですね」と言ったのは本心だった。相手にとって誇らしいことは、「すごい」に違いなかった。

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今、改めて当時のことを思い返すと、初心に戻された気がして背筋が伸びる。

あのときも、私には何もなかったんだな。その後10年経ってフリーランスになったときも、何もなかった。そしてまた、何もなくなる。それだけのことだ。本当は何もなくなるわけじゃないのだとしても、あのとき私が意志を持って断ち切ったことが私にとっては大切だった。

一人会社で自営業をやっている私は、産育休ですべてのお仕事がゼロに戻る。会社員と違って、待ってくれている人はいない。戻る場所なんてどこにもない。

また一からやり直しだ。次はどんなストーリーが待っているのだろう。

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