見出し画像

糸の切れた凧

ずっと何者かになりたかった。私だってスターになれると思ってた。

10代の頃、女子高生ブームの中で人気者だったスーパー高校生たちはみんなと同じヘアメイクに服装だったけど、私がそれを真似しようにもただの凡庸な高校生だった。

猛勉強の末、憧れの難関大学にようやく入学できた直後に理解したのは、天は二物でも三物でも与える人には与えているんだということだった。

鶏口牛後とはいうけれど、世の中には牛口になる人もいるわけで、多くの場合においてそれは選ばれし者としての覚悟と境遇の中で、なるべくしてひと握りの存在になっていく。牛口から見れば、鶏口だろうが牛後だろうがあまり眼中にはなくて、まあ本人の好きにすればよい。

そんな眼中にない存在のどこかに、私は人知れずたたずんでいるに過ぎない。精一杯の努力をしてきたつもりだったけれど、この程度じゃ凡庸の域は超えられないのか。

.

大学で最もハードな文化を持つ体育会アメフト部に4年間打ち込むことは、自分をどこかに連れて行ってくれると期待した。

でも実際は、量産型アメフト部スタッフになっただけだった。学んだことはたくさんあったし経験できたことは意義深いが、アメフト部で4年間打ち込んだらまあそうなるよねという範疇で凡庸さに磨きがかかった。

さんざん就活で落とされてようやく気づいたのは、何者かになりたい自分とは裏腹な、量産型で凡庸でみんなと同じであろうとする自分の姿だった。確かになんの説得力もないし、今の私が面接官なら残念ながらお見送りすると思う。

.

その後いくつかの出会いと幸運が重なって時が流れ、20代後半になる頃にまた私は図々しくも再び何者かになれる気がしていた。

当時在籍していたITベンチャー企業ではソーシャルゲームバブルと会社の急成長という大波を経験し、自分の成長と会社の成長がリンクしていることを感じられた。この麻薬効果にはすさまじいものがある。会社の中枢を担う部署を自分が担当していて、その部署をマネージャーとして率いているという自己認識。若さからくるハードワークとバイタリティのおかげで結果を出し人事評価も順調、入社が比較的早かったおかげで上層部からの覚えもよかった。

六本木ヒルズに勤務し、恵比寿に一人暮らし。同い年くらいの同僚も多く、みんなで飲んで歌って笑い合う、何度目かの青春。仕事で起こるハードシングスを乗り越えるだけの力は身につけつつあるように感じていたし、これから先の人生を自分がどう切り拓いていくのかが楽しみになるくらいには、自分が少しずつ何者かになれているような気がしていた。ひょっとしたら、若さという麻薬もあったのかもしれない。


そんな私にはタイムリミットがあった。ずっと、30歳までに何者かになっている予定だった。30歳のときには、公私共にひと通りのことを経験している予定だった。一生を添い遂げたいすばらしいパートナーと結婚して、名刺代わりになる仕事を残して、人前で余裕をただよわせながら語る私になっていたかった。それは当時の私が掲げた憧れそのものだった。

.

そして30歳の誕生日を迎えたとき、私は深い悲しみと絶望の中にいた。恋愛では最悪の別れ方をし、異動によりマネージャーからスタッフへの降格、名刺代わりの仕事どころか裏方ばかりで目立った仕事のひとつもしていなかった。

ようやく現実を直視した。目標達成どころか、かすりもしていなかった。

人生の汚点のようないくつかの明確な誤ちによって、自分の人生の履歴書を汚したのは他ならぬ私自身だった。ずっと勘違いしたまま幻想の世界に閉じこもっていただけで、現実の私はやはり何者にもなれなかったのだ。


そこからまた何年もの月日が流れた。目指すものがなくなったまま、何を目指せばいいかわからないまま、風に流れて漂ってきた。糸の切れた凧みたいに。

.

だけど、ひとつだけ大きく変わったことがあった。何者にもなれない自分もまた、本来の私なんだなと自覚的になった。

今でもやはり私は何者でもないし、まあたぶんここから先も大した者ではないのだけども、何者かになれなかったと知って私をつなぐ糸が切れてから、予想外に私は自由を手に入れた。流れる風に乗ってどこに行くかわからないけど漂ってみたら、今まで見えなかった景色が見えて、わからなかったことがわかるようになった。

何者かになりたいという思いは、私の行く先を照らす水先案内人だと思っていたけれど、実はいつしか自分を縛りつける足かせになっていた。この風に乗って、明日なりたい私に、なればいいじゃない。今はそんなふうに思っている。

38歳になった今、親友のような恋人のような信頼できるパートナーがいて、「#カスタマーサクセス」で多少は周囲に認知してもらえて、時々はメディアにも取材してもらえたり人に興味を持ってもらえて、そして何より、この何気ない毎日を幸せに過ごしているなんて、8年前は想像もできなかった。

今から8年後のことも想像はできないけど、糸の切れた凧だから、きっとどこかをなんとなく漂ってるんだろうと思う。昔思い描いた自分になれているかどうかはわからない。だけど、今日の私は昨日思い描いた「明日なりたい私」にはまあまあ近かった。

そんな人生も悪くないなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?