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中国甘粛の旅7 郎木寺ー鳥葬の村

甘粛の旅 その7(2015年5月21日)

夏河から南へ230キロほど行くと郎木寺(ランムース)という、同じくチベット仏教の聖地があります。この村は甘粛省と四川省にまたがっていて、それぞれの省に有名なチベット仏教の寺があり、夏河へ来た人は、だいたいここを訪れるようです。郎木寺から四川省に抜ける人、逆に四川省から入って蘭州に出る人がいるようですが、ただ、夏河から郎木寺行きのバスは1日に1本しかなくて不便なので、旅行客は相乗りでタクシーをチャーターして行くことが多いようです。

YHの完さんがうまく按排してくれたので、日帰りで行ってくることにしました。長春の東北師範大学出身の2人の若い女性と、長くアフリカで道路工事の技術者をしていて定年退職したばかりという男性との4人です。

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朝8時に出発して一路郎木寺に向かうのですが、なんとなく曲がりくねったガタガタの山道を想像していた私の予想をまったく裏切り、道路は一貫して日本の観光地とまったく変わらない、すばらしい高速道でした。いつごろ完成したのかは聞きそこねましたが、北京オリンピックが終わった頃から、あちこちで“西部開発”のスローガンを見聞きするようになり、その結果がこのインフラ整備ということでしょう。オリンピックまでは、出稼ぎの農民たちは一路東をめざしたものでした。

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チベット族のドライバーが、気を利かせて途中で時々停まってくれ、みんなそれぞれに写真を撮ったりしました。ところが、車の中では気が付かないのですが、外に出て、数歩でも歩くともう息が切れてくるのです。小走りで駆けようものなら、心臓が破裂するのではないかと思うくらい酸欠状態になって、「ダメダメ、ゆっくりゆっくり」とドライバーに諭される始末でした。

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どうやら標高3500m前後の山岳道路を爆走しているようです。両側に広がるのは、果てしなく続く大草原と草を食む羊とヤクの群れ。まだ草が生えきっていない時期なので、全体に黄色っぽい写真になっていますが、あと数週間もすると、まさに緑の絨毯が敷き詰められ、可憐な高山植物が競い咲く麗しい季節になるのです。

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これがヤク。

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3時間半ほどで郎木寺に到着しました。夏河よりもずっと小さな町ですが、予期した通り、ここもまた観光開発の真っただ中だったのです。バスやタクシーの駐車場のあたりから寺まで、土産物屋とレストランとホテルが軒を連ね(といってもささやかな規模ですが)、YHの看板を掲げているところもありました。この日は、観光客の姿は見られませんでしたが、夏休みともなれば、こんな狭い町に数百というような観光客がごった返すのかと思うと、我が身のことを忘れて、「これでいいんだろうか?」と考え込んでしまいました。といいつつも勝手なもので、せっかく来たのだからと、30元の拝観料を払って、寺域に入ったのですが、本堂には入ることができませんでした。寺はそのまま修行の場ですから、それでいいのだと納得し、けっきょく広い境内をぶらぶらすることにしましたが、ちょうど閑散期だったようで、観光客らしき姿には一度も出会いませんでした。ちなみに、写真後方の山は5000m峰です。

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チベット仏教寺院はかつて破壊されたものが多いので、現在あるものは、比較的新しく修復されたものだと思いますが、内院のきらびやかな色使いと、壁面に描かれた精緻なタンカ(これは撮影禁止)、金箔が葺かれた屋根など、決して裕福であるとは思えないチベット族の人々が、わずかづつ寄進して自分たちの信仰を守ろうとしている想いがしのばれます。

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広い寺域の奥の方に行ってみると、破壊の痕跡とともに、破壊をまぬかれたであろう古ぼけた僧坊や住居が散在していて、ばったりラマと鉢合わせたりもするのですが、一生が修行者の身である彼らにとって、この“観光開発”の恩恵の受給者である私たちの姿は、いったいどのように映るのでしょうか?もちろん観光客は修行の場には入らないし、観光収入も役立て方によっては価値があるものといえるでしょう。無言で通り過ぎる彼らの表情から読み取れるものはありませんが、もしかしたら、よかれ悪しかれ我々俗人の憂うる危惧や罪責感などは超越しているのかもしれません。

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しかしながら、この郎木寺になぜそんなに観光客がやってくるのかというと、その理由は、どうやら「天葬」にあるらしいのです。天葬とは、チベット族などが行う鳥葬のことで、中国語では天葬といいます。夏河ではすでに20年以上前から禁止され、現在はみな火葬だそうですが、郎木寺ではまだ天葬が行われており、その様子を、遠くからではありますが、観光客でも見ることができるのです。正直いって、私も見たいです。ものすごく見たいです。でも例えば入場料を払って見るのだとしたらちょっと考えます。でも、いろいろ悩んでその場になったら、やっぱり見ると思います。(後から聞いたところによると、お金はとらないけれど、かなり遠くからしか見られないようです。)

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寺域を歩いていたら寺男と思われるおじさんが下りてきたので、話しかけてみたら標準語が通じました。私が日本人だというと、今日は天葬はないけれど、せっかく遠くから来たのだから「天葬台」を見てこいといって、行き方を教えてくれたのです。そこでとにかく、今日はその天葬が行われる天葬台というものだけは見て帰ろうと山に向かって歩き始めました。上の写真が天葬台への入り口ですが、タルチョーと呼ばれる五色の祈祷旗で飾られているので容易にわかります。

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これが遠くから見た天葬台。このテントのようなもので囲われた広場で天葬が行われます。サッカー場くらいの広さでしょうか。ひっそりと静まり返って人の姿はありませんでした。チベット族の習慣では、人が亡くなるとすぐ翌日の早朝に天葬は行われるそうです。

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中を覗いてみると、やっぱり人間の小さな骨がパラパラと散らばっていました。しばらく行われていなかったのでしょうか、辺りはカラカラに乾燥していて、高原の涼やかな風が心地よく通り抜け、そこは陰惨な墓場ではなく、自然界の摂理にまかせて天に還って行く、むしろ人の一生を終えるにふさわしい華麗な舞台装置のようにすら私には思えました。

私はしゃがみこんで小さな骨を手に取ってみました。この人は何歳まで生きたんだろうか?男だったのか女だったのか?幸せな人生を送れたんだろうか?どんな夢を持ち、その夢はどこまでかなえられたのだろうか?この村を離れてどこか行きたいところがあったのだろうか?もっと生きて、いろんな世界を見て、おいしいものも食べたかったかもしれない………。

もちろん小さな村ですから、天葬がそうたびたび行われるわけではありません。私は偶然自分が行ったときに死者がでなかったことに、むしろ安堵を覚えながら山を下りました。

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