大野のり子

インターネットはおろか、『地球の歩き方』も「成田」もなかった頃から世界をウロついてきた…

大野のり子

インターネットはおろか、『地球の歩き方』も「成田」もなかった頃から世界をウロついてきたけれど、縁あって、ついにカンボジアを‶終焉の地″と定めた(自称)元祖ノマド。

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はじめて国境を見た日

私が初めて日本を離れたのは、今から半世紀ほども大昔のことで、行き先はロスアンジェルス。赤いチェック柄の布製の小さなスーツケースひとつ抱えて、「もしかしたらもう日本に帰ることはないかも知れない」と悲痛な想いで羽田を飛び立った日の光景を、今もぼんやり覚えています。 なぜロスだったかというと; 当時私は東京新宿区にあった3畳一間、トイレ共同、風呂は銭湯という‶学生アパート″に住んでいたのですが、筋向いの部屋に田中さんという兄妹が住んでいました。この部屋は唯一6畳あって、その1/

    • クメール・ルージュの少年カメラマン 13

      A Message from Nhem En 私、元 S-21のカメラマン Nhem En は、人道に反するあらゆる戦争犯罪と、国民と国家のことを第一に考えることなく、政治的利益や自分たちの絶対的権力を守るためだけの内戦を止めるよう、すべての世界の指導者たちに訴える。そして、自分たちの行動が国家を破滅に導くのではないかということを常に考えてほしい。戦争と内戦は、私たちの無垢な子どもたちの生命と未来を破壊するだけである。 今日の内戦、シリア、イラク、リビア、アフガニスタン、

      • クメール・ルージュの少年カメラマン 12

        Cambodia's Genocide-Lessons Learned 1979年1月7日、ベトナム人の部隊がクメール・ルージュを追い出して首都プノンペンを占拠した。私は何人かのクメール・ルージュの兵士達と一緒に S-21 から Kompong Speu 州へ逃げた。私は AK-47 銃一丁と、自分の身を守り、また途中でベトナム兵と戦うためにいくつかの手榴弾を与えられた。もちろん私は、クメール・ルージュに従って、カンボジアとタイ国境近くの新しいキャンプに向かった。私はクメー

        • クメール・ルージュの少年カメラマン 11

          Inside the Prisoners Cell この悪名高い S-21 について私が知っている限りでは、ここで死を免れた収容者はいない。クメール・ルージュは、収容者から自白を得るために、彼らの肉体、精神、魂を怯えさせる10の取調べルールを開発した。収容者は人間として扱われることはなかった。 S-21 でクメール・ルージュのカメラマンを務めていた私は、自分の仕事を正確にこなし、素早く次の人に進まなければならないとわかっていた。通常、クメール・ルージュの警備員は、すでに手

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        はじめて国境を見た日

          クメール・ルージュの少年カメラマン 10

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 10

          クメール・ルージュの少年カメラマン 9

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 9

          1枚の写真 チャン キム スラン

          トゥール・スレン虐殺博物館で、もっとも″有名″となったこの1枚の写真。私も初めてここを訪れた時、このふたつのまなざしに射すくめられて、しばらく動くことができませんでした。幼子を抱いてまっすぐにカメラを見つめる、絶望をすら超えてしまったかのような静謐なおもざしと、頬に伝わる一筋の涙。この写真もまた、本書の Nhem En が撮影したもののようです。 チャン・キム・スランは、クメール・ルージュの幹部だった夫が内部粛清にあい、生後5か月の長男と共に身柄を拘束されて、1978年5月

          1枚の写真 チャン キム スラン

          クメール・ルージュの少年カメラマン 8

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 8

          クメール・ルージュの少年カメラマン 7

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 7

          クメール・ルージュの少年カメラマン 6

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 6

          てんとう虫を待ちながら……

          私は相変わらず毎日トッケイファームに通いながら、蝸牛の歩みを続けています。今年のカンボジアは特別に暑く、1年で一番過ごしやすい時期だというのに、我がファームでは、午後の直射日光下では40℃を越えます。ちょっと暑いなと思うと47、8℃。しかし、気象局の発表では10℃ほど低くて、とにかくここは特別に暑いのです。ただ日陰に入れば30℃くらいで、風もよく通り、休み休み作業を続けています。 何度も書いているように、ファームは耕作放棄地に山の土を入れていて、カンボジアの土壌はもともとが

          てんとう虫を待ちながら……

          クメール・ルージュの少年カメラマン 5

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 5

          クメール・ルージュの少年カメラマン 4

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 4

          クメール・ルージュの少年カメラマン 3

          *あるところから、無断転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。

          クメール・ルージュの少年カメラマン 3

          クメール・ルージュの少年カメラマン 2

          *あるところから、転載禁止の警告がきましたので、残念ですが削除しました。 *ネット記事から カンボジア内戦時、プノンペン市内をパトロールするポル・ポト派の少年兵(1975年4月17日)

          クメール・ルージュの少年カメラマン 2

          クメール・ルージュの少年カメラマン 1

          クメール・ルージュの少年カメラマン Nhem En 年明けに似つかわしくないタイトルで恐縮ですが、昨年末、私は↑この本を日本人の知り合いからもらいました。このナム・エンという人は、私が3か月前まで住んでいた家の、つい目と鼻の先に暮らしていて、そうと知って口をきいたことはなかったけれど、必ずやどこかで、もしかしたら何度もすれ違っていた人です。 カンボジアに行ったことがある方、カンボジアに関心が強い方にとって、決して避けては通れない暗黒の現代史の証左「S-21」(ポル・ポト政

          クメール・ルージュの少年カメラマン 1