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中国鉄道事情

ちょっとおまけで、中国の鉄道事情について書いてみたいと思います。ただし、私が中国を離れてすでに4年経っているので、いろいろ変わっていることも多いと思います。とにかく、何から何まで中国の変化のスピードはすさまじく、しかも何の予告もなく突然変わったりしますから、その点ご承知おきください。

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写真は、2018年1月に北京駅の裏手から撮ったもの。明代の城壁が残っていて、その上に登ることができます。長く暮らした中国を離れる直前でしたが、とても寒い日だったのをよく覚えています。相変わらずサイズが縮小されているのでボケボケですが、ご容赦を。

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まずはチケットの買い方から。私は2005年夏から黄土高原で暮らしましたが、それまで3年ほどは北京にいました。どこかへ遠出するためにはまずは列車のチケットを購入しなければならないのですが、これがなかなか大ごとなのです。長距離バスというのもありましたが、列車の方が安くて安全確実、広軌なので客車内も広々としていてゆったりできます。

鉄道路線というのもきわめて大雑把というか、あの広大な中国で、基本的には省都と省都をむすぶくらいの路線しかなく、当時は短距離の路線はほとんどなかったのです。例えば、呂梁から蘭州に行くにも、北京西発西寧(青海省の省都)行きの列車が1日に1本しかなく、しかも需要の方が供給より圧倒的に多い中で、呂梁-蘭州までの空き席を探さなければならないのです。

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ちなみに北京には、北京(上の写真)、北京西、北京北、北京南駅があって、北京駅は瀋陽、ハルビンなど北方面と上海など大都市行き、北駅、南駅はかなりローカルで小さく、北京西駅が一番大きな駅です。北京から西へ向かう列車というのは、中国大陸では当然一番多く、私が北京にいた頃は、2008年のオリンピックを控えて農民工(出稼ぎ労働者)たちで終日ごったがえす駅でした。

当時はスーツケースなど使う農民工はめったに見ず、みな大きなドンゴロスの袋を担いで行き来していたものでした。彼らはどこから来たのか、どこへ帰るのか、故郷では誰が待っているのかなどなど、想像を逞しくしながら跨線橋の上から眺めるために、することもない日は北京駅や西駅までよく行きました。

チケットは駅の窓口と、ちょっとした町だと鉄路局のチケット売り場がありますが、1枚5元の手数料が取られます。もちろん旅行社を通すという手もありますが、高い手数料を取られます。北京駅などは窓口が30個ほどは並んでいるのですが、それでもいつ行っても長蛇の列、1枚の切符を買うのに、あれこれ空席を探したりするのでとても時間がかかるのです。確か、1週間前から買えたと思います。

普段からこんな具合ですから、億の民が移動するといわれる春節の前は、これはもう凄まじいまでの火のような争奪戦が始まります。駅前の広場に臨時の切符売り場が設営され、行き先方面別に50も60も窓口ができるのですが、延々と並んだ数千の人たちで広場は十重二十重に埋め尽くされ、どこが列の最後尾かなど、シロウトではまったくわかりません。

当然‶プラチナチケット″が発生して、これを狙ったダフ屋がめぼしい路線を買い占めて高値で売りつけることになります。切符売り場の近くで人だかりがしているとダフ屋だったりするのですが、あの頃は特に取り締まりもなかったようで、駅の構内で堂々と商売していました。

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ダフ屋でなくても、不要になったチケットを誰かに譲るというのも時々あって、該当する窓口の横でチケットを見せながら立っていると、必要な人が寄って来て売買されます。ものは試しで、私もそうやって売ったことがありましたが、もちろん額面通りの金額で売りました。窓口での正規の払い戻しだと20%取られます。

ところが、この‶春節名物″ともいわれた光景が、オリンピックの頃から一変しました。インターネットが導入されたからです。そして、同じころからすべてのチケットが記名制になりました。チケットには1枚ずつ、IDナンバー(外国人の場合は旅券番号)と名前が打ち込まれるのです。

おかげでダフ屋は仕事を失ったことになるのですが、利用者としては確かに便利にはなりました。鉄路局のサイトにアカウントを開いて、そこからひとり5枚まで購入できます。ネット上で決済をして、当日駅の窓口で受け取ります。ただ、同じ名前、ナンバーで同じ時間帯に別の列車の予約を入れるとハネられて購入できません。つまり、誰がいつどこからどこまで列車を利用したかということがすべて当局に把握されているわけで、これは恐ろしいことです。

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乗車の仕方も日本とは少し違います。日本の場合、駅のプラットホームには好きな時間に入れますが、中国の場合、列車が到着する30分くらい前でないとホームには入れません。それまで待合室で待って、アナウンスがあるとゾロゾロとホームに入るのです。それもそうで、例えば呂梁の場合、1日に上下で20本くらいしか来ないわけですから、好きな時間にホームに入って漫然と待つというのも合理的ではありません。なので、ホームに売店やベンチが並んでいるということもなく、まったく無機質な乗降場があるだけです。

北京駅などの大きな駅でも同じ乗車の仕方ですが、路線別に待合室が分かれていて、この待合室を間違えると予定している列車に乗れないことになります。ホームには決まった時間に決まった改札口からしか入れないのです。

切符はすべて指定席になっているのですが、改札口が開く随分前からみんな並びます。ひとつにはみんな荷物が多いから、置き場所を確保するためだとは思うのですが、やっぱり習慣なんでしょうか、私もつい連られて並びます。

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「進站口(入口)」と「出站口(出口)」はまったく別で、待合室は「進站口」にしかなく(地方の小さな駅は一緒)、待合室に入るにも切符が必要です。つまり、駅舎というものに、‶不審者″は入れないようになっているのです。

だいたいが、北京→〇〇、上海→◇◇なので、途中駅で乗降する場合、午前2時、3時というのは珍しくもなく、従って駅も24時間開いています。

座席は、1等寝台、2等寝台、2等座席の3種類ですが、たまに1等座席がある列車もあります。今はもっぱら新幹線ですから、(特殊路線を除いて)寝台車はなく、みな1等座席ということになります。中国の鉄道は距離が長いから、新幹線以外のほぼすべての列車に寝台車がついています。

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一部の路線に無席券というのがあって、名前通り席はないのですが、空いている席があれば座っていてもかまいません。混む時期だと当然通路や連結部に座り込むわけですが、その場所すらないほど混雑する時期もあります。無席券は安いので最初からそれを買って、延々20時間以上しゃがみ続ける人、また、自分の席を誰かに売って、それで自分は床に座って、という人もいました。私が北京で暮らしていた今から20年近くも前、地方に出ればみなほんとうに‶貧しかった″のです。

客車の中に小さなブースがあって、そこで売れ残りやキャンセルの席を売っていることもあります。私もやり方を覚えたので、無席券で乗って、車内で寝台のチケットに変更したりしました。

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1等寝台は、2段ベッド4人のコンパートメント。これは快適です。2等は3段ベッドになるので天井がつかえて、2段3段目はかなりきゅうくつですが、ひたすら寝てるのなら問題ありません。当然下段の席から売れて行きますが、間近になってからこれを取るのは非常に困難です。日本より車輛の幅が広いので、ベッドは長目のような気がします。確かに、中国人は背の高い人が多いのです。

乗車するときに車掌にチケットを預け、降りる前に戻しに来てくれるので、乗り過ごしはありません。そもそもそれでなければ、心配で眠れないです。車内アナウンスもほぼなきに等しいですから。

車内販売ももちろんあります。カートに乗せたお菓子や飲み物、あとその路線の特産品。これは終着に近づくと値引きするようになるので、すぐに買わない方が賢明です。時間になると弁当を売りに来ます。だいたい何でも10元くらい。しかし、車内の方が当然割高になるので、みんな乗るときにカップラーメンや果物、お菓子など、しこたま買い込んで乗り込むのがフツーです。なにしろ長距離が多く、車内で2泊というのもザラですから。各車両に給湯機は必ず付いています。

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これ以外に、日本にはない車内販売があります。鉄路局傘下の企業がそれぞれいろんなものを売りに来るのです。歯ブラシやシャツ、靴下、子どものおもちゃ、記念切手や記念切符、その他日用雑貨品が多く、だいたい10元くらいと安価なので、私もときどき買いました。なにしろ鉄路局直営ですから、そんなに粗悪なものはなく、爪切りセットなど、私は今でも使っています。

で、この売り手の口上がものすごくじょうずで面白いのです。お客さんは逃げるわけはないので、じっくりと時には派手なパフォーマンス入りで。日本ではもう見られなくなった‶香具師″そのものです。

一度、吸水性の高いタオル(ウレタン製?)というのを売りに来たのですが、若い短髪の兄ちゃんが水入りのバケツを持って現れ、通路でひとしきり口上を述べた後に、やおらバケツに頭を突っ込んでジャブジャブ洗って、その後、くだんのタオルでゴシゴシッ!と拭いてから、「どうです、拭くだけでほとんど乾いてしまいましたよ!」と、みんなに頭を触らせて一回りしたのです。

1枚10元のこの商品はよく売れました。私も2枚買って、その後愛犬なつめのシャンプーの後に使っていました。それにしても、あの兄ちゃんは、仕事とはいえ、車両ごとにああやって頭を洗っているんだろうか?車両の数は日本よりずっと多いので、なかなかたいへんな仕事だなぁと思ったものです。

私が一番長い距離を乗ったのは、2004年くらいに上海からウルムチまで乗った列車です。時間も距離も思い出せないのですが、車内で2泊しました。2等寝台に乗ったのですが、なんという偶然!すぐお向かいのベッドに、東京の昭和薬科医大に留学中のアマングリさんというウイグル族の女性と一緒になったのです。その当時すでに、政府による締め付けは厳しく、「ほんとうはウチに泊ってほしいのだけれど、外国人を泊めることは禁止されているのよ」といって顔を曇らせていましたが、今頃彼女はどこでどうしているのか?ウイグル関連のニュースを目にするたびに思い出します。


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