見出し画像

【日曜小劇場10】恋は雷に打たれたようなもの~広末涼子の不倫騒動

「恋は雷に打たれたようなものなんです」。
「何か理由があって好きなのはほんとの恋愛じゃないと思います。何かわけがわからないけれど好きになる。恋愛なんてそんなものです」。

ラブレターという無理性、そして夫の会見でわかったこと

恋は雷に打たれたようなもの。
私が瀬戸内寂聴さんのこの名言を思い出したのは、女優の広末涼子とレストラン「sio」のオーナーシェフの不倫騒動だった。
騒動が大きくなった理由の一つは、広末涼子のラブレターが流出したこと。LINEで「好き」とか「愛している」のような類ではなく、手書きの恋文だった。その古風さがSNS時代にある種の衝撃をもって受け止められたと思う。直筆で書かれた恋心を綴った文面に「本気度」がにじみ出ていたからだ。

アナログの手法は強いメッセージをもっている。私もここぞと自分の強い気持ちを相手に伝えたいときは、手紙を綴る。文字が綺麗とかきれいじゃないとか、そんなことは問題ではない。
直筆で書かれた文面には書いた人の気持ちが込められている。愛、誠実、慈しみ。時には魂まで相手に伝わるように。
にLINEでちょこちょこと数秒未満で「好きだ」とか「愛している」よりずっと重みがある。本気の度合いがわかるから。
そしてその後の不倫の発覚で、二人ともものの見事に理性をなくし、騒動に対して後手後手に回っていることがあからさまになってしまった。
だから広末涼子が「事務所と夫が結託している」と疑心暗鬼に陥ったのかもしれない。
ラブレターの文面通り、二人はまるで中学生のような無邪気さを引きずってしまった。つまり大人の対応ができないまま、理性の制御不可能となってしまったのだ。でも仕方がない。恋とは理性が効かない別の世界にあり、そして恋の住民には大人の対応とは全く相性が悪いのだから。

不倫であっても恋。
そのことがさらに顕著に感じたのは、夫のキャンドル・ジュンさんの会見だ。
私はリアルタイムではなく、後からYouTubeで全部視聴したが
最初の半分は、芸能人だからという理由で我慢を強いられ、その結果、妻が不安定になってしまうことの苦しさと、妻が芸能人ゆえの苦しみ(脅迫などの被害)、さらに過去に妻が不安定になってしまったことから起こった不倫の顛末などが語られた。
妻が女優という夫の苦労を切々と語る表情に同情する人も多かったのではないだろうか。でも別の見方をすると、結婚した妻は一般人とまるきり違う世界に住んでいることをちゃんと知っているのだろうか。世間から注目されること、話題になってしまう存在であることを、夫はどこまで理解しているのだろうか。女優である妻に一般人の常識を求めることが、難しいのではないかと、つい過去に芸能記事を書いていた私は感じてしまう。
そしてまた家族会議の結果、夫が出て行くことになったくだりも切なかったが、子供たちのことを思って出て行ったというが、本気で離婚をする気がないのなら、家を出るという選択をしなかったのではないかとも感じた。

離婚の危機や離婚した夫婦の子供が不幸という世間のウソ

独身の私は結婚生活や夫婦の機微にかなり興味がある(両親の影響だと思う)。
これまで週刊誌やwebで夫婦をテーマに取材執筆してきたが
あくまでも傾向としていえば、いったん家を出る、つまり離れるという選択をすると
なかなか元に戻りにくい傾向にあるとわかった。
でもこれは傾向であって、私の母親には当てはまらなかった。
母は私が小さい頃、私を連れて、父とお祖母ちゃんが同居する家から出て行き、母親の姉つまり私の叔母さん夫婦の家でしばらく一緒に暮らしていたことがある。
出て行った原因は、嫁姑の問題だったそうだが、子供の私には両親がなんとなくうまくいっていないことだけはわかっていた。
叔母さん夫婦の家で暮らすようになると、私は叔母さんが働く会社の近くの保育園に転園して、叔母さんが退社して迎えに来てくれるまで、近くで遊んでいた。母が勤務する会社近辺には保育園がなかったからだ。
ある日、いつものように叔母さんを待ちながら川辺で遊んでいたら、片方の靴をうっかり川に落としてしまった。私はあわてた。
靴はどんどん流れていく。
泣きながら靴を追いかけたが、川の流れが早くて追いつかない。
夕方の光が明かりを包み込むと、あっという間に夜になってしまうことを知っていた私は焦って追いかけるが、片方の靴はどんどん流されていく。
追いかけても、追いかけても見つからない靴を探している自分がなんだか悲しくて、泣きじゃくっていると、年配のオジサンがかけよってきて「探してあげる」と川沿いを走っていったのだ。
靴は見つかった。小さな橋の下にある植物に絡まれていた。それをオジサンが竿のようなものでとってくれた。
靴は無事に戻ったが、あのときの記憶は鮮明に覚えている。あの光景は、両親が共に不幸でそのことが私を不安定な気持ちを物語っていたからだ。

子供ながらに、両親が仲が悪いと感じていた私は、その後、母と共には家に戻った。両親は離婚という選択をしなかったが、両親の関係はぎくしゃくしていて、修復できないことを子供ながらに感じ、それが悲しかった。
私は両親が離婚してくれた方がどんなによいかと思った。両親が別れて、それぞれ互いに幸せになってくれれば、子供の私も嬉しいと感じたからだ。
それ以来「親が離婚すると供が可哀想」という考えは全くあてはまらないと思うようになった。それぞれの家庭の問題があるように、子供にも様々な管変え方があるからだ。
子供は親の幸せを願っている。だから世間が広末涼子のようなケースに対して「子供が可哀想」という考え方に違和感を覚えるどころか、嘘くさいと感じてしまった。
子供は子供なりにどうすれば親が幸せになるかを一生懸命に考えている。だから知らない人たちが「可哀想」だなんて、余計なお世話としか言いようがない。
子供一人一人の考えや感じ方があるのだから、、知らない人たちがつべこべ言うことではないのだ。

雷に打たれたような恋の顛末は?

さて「恋は雷に打たれたようなものなんです」という名言通り
互いに家庭を持つ恋愛は、複雑になっていく気配が濃厚で、
今のところある報道によると
二人はそれぞれ配偶者と別れて、再婚の可能性もある、という。
「不倫が悪い」という世間の常識はさておき
雷に打たれてしまった後、人生が変わってしまうことを二人が覚悟しているのなら
納得のいくように突き進んでいき、その先にある風景がどんなものかをいつか語ってもらいたい。
恋がもし命をかけるほどのものだったら、身を焦がすような熱い感情が体中を駆け抜け、そしてさらなる生命力をもたらすかもしれない。
あるいはこれまでの人生を後悔するほどの落胆に見舞われるかもしれない。
でも例えコインの裏表のような結末になったとしても、恋をした人しかわからない風景がきっと待っている。その風景を見たくて、恋に夢中になっているのかもしれない。


勝手にタロット鑑定:右が夫を選択した場合、左が恋の相手選んだ場合

※最後に勝手にタロット鑑定をしてみました。
左が夫を選んだ場合、右が恋を選んだ場合
夫とは残念なことに将来は分かり合えないカードが出ています。
一方、恋に対しては果敢にチャレンジしたいと共に、理想の恋に囚われているというカードも。
彼女自身は「ロマンチックな甘い恋」を信じていると真ん中のカートが語っています。
どちらにしてもいばら道。でも覚悟の上なのです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?