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【日曜小劇場8】韓国版「夫婦の世界」に見る、「男と女の世界」と「家族の世界」の違いについて

韓国ドラマ「夫婦の世界」全32回をやっと鑑賞できた。
この作品を知ったのは2020年のコロナ禍。まだネットフリックスで配信される前のこと。原作はイギリスのBBCで大ヒットした「女医フォスター 夫の情事、私の決断」、そのリメーク版として制作されたドラマが韓国でも大ヒットとわかってからすぐでも観たかったが、男と女の因縁に満ちた愛憎劇があまりにもパワフルだったため、休みながらエンドロールまでの長い物語を楽しむことにした。

妻が夫の浮気を疑うシーンと感情を抑える場面の“小道具”

このドラマは大きく分けて二つの章に分かれる。
韓国のコサン市(ドラマ上の土地、架空の土地)に住む女医で副院長のソヌ(キム・ヒエ)は人一倍努力して今の地位を得る。映画監督の夫のテオ(パク・ヘジュン)と可愛い息子イ・ジュニョンと一家3人で幸せな日々を送っていた。
ところがある日、夫のマフラーに女の長い髪が一本ついていたことから、夫の浮気を疑うようになり、次第に浮気の確証をつかもうとしていくのだが、、、

「男のマフラーや帽子やジャケットに女の長い髪の毛がついている」という設定は、レディースコミックの原作を手掛けていた頃、使っていた“小道具”。まさか大ヒットのドラマで、こんなあざとい小道具を使うなんて、、、とちょっと笑ってしまいました。

 夫に女がいるのではないかと疑心暗鬼になったソヌが夫を追跡すると、夫は若く美しいピラティスインストラクターのダギョン(ハン・ソヒ)と浮気を重ねていたことを知る。
 タギョンは地域の有力者の娘。二人の不倫は、隣人夫婦も、病院の同僚女医も、友人たちも知っていたことがわかり、ソヌは長い間みんなから騙されていたと傷つく。私だったら立ち直れないなあ。では何が彼女を強くさせていたかというと、自分自身のプライドと愛する息子を守るためだと気づく。

 そして夫のバースディーパーティーの夜に、不倫相手のタギョンも有力者らと一緒に参加する。私だったら、耐えられないぞとソヌに自分を重ね合わせながら、レディースコミックの世界を彷彿する展開に、はらはらの連続だった。
 ソヌは自分の感情を抑えようとしたのか、医療用のハサミを手にして、夫と愛人がいる会場に戻る。
 私も自作の恋愛小説「眠れない夜」で夫の愛人の前で妻がカキの殻を開けるためにオイスターナイフを取り出したという設定を使ったが、不倫された妻の心情を描こうとして、オイスターナイフを取り出すほどの怒りの感情があふれ出るという象徴性をもたせた。
 だが読んでくれた男性たちはそのシーンに「怖い!」と怯える。

 過去に不倫をしていたある男性はオイスターナイフのシーンを「あれは怖いよね。経験があるの?」と尋ねたので、「どうして?」と私は笑ってしまった。
「経験がなくても、女の感情が爆発したときにどうなるかを想像するとこういうシーンになったのよ、いつの間にか」と説明すると、男性はまるで女が心底から怒ると怖いものと初めてわかったような表情をしていた。
 男が女のことを知らない、理解しようとしないから起こる悲劇は、「夫婦の世界」に一貫して流れているテーマの一つだと思う。

男の身勝手な甘え。愛が遠ざかることに気づかない男の悲劇

 女医ソヌの試練はさらに続く。体調が悪いタギョンがソヌの診察を受けると、妊娠していることが分かったのだ。ソヌは苦しむ。
 弁護士に相談すると、離婚のために証拠を集めることを勧められる。日本なら探偵事務所に調査を依頼するのだが、架空の場所であるコサン市は、配偶者が自ら探らって証拠を集めなければならないという。
 ソヌは、DV常習者でヒモ男と別れられない患者のヒョンソに協力を求めるが、のちにヒョンソが、ソヌとテオの夫婦関係を映す鏡のような存在だとわかってくる。しかもこの物語のシテ(案内)という重要な役割を担う。ドラマの重厚さを醸し出すのは、一人一人のキャラクターが光っているからだ。キャラクターが物語を動かすと言っていいだろう。

 一方テオは、妻と愛人の間を揺れ動いている。
 男は「どちらも愛している。だからどちらとも別れられない」と思うものらしい。
 でも女はーーー愛は自分一人に注いでもらいたいものと考える。
 そうとは知らないテオは「浮気ぐらい許してくれよ、妻なんだから」という甘ったれに罪悪感はみじんもない。ソヌのように努力して出世したバリキャリ女性に、テオのようなダメンズが捕まえにくるもの。この物語のように。
 そのためソヌのような妻は夫に対して自分から離れようとたり、こっぴどい報復に出ると、夫は手が付けられなくなるほど凶暴になることがある。テオはそういうタイプの男だった。

 テオが自分の映画制作のために自宅を抵当に入れている一文無しだとわかったソヌは、とうとう行動に出る。
 タギョンの両親の前で、テオがタギョンと不倫して、妊娠していることをばらしたのだ。自分に恥をかかせたと怒るテオ。プライドをずたずたにされたテオにはソヌに深い恨みを持つ。離婚は男も女も、そして子供も全員が被害者となるとこのドラマは語っている。
 テオはソヌと息子タギョンと別れ、タギョンと再婚して町を出ていく。だがテオはあきらめなかったのだ。

夫婦がヨリを戻すシーンがあまりにも自然だった

 そして第二章。
 映画のプロデューサーとして大成功を収めたテオが、タギョンと娘と共に、2年後にコサン市に戻ってくる。息子のイ・ジュニョンを取り戻し、そしてソヌに復讐するためだ。
 心の底には未だに「妻なら許してくれたはずなのに、なぜだ」と憎しみを抱えるテオ。その身勝手さに腹が立ったが、夫婦というのは二人にしかわからないものがある。憎んでいても周りには愛情があると感じさせ、憎んでいるはずなのに実は愛していたとわかることもある。それは私の両親から、そして多くのカップルから学んだことだ。

 第二章がスタートするとさらに長い物語が続いていく。物語は一体どうなるのだろうと、ストーリーの展開やラストを考えてみた。
 ヒントは、タイトル映像にあるソヌの笑顔と苦渋の表情、結婚指輪が外れると、テオが水の底に沈んでいくシーン。
 ヒントから紐解くと、テオが事件を起こしてタギョンと別れるとか、テオと別れたタギョンが自立してシングルマザーになるとか、ソヌが同じ病院の心療内科のドクターと再婚するとか、物語の一部断片しか想像できなくて、行く末が全く見えなくなると、もしや、二人はヨリを戻す?という可能性が浮かんできた。
 いえ、まさか、そんなことはないだろう。でも韓国ドラマは面白ければどんなこともやってのけるエンタメ至上主義である。ヨリを戻す展開もありかもしれない。
 ではヨリを戻すなら、どんな展開になるのだろう。あれこれ想像していくうちに、物語が別の局面を迎える。
 テオはソヌの復讐がアダになって、殺人の容疑をかけられた。だがソヌは息子のためにテオを助ける。
 また息子が学校で事件を起こすと、二人が呼び出され、ソヌは「別れたのに、子供のことでまた」と絶望する。
 夫と破局しているのに、息子の父親としての夫との関係について、迷ったり悩んだりする妻たちに共通する姿がそこにくっきりと浮かび上がる。
「夫婦の世界」にはまた多くの妻たちの悩みに共通する問題が描かれている。

 元妻に助けられたことで、テオは複雑な気持ちになる。それはそうでしょう。元妻に報復しようとする怨念が、元妻の憐憫によって救われたのだから。
 一方ソヌは息子を夫に奪われ、失意のさなかに自殺をしようとする。そこで初めてテオに懺悔の気持ちが生まれるが、妻が不倫を許してくれなかったからだと、子供っぽい感情を捨て去ることができない。
 やれやれ、男は女に比べて単純だと思うけど、自分のプライドやらナルシズムやらで、一度心がねじ曲がってしまうと、なかなか過ちを認めない傾向が強いようで。
 夫婦に限らず、人間関係の全てにおいて「愛が憎しみに変わるとき」に、その傾向が最高潮に達するものですね。

 そしてある夜、二人はヨリが戻ってしまう。不思議でもなんでもなく、ごく自然にそうなってしまう。愛と憎しみの感情の揺れ幅の予測がわからなくなってたどり着いた、クライマックスといえるだろう。
 それを二人は「事故」にして葬り去ろうとする。そしてすべてを失いそうになったソヌは、徹底的にテオに報復し、容赦なくテオから全てを奪い去り、自分は社会的に復帰したのだ。
 それを見ていた年配の知的な女性が一言、ソヌに言い放つシーンが象徴的だ。
「やり過ぎるといけないわよ」

ラストまでの家族三人の息遣い。神様が味方をしたのは誰?

 すべてを失ったテオがソヌの前に現れ、二人は再び愛憎を繰り返そうとする。その気配を濃厚に察した息子が、ある行動に出る。それによって、ソヌとテオは、やっと別れることができる。依存せずに、それぞれの運命を背負うのだが、息子が取った行動に両者は深い傷を負うことになる。
 だがラストで救われたのは、無力だが供が大きな決定権を持つことがわかったからだ。それはひとえに両親の愛憎劇を「もう見たくない」というピュアな心がとったからだとわかる。
 神様は純粋な人間に救いと恩恵の聖杯を与える。「夫婦の世界」を子供の視点で観ると、また違う世界が広がっていく。深い人間洞察に基づく物語であることも、発見できるのだ。

※画像はPR TIMEより

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