水の少女3

それから数日が過ぎた。
高岡君や吉岡君は相変わらず色々ないたずらを僕に仕掛け、そのたびに僕は周囲の人に怪しまれないよう取り繕わなくてはいけなかった。
どうしても嫌な事があった日はあの空き地に行き、祥子さんと話をした。
僕は自分の対処を決めかね、とくに何もできずに只その日常を流すことしかできなかった。

「あなた、これどうしたの!?」

夏休みを間近に控えたある日の夜。
居間に水を飲みに来た僕は、母のヒステリックな声で呼びつけられた。
母の手によって目の前に広げられたノート。そこには几帳面に板書した文字とそれを覆い隠すように無作為に引かれた曲線や直線が描かれていた。もちろん、板書は僕が書いて、それ以外は高岡君たちにいたずらされたものだ。
ソファの上には居間に置きっぱなしにしたカバンとそこからはみ出た教科書類が所在無げにこちらを見ていた。

「…。」

僕はひどい罪悪感と不安感に襲われ、なんといえばいいかわからず、困った顔でそのめちゃくちゃなノートを眺めていた。弁解の言葉を話す自分の姿や、反抗期の子供よろしくノートを奪い取って部屋に閉じこもる自分の姿がちかちかと浮かんでは消える。しかし自分はどれを選択することができず、ただノートを見つめることしかできなかった。

「…。」

重い沈黙。母も不安そうな表情を浮かべていた。遠くに子供の騒ぐ声やテレビの音、コツコツという道を歩くヒールの音などが聞こえる。僕は相変わらず言葉の端を探すも見つからずそのままの姿でノートを見つめていた。

沈黙を切ったのは母だった。
ふう、と息をつき

「べつに貴方を責めるわけでもないし、叱るわけでもないから、今言いたいことを言いなさい。無理に聞こうともしないから。」
「…うん…、わかった…、ちょっと…待ってて。」

何とかそれだけ言って、いったんキッチンに行って水を飲む。コップ一杯を一気に飲み干してトイレへ向かった。便器に座って考えを整理する。といっても結局の所、言うか、言わないか、先延ばしにするか、の3択だ。
ふいに祥子さんの言葉を思い出す。
(もうちょっと具体的に力になってくれそうな人に現状を理解してもらうことが必要なんじゃないかな。)

覚悟を決めてトイレのドアを開けた。

居間に行くと母親はL字型のソファにぐったりと座って頭を抱えていた。目の前のテーブルには先ほどのノートが置いてある。僕は母の座っている斜め横のソファに座り、心を落ち着けるために少し待った。
そして

「…ごめん、母さん…。心配させて。実は…多分…クラスメイトに虐められているかもしれない。」

と何とか切り出した。母はこっちをみて、ああ、やっぱり…といったような顔をしていた。

「うん。そう…それはいつ頃からなの?」
「今のクラスになってから、多分5月の頭ぐらいから。最初はちょっと小突くとか、いじられるとか、そんなもんだったんだけど、だんだんエスカレートして行って…」

それから相手は高岡君を中心としたグループで、今はノートの落書きだけでなく暴力も振るわれているということ、クラスメイトは見て見ぬふりをしているということ、先生には何も言っておらず、知っているのか知らないのかよくわからないということなどを話した。

「でも、母さんあの、でもだからといって、学校に言うとか、高岡君たちをどうにかするとか、そういうことは何もしないでほしいんだ。あの、みんな受験で忙しいから…。それは僕だって同じだし…。」
「…そう、そうなのね。うん…。ちょっとお母さんも今は混乱してるから、時間がほしいの。でも話してくれてありがとう。つらかったね。ごめんね。」

そういって僕の頭をぎゅっと抱きしめた。僕はみっともなくぐすぐすと泣きだし、母の腕をぐっとつかみ返した。


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