露出
自分の世界に閉じこもると弊害として目の前の興味関心があること以外が急激に体温を失っていき無機物に見えてしまうことだ。
状況や人が有象無象の現象に見えて音がどんどん遠くなっていく。
そうして色んな音が遠くなってようやく、自分の声が聞こえ始める。
聞こえ始めたら次は自分の声で頭の中がいっぱいになって、頭の中で色んな会話が繰り広げられる。
昔はそんなことが当たり前だったのだけれど、しばらく社会に身を置いたことで逆に頭の中の声は少なくなっていった
例えばこのように文章で書いた表現が思考の言語化であるとすると
その外側に社会的に身に付けた可もなく不可もなく、
平均値化して目立たないようにしてきた表層面が露呈しているだけで何の意味もない抜け殻のコトバを重ねているだけだ。それはまるで塵のように散り積もる。
実はここまでの文章は半年前に書き起こしたものだ。
半年経った今、クリアーに人の声が聞こえはじめ逆にまた自分の声がくぐもってきている。
何という弊害。
人とルールを共有する事で起こる雑音は自分の思考をいともかんたんに封鎖する。
深淵への到達が希望した先だったのに。
山を登るのは私のルートではなく
海の更に底を探るのが
私の活力の根源だ。
2024.03
登れば登るほど
深く深く沈む
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