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自己犠牲の上に自他の幸せがあってはいけない

またまた私の脳内整理のために書かせていただきたいと思います。
タイトルの言葉は私が働いている会社の上司の方のblogで見つけた言葉です。

私は北海道移住をして生きるペースを落とした1年前に心に決めていることがあります。
それはまずは自分が機嫌よく心地よく生きられることをベースにすることです。未来の自分の幸せが、今の自己犠牲の上に成り立っている状態というのは長く継続することは難しいからです。

これは今ままでの自分の生き方で嫌になるくらい経験してきました。
今の自分に満足ができず、自分はこれができるという肩書きのようなもの欲しさにオーバーペースだとわかっていても、イライラしながら、体調を崩しながら、頑張りすぎて生きていた時代が何年もありました。

でもこの時は人のことを本気で考えられる余裕なんて持ち合わせていなかったし、その時の親切はこれをしてあげたいではなくて、してあげないといけないからするという感覚でした。

周りからの評価を気にして、私がしないと誰もやらないから。この時は自己犠牲のお手本のような思考回路で、周りと自分を切り離して考えることができていませんでした。
私がやらないといけないなんて、そんなこと世の中にはほとんどなくて、絶対に代わりの人はいるし、私がいないと困るでしょって私自身が思いたかっただけだったなって今では理解できます。

そこに執着しないと生きていけないくらい自分自身に自信がなくて、どうにかして自分の居場所を確保したくて、でも自分の思う生き方ができていないからイライラする。
今その生き方をやめて1年経って、ようやくここまで俯瞰的に自分自身の言動を事実として否定もせず肯定もせず受け止められるようになりました。

話は元に戻りますが、タイトルの自己犠牲の上に自他の幸せがあってはならない。これは私がこの北海道暮らしの中でずっと大切にしてきたことで、周りにイラッとするタイミングがある度に今自分はなんで怒りが出たんだろうって感情と切り離して考えられるようになりました。そこには自分が自分に課している我慢であったり未来への不安であったり、執着だったりが隠れているのですが、それを冷静に考える習慣が身についた今、気がつけば自分のいる環境に同じ考えを持つ方がいたことに気がつきました。

現在の職場は昨年の9月からいるので半年ほど前から。私が北海道移住して半年ほど経ってからです。自分が変われば、環境や周りの人たちが変わる。これって本当にわかりやすいほどに自分の身の回りの変化として起こります。

今の環境に感謝しながら、自己犠牲を捨てられた自分自身のことも誉めながら、毎日ゆるく生きていくことを継続し続けていきたいです。

おわり。

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