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潔癖症の行き過ぎ??!いや、強迫性障害だとピンと来た話①

こんにちは。なつみかんです。

2週間前に人生初のギックリ腰になり、こんなに痛いのか!と悶絶していた。
せっかく痛みが和らいできたところに、またギクっとやってしまいまたとても痛い日々だった(泣)が、今はまた少し和らいできているのでホッとしている。
しかし油断は禁物。
痛みには強い方だが、ギックリ腰、なかなかの痛さだ。トホホ・・・

さて、唐突だが、私は自他ともに認める潔癖症だ。
と言っても、学生時代はそこまででもなかった気がしているが、
いつからか潔癖が目立つようになっていた。
学生時代は、部活用のカバンを体育館の床に置けていたし、
バスケ部だったが、バッシュのままお手洗いに行って、
そのままもちろん練習して、練習中にバッシュの裏を手で拭って
滑りにくくしたりもしていたし、体育館に寝そべってストレッチだって出来ていた。
電車の吊り革にだって掴まれたし、お手洗いだって今みたいに異常に
時間がかかることはなかった。
靴紐だって出かける前に結べたし、エレベーターのスイッチだって
平気で押せていた。
こう考えると、学生時代はそこまで潔癖症ではなかったのかもしれない。

今の私からしたら、全部ゾゾっとする事だ。

社会人になってからも、上記に書いたことは普通に出来ていた。
室内・室外に関わらず、床にカバンを置くことはしなかったけれど。
会社の共有のドアノブも、お手洗いのドアノブも平気で触っていたし、
給湯室にある共有のスポンジでコップだって洗えていた。

が、段々とそれが出来なくなっていった。

タイトルにもあるように、潔癖症の行き過ぎ?というところから、
「いや、これは強迫性障害というものかもしれない」と気がついたのは、
コロナが流行り出した2020年2月頃からだ。
その前から、少しずつお風呂に入っている時間が長くなっていっていた。
おかしいな、前はもうちょっと早く入れたのに。
と思いつつ、どんどん長くなっていく。

その理由は、お風呂の中にあるいろんなもの、例えば家族が体を洗う
タオルや、シャンプーやボディソープを置いておける棚や、
お風呂の壁に自分の髪や体が当たっているのではないか?と錯覚するように
なっていたから。
だから、当たってないよね?当たってないよね?!当たらないように!!と、
とつてもない神経を使って挙動不審にお風呂に入っていたために、
時間がかかってしまった。
そして、手を頻繁に洗うことも時間がかかる要因だった。
デリケートゾーンや、足を洗った後は入念に手を洗い、自分の中で手が綺麗になった。次の工程へ進める!と思うまで洗い続ける。
これがまた時間がかかるかかる。。
自分でも辟易するほどだった。

コロナ禍になる前から、電車の吊り革に掴めなくなっていた。
それは、ある時、おじさんが吊り革に掴まった手で咳を受け止めていたのを
目撃してしまったから。
それ以来、どの吊り革も汚く思えて掴めなくなった。
非常時は仕方なく掴まるが、降車した駅で手を洗わなければ気が済まなかった。
なので電車では基本的には仁王立ちで電車の揺れに耐えている。
周りからしたら、大分変な人だろうと思う。

そしてコロナが流行り出した頃、感染には飛沫感染や共有物を触った手で
粘膜などに触れると感染すると報道されるようになり、私がしてきたこと
(吊り革=共有物を触らない。触ったら手を洗う)ということが、
正しかったのだ!!
とお墨付きを得てしまった。

そう、「得てしまった」ことが、私の潔癖症をどんどん加速させることになってしまった。

もちろん吊り革は掴まらないし、現金を触ったら手を洗いたくなるし、
会社の電気スイッチも易々とは触れない、誰かの手跡が残ったテーブルに
自分のノートなどは置きたくないから拭いてからでないと使えない。
給湯室のコーヒーも、昔は毎日飲んでいたけれど、今じゃいろんな人が
飲む=持ち手を触る=自分は触れない。ということから、もう飲まなくなったし、
お手洗いのドアも素手で触れないから、押し引きして開けるタイプのドアなので、
入る時は行儀が悪いが足で押し開けている。
(なので誰かがお手洗いにいることがわかっているタイミングでは
 お手洗いには行かないように調整している。これも神経使うから大変)
お手洗いから出る時は、手を洗った後に使った手拭きペーパーを折りたたんで
ペーパー越しにドアを開けるようにしている。

これだけだと、強めの潔癖症ね。
と解釈できるが、強迫性障害の「強迫観念」と「強迫行為」が
出てきたのである。

長くなるので、続きはまた別で投稿したいと思う。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

なつみかん

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