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さようなら、オンボロ家


私は、2日後に念願のマイホームに引越しを予定している。

でも、あまりウキウキしていない。

もうすぐ新居に引越しだと言うと、みんな口を揃えて

「楽しみだね」

って言うのだけど、私は楽しみでドキドキワクワクする感じが全くない。

全く実感がない。何度も新居に足を運んでいるし、どこに何を置くか仕舞うか、すべて計算済。それなのに、実感がない。私には不釣り合いな家のような感じがするんだ。



結婚して11年。はじめはオンボロの平屋に住んでいた。

今はそれなりのアパートに住んでいるけれど、6年前、長男が3歳を過ぎる頃までは、とてもとても粗末なお家に住んでいた。

実家を出たい一心で結婚したは良いが、貯金も稼ぎもなく、貧乏だった。結婚して1年が経ち、長男がお腹に出来てからは出費が増えて更に貧乏になる。そして、生活費を稼ぐためにWEBライターの仕事を始めたのが、私の今の仕事のきっかけ。

当時のオンボロの平屋は、台所にお湯が出なかった。湯沸かし器を付ければ良かったのだけど、それを付けるお金も惜しかった。油物の食器やフライパンを洗うときは、鍋でぬるま湯に温めたものを使って洗う。今考えるととてつもない手間だけれど、当時はそれが普通だった。

オンボロ家の窓はサッシじゃなかった。木枠に、コップみたいな1枚ガラスの窓。とても寒くて、台風や強風の日にはガタガタと音が鳴るほど。鍵は、古い学校の教室のドアの端っこについているような、ねじ式のカギだ。

洗濯機はもちろん外だし、お風呂のドアも木枠。木が湿気で腐ってくるし、時にはきのこが生えてゾッとした。トイレだけはちゃんと洋式だったから、特に不便を被ることはなかった。色々と手間はかかったけど、今ではどれもいい思い出。

当時私は20歳とか21歳とかで、産院や育児教室で出会うお母さんたちのお家に誘われることもあった。マイホームを建てたばかりだからと招待してくれる人や、おしゃれなマンションに住んでいる人がほとんど。実家を飛び出して勢いで結婚したけれど、こんなところで想像とのギャップや劣等感を覚えるとは思ってもみなかった。


私が、念願のマイホームにワクワクしないのは、これは単なるスタートに過ぎないからだ。


どんなことでもそうなんだけれど、人生の節目節目は単なるスタートに過ぎない。入学も、就職も、結婚も、出産も、マイホームも。

全部、ただのスタート。

でも、世間の多くの人は、スタートをゴールだと勘違いしてしまう。良い学校に入れば安心、良い会社に就職できれば安泰、良い人と結婚できれば幸せ、家を購入したらもうそれで満足。

それではうまくいくはずがない。スタートラインに立つことがまず難しいのなら、その先を生き抜いていくのはもっと難しい。そこで気を抜いてはならない。世間的なステイタスを獲得しただけで満足すると、後々大変なことになる。だから私は、家を建てたことをまだ手放しで喜べない。身の丈に合っているかも分からない。なんだか、まだしっくりこない。


私はずっと、最初に住んだオンボロ家のことを忘れない。ボロ家の不便さに悩んだことも、周囲との違いに悔しさを感じたことも、畳のにおいも、木枠の窓を開けたときの感触も。ずっと忘れない。

新しい家に住んでも、あの頃に感じたたくさんのことを忘れない、忘れたくない。

多分、うまくいけば、これが最後の引越しになるだろう。私は家族全員の衣類や日用品と共に、苦しくも楽しかったオンボロ家の記憶を段ボールに詰める。


でも、11年前の私たち。あなた達は大丈夫だから、頑張れと言ってあげたい。



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