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たまごダブルマック食いたい

ここ数日、連続で悪夢を見た。

夢の内容は昔の友人達が出てきて、グロテスクな展開になる事が殆どだった。

例えば僕が同性同士の旅行に異性が参加してくる夢では、ここ数年会っていない友達が口の辺りから顔が割れて化け物になり、女子供を襲い、最後は逃げる僕に向かって「次はお前だ」と呼び掛けるところで終わった。

ある時は自分が中学生の頃好きだった子と恩師に再会して出掛けることになり、何故か僕はノートPCを開いた。崩れたテクスチャのポップアップが笑いかけてきて、僕はそのポップアップを何度も閉じるが閉じれば閉じるほど増えてゆく。ポップアップの動画が勝手に再生されると、知らない青年がシャワー室で致死量の赤黒い血を吐き続ける。焦ってポップアップ毎消そうとしても何度も何度もポップアップが開かれた。

夢は記憶の整理整頓をする行為だと言うが、
だとすれば何故こんな惨い夢ばかり見なければならないのだろうか。

少なくとも過去に未練が多く、仕事に「勝手な」重圧を感じているからだろう。
だから急にパソコンが出てきたり、旧友が出てくる。

心の自分に問いたい。
昔も今も特段面白くはないのにどうしても過去は尊く見えるのだろうか。
そこまで過去に固執する程良い物だっただろうか?夢に出るほどに?

卒業アルバムやテープカセットの映像を眺めて、いつまでも都合の良い改変した過去を巻き戻すな。

今はいつも吐いて捨てる程ゴミで、お前が美化してる過去も全部元々クソだった今なはずだ。

都合の良い解釈が通用しないから、現実との乖離に苦しんでしまう。

今の僕は、死ぬ程殺したい奴が沢山いる。そいつらを横並びにして頭を一つ一つ、思いっきりバットでフルスイングしたいんだ。
そんな気持ちをきっちりと抑えてGoogleマップで「バッティングセンター」を検索している。

曲がりなりにも僕は道徳や倫理は理解しているつもり。
それでも未だに高校生の頃虐めてきた村田たいき君(仮称)を街で見つけたら駅のホームから突き落として合挽ミンチにしたいと思っている。

人生というのは「我慢」の連続だ。
やったらおしまいな事は考えるに留める。
その繰り返しだ。

改めて自分に生き方を説き直した。

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