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『ワールドワーク2023』から半年が過ぎて vol.2

先日、あるできごとがあった。

ある人と話す中で、
「それはちょっと、さすがにひどくないかっ?!」
と、白目をむくレベルの驚きとともに、瞬間的にブワッと心の中に怒りの炎が立ち上がるのを感じた。

こんな時、私はどんな選択をしたいんだろう?

あなただったら、どんな選択をしますか?

心に焼きついている光景

"ワールドワーク2023
〜葛藤・対立を変容させていくための対話促進アプローチ〜
「ジェンダー・セクシュアリティ」をめぐる様々な声
"
に参加してから半年が過ぎた。

ワールドワーク2023の3日間で体験したことで私の中に種が植えられて、私の中や私の周りに、様々な変化が芽吹いている。

3日間で起きたこと自体もとても濃厚で素晴らしかったんだけど、その後に私の前に広がる世界がハッとするほど彩り豊かになっていることの方が私の人生にもたらす意味が圧倒的に大きい。

半年過ぎて言語化しようとしている今、改めてそう感じている。

プロセスワークビギナーの今の私には、一体どんな変化が見えているのか?感じていることを書き残してみている。

vol.1としてつづったのはこの記事。
身近な人との関係性の変化を感じているという話。

vol.2の今回は私の内面の変化、特にネガティブな感情の捉え方が、ゆっくりゆっくりだけど変わってきているという話をしたい。

ワールドワーク2023に参加して、今も心に焼き付いている光景がある。

ある人が、自身の子どもの頃に起きた心底嫌だったできごとに対しての怒りや許せなさを話してくれた時の、
あの表情
あの言葉
あのエネルギー
あの心の底から絞り出すような怒りと哀しみ
は今でも鮮明に思い出せる。

圧倒的な生きるエネルギーや、自分自身や社会への諦めなさ、しっかりと握りしめた勇気が伝わってきた。

その光景が、今も心に焼きついている。
とても力強く美しい光景として。

なぜこんなに焼きついているのだろう?

私はこの半年の間、ふとした瞬間に思い出されるこの光景を、何度も何度も反芻して、私にとってどんな意味があったのか?を考え続けていた。

ネガティブな感情はない人がかっこいいと思っていた

これまで、私は怒りなどのネガティブな感情は、外には出さない方が人としてかっこいいと思っていた。
精神的に安定している人が社会で重宝されて、ありがたがられる価値ある存在なんだろうと。

だから、私の中にある怒りや哀しみは、感じないように、外に出さないように、子どもの頃から人生を通してひたすらトレーニングしてきた感じがある。

子どもの頃は、いじめの対象にされないためのサバイバルとしても機能させてきたのかもしれない。
ちょっとしたからかいに反応しないこと、そんなことで私は揺らがないという態度を取ることで、からかいをいじめに発展させないようにしてきたんだと思う。

そんなわけで、子どもの頃からやたらと一人でトレーニングを積み重ねてきたものだから、もうすっかり怒りや哀しみは、私の中で生まれても瞬時にないものにすることが定着した。
その怒りや哀しみを表現することの大切さやパワフルさなんてみじんも思いもしなかった。

さらに、怒りや哀しみを爆発させる人が周りにいても、「あー、この人はコントロールできない人なんだな」とそんな評価を無意識にこれまでしてきたように思う。
怒りや哀しみの奥にあるその人の大切にしていること、私に必死に伝えようとしていたかもしれないことに真摯に耳を傾けることはせずに・・・。

美しさを感じたわけ

そんな風に、怒りや哀しみは感じないようにして、外に出さないという選択をし続けてきた人生を送ってきた私が、ワールドワーク2023での心に焼きついている光景をきっかけに、少しずつ変わってきている。

あの光景で語られていたのは、心の奥底にあるものを「ないもの」にはせずに「あるもの」としてきちんと表現して言葉にして世界に伝えていくことで、自分をめいっぱい肯定して大切にすることだった。

さらに、他の人に大きな勇気を届けることでもあった。
私の心にも、その勇気が届いて、うまく言葉にできないけど、気づいたら癒やしが訪れていた。

あの時、めいっぱい肯定することのエネルギーや、そこから届けられる勇気を体感したから、あの光景が心に焼きついていて、力強くて美しいとハッとしたんだろう。

それを私はずっとしてこなかった。
私にとって不都合な出来事から徹底的に蓋をして目をそらし続けてきた。
その不都合な出来事は、決してどこにもなくならないのにね。

私のチャレンジによって、もたらされたものは?

さて、そろそろ冒頭に書いた「それはちょっと、さすがにひどくないかっ?!」と、瞬間的にブワッと心の中に怒りの炎が立ち上がるのを感じたという最近の出来事に話を戻そう。

あぁ、私は今、明確な怒りを感じているなとその瞬間に気づいた。

怒りを感じること自体に難しさがある私が、明確な怒りを、しかもリアルタイムに感じているわけなので、相当に怒りを感じているということだ。

とはいえ、言葉尻りを捉えて勝手に推論のはしごを駆け登ることはしたくないので、まずは、できる限り評価判断を横において、丁寧に相手に背景や意図を聴いてみた。

が、やはり私にとって受け容れられることではなかった。

今までの私なら、

  • 傷ついてないフリをしてスルーする

  • 何も言わずに我慢する

  • もういいやと早々に諦める

  • なんとなく曖昧にする

  • まあ、相手にも事情があるし仕方ないかと無理矢理納得する

みたいな選択を取ってきたことがほとんどだった。

平和的解決と言えなくもないけど、結局それってただ単に見ないように蓋をするだけで、結局、自分を大切にしていないことだと気づき始めた私は、相手にNOを言って、自分にYESを言おうとこの時、選択した。

「私はそれを言われてとても辛い。私のことが尊重されていないように聞こえてしまう。正直、悲しみと怒りをとても感じている。」と率直に伝えることができた。

結果的に、相手は耳を傾けてはくれたが、私の感じていたことを相手が丸ごと受け取れたわけではなかった。

一つ発見があったのは、相手が受け取れたか否かということは、私にとってはそんなに重要ではなかったということだ。

それは相手のタイミングだったり、認知の範囲の問題だったり、選択だったりする。
私が何かコントロールできることではない。
あくまで「今ではない」ってことだな、だから、受け取られなくてもあまり気にならないんだと、素直にそう思えた。

それよりも、
「自分の中に起きたことを、感情的にではなく、自分と繋がりながら率直に伝えること」というのは、自分が自分に対してこんなにも真摯でいられるってことなんだ!
こんなにも心と体がストンと落ち着くものなのか!
という感動があった。

ワールドワークで出会ったあの光景が後押ししてくれた大切な一步

普段から怒りを表現できるタイプの人には、「へー」というエピソードだったと思うが、私にとってはかなり大きな大切な一步だった。

この一步は、ワールドワーク2023で心に焼き付いていたあの力強くて美しい光景が、私の背中を後押ししてくれたから踏み出せた一步だ。

私の内面の変化、特にネガティブな感情の捉え方の変化は、ゆっくりだけど、大きく変わってきている。
まるで地殻変動のように。

まだまだ道の途中だけど、本当は歩きたかった道をようやく歩き始めた感じがしていて、チャレンジングなんだけど、心が喜んでいるなぁと感じている。

ワールドワーク2023から半年過ぎた今になって、こんな風に私の人生にもたらしてくれているものがあるというのは、なんて素敵なことだろう。

それに、子どもの頃から懸命にサバイバルのために培ってきたことに、この歳になって新たにチャレンジしようとしているって、やっぱり人生は面白いなぁ。

ところで、今回の記事と関連してぜひ紹介したいDayaさんのこの動画。

嫉妬や怒りは何を私に教えてくれてるのか?
嫉妬や怒りを感じた時にどう向き合うといいのか?
ということに本当にたくさんの示唆をくれる動画。
タイトルもいいなぁ。好きだなぁ。

嫉妬や怒りの感情は自分と出会う入り口

ちなみに、ワールドワークをどっぷり体感できる合宿が今年も10月にやってくる。

本当に濃厚な3日間が今から楽しみ過ぎて、ワクワクが止まらない。

2回目のワールドワークに私は何を感じて帰ってくるのかなぁ。

関心ある人は、勇気を出して行ってみるといいよ!

早割は4月末までだそう。ワールドワーク2024 〜葛藤・対立を変容させていくための対話促進アプローチ〜「ジェンダー・セクシュアリティ」をめぐる様々な声

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▼続きの記事(vol.3)はこちら!


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